旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

ハロウィーンに思うこと

こんにちは。慧州です。

彼岸も終わり、朝晩は寒さを感じるくらい秋めいて参りました。

長袖を着る機会が増えたり、布団を一枚増やしたりと、生活が少しずつ冬に向かっていると肌で感じます。

 

さて、今月末はハロウィーンです。

「禅僧のブログなのにハロウィーン?」と思われるかもしれませんが、幼い子を持つ親にとって逃れられないイベントです。というのも、幼稚園で仮装をする行事があるそうで、先日その衣装を購入しました。

 

私が子どもの頃はまだ浸透していなかったハロウィーン。今では街中を歩くと、至る所で火の灯ったカボチャ(ジャック・オーランタン)やコウモリなどが飾り付けられ、ハロウィーン仕様がすっかりなじんでいます。

 

ご存知かもしれませんが、ハロウィーンは単なる仮装大会ではありません。

元々は古代ケルト人が一年の終わりを10月31日とし、一年の最後に収穫物を集めて冬の到来を告げるお祭りでした。また、季節の変わり目ということで死後の世界との境界が曖昧になることで、ご先祖さまをはじめ、多くの霊がやってくると信じられてきました。中には悪霊もいることから、子どもたちが仮装をして魔除けにしたのが、現在の仮装する習慣の起源だそうです。

 

この話を聞いて、皆さんは仏教にも似たイベントがあると思いませんか?そうです。お盆とお彼岸です。

お盆は、迎え火によってご先祖を迎え入れ、浴衣を着て盆踊りをしますね。お彼岸は、お中日を境に日の長さが逆転する季節の変わり目であり、死者の世界(彼岸)と生者の世界(此岸)が近づくため、先祖供養を行うという説があります。

不思議なもので本当に共通点がたくさんあります。人類考えることは同じということでしょうか。

まさにハロウィーンは、お盆とお彼岸が同時に来たようなものなのです。そう聞くと、なんとなくイメージが変わりませんでしょうか?

 

話は変わりますが、かつて私はハロウィーンに対して悪い印象を持っていました。それはどこか商業的で、騒いで街を汚くするイメージしかなかったからです。

 

ですが5年ほど前、その認識が少し変わった出来事がありました。

それはハロウィーン後のゴミ拾いです。ハロウィーン後のゴミ問題が指摘されて以来、終わった後のゴミ拾い運動が活発になり、私もたまたま知り合いに誘われて、渋谷のハロウィーン直後にゴミ拾いしに行くイベントに参加することになりました。

 

始発に乗って渋谷に行くと、明け方にも関わらずスクランブル交差点では多くの人が騒いでいました。どこか異様な雰囲気に私はやっぱりネガティブな印象を持ちました。しかし、電車が動き始めたからでしょうか。少しずつ帰宅の途につく人も増え始めて、落ち着きを取り戻しつつありました。そしていざゴミ拾いしようと思い、中心街に向かいました。

 

すると意外なことに、ゴミがあまり落ちていません。むしろ普段の渋谷よりよっぽど綺麗でした。その理由は、仮装していた人がゴミ袋を持って既に集めていたからでした。彼らも同じくゴミ拾いのボランティア活動をしていたのです。私はたまたま今年手伝っただけでしたが、これまで多くの人によってハロウィーンは支えられていたのかと頭が下がる思いでした。

 

仏教には「一水四見」という言葉があります。人にとっては飲み水、魚にとっては住む場所、そして油にとっては相容れない存在であるように、一つの物事は立場によって見え方が変わることを意味します。一つの目線ではなく、その背景に思いを馳せることの大切さを思い出す機会となりました。

 

今年はコロナ禍以来のハロウィーンとなりそうで、渋谷区長からもハロウィーン目的による大勢の集まりを控えるように呼びかけています。決して渋谷に集まらないようお願い申し上げます。

願わくはハロウィーンが本来の姿を取り戻せてくれること祈りたいと思います。

 

ゴミ拾いプロジェクト https://shibuya-gomizero.org/