旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

私の推し活

みなさんこんにちは尚真です。早いもので今日から2月ですが、今回が今年最初の投稿になります。今年も私の薄味の記事にお付き合いいただけますよう、お願いいたします。

 

ニュースでは5月から新型コロナ感染症が5類になることが決定したと伝えられています。これを良い機会に、今年こそは旅に出られたらなと思っています。

 

皆さんには「推し」がありますか?巷では「推し活」などと呼ばれていますが、世の中には様々なジャンルの「推し」が存在しているようです。

 

推しと聞いてもっとも一般的なのは、やはりアイドルなどの芸能人でしょうか。うちの妻はあるアニメキャラにハマっていて、よくコンビニなどでコラボ商品を買い漁っています。私はというと海外サッカーが好きで、一つのチームを長年推しています。

 

最近、推し活の考え方が変わる出来事がありました。それはSNSのとあるアカウントの投稿がきっかけです。そのアカウントは日頃悩みを抱えたり、仕事や家事の忙しさや責任でストレスを感じていたり、そんな人に向けてポジティブなメッセージを発信しています。

 

その方の投稿は悩み苦しむ人に寄り添い、ぶっきらぼうな言葉使いの中にも優しさがあふれる「同時」と「愛語」に満ちたものです。特に良く寝る、良く食べる、適度な運動、推しを持つ、この4点をよくアドバイスしています。

 

没頭することで嫌な事を忘れられる、日々の生活を頑張る目的・意義が見つかる、同じ推しを持つ仲間が見つかるなどのポジティブな要素を挙げ、推しを持つことを薦めています。

 

私自身も最近、推しに救われたと実感することがありました。昨年は新しいことに取り組まなくてはならず、色々と思い悩み、時間の余裕も無く、頭も心もいっぱいいっぱいだった時期がありました。

 

しかし幸運な事に私の推しているチームは今シーズン(海外サッカーは日本と異なり8~5月に開催され、今がシーズン中です。)は絶好調、毎週試合が来るのを楽しみに、辛い時期を乗り越えられました。

 

どんなに日々忙しくて一日一日があっという間に過ぎてしまうような状況でも、週末には試合がやってきます。一週間乗り切れた~と実感しやすいというのは、スポーツチームを推すとても良い点です。

 

このように現代人の心のより所となっている「推し」、悩み多き現代において、辛い時に何か「好きなもの」にすがりたいと思うのは、私たちが仏様を敬い、仏様の教えを学び、実践することと、意外と共通点があるように感じます。

 

私は推し活を通して最近感じている事があります。SNSの普及で、今は世界中の様々な情報をリアルタイムで入手することが出来ます。また発信する側も、誰でも容易に自分の考えを発信できるようになりました。

 

推し活をする上でSNSを利用して情報収集をされている方は多いと思います。しかし手軽で便利な反面、選手への誹謗中傷、人種差別などが散見されています。また応援するチームを代表しいているかのように、互いに罵り合うものまでいます。

 

これでは推し活の良い面は全く見られず、周りの人も巻き込んで皆が嫌な気持ちになってしまいます。自分の好きのために他人の好きを蔑むのは、推し活の本質から外れた行為だと思います。推し活も心の持ちよう次第で、良い方にも悪い方にも転んでしまうのです。

 

推しなんて特にないなという方は、ぜひ自分に合う推しを探してみてください。生きがいとなるような推しを見つけて、心と日々がより豊かで充実するような素敵な推し活ライフを送って頂きたいものです。

 

 

而今に学ぶ。27

 こんにちは。俊哲です。本年も旅する禅僧ともども、どうぞよろしくお付き合いくださいませ。

 

 令和5年、私の最初の投稿は何を書こうか考えたのですが、前回の禅信さんの投稿にもありましたが、『お正月』にちなみ、一に止まるという意味でも原点に戻ってブログタイトル「旅」の話をしたく思います。

 

 

 国内で最初の新型コロナ感染者が出てから、先日で丸3年が経ちました。私も以来、海外へ行くこともなかったのですが、昨年10月末に実に2年半ぶりとなる南米ブラジルパラグアイの海外渡航をしてまいりました。

 

両国とも、目的は知人や後輩の僧侶が新しく住職となる式(晋山式)に立ち会うためで、プライベートな旅とは違ってはなかなかハードな旅でした。ですが、久しぶりの海外への旅は不思議な緊張感と懐かしさが入り混じる、すごく刺激的なものでした。

 

 

 特に、今回初めて足を踏み入れたパラグアイでの経験はいろいろな困難もありましたが、今振り返ると本当に良い経験をさせてもらいました。

 

 赴いた場所は、パラグアイにあるコロニアル・イグアス。そこにはパラグアイ国内で最大の日系人のコミュニティがあり、曹洞宗大本山總持寺のお直末(親子のような付属関係を持つ寺)である拓恩寺というお寺があります。

 

パラグアイにある曹洞宗のお寺「拓恩寺」

日本からは、まずブラジルまで行き、国内線の飛行機でフォスドイグアスという町へ行きます。そこから今度は陸路にて国境を越え、およそ40キロほど走ったところにあり、単純計算すると片道38時間くらいかかります。

パラグアイ側国境の町"シダーデ・デル・エステ"



他の南米の日系人コミュニティと比較すると、未だ日系1世、2世の方が多い印象を受け、実際日本語で会話することの多い地域でした。

とはいえ、お店などで食事をする時は当然スペイン語しか通じず、日本人のコミュニティがあっても日本のもの全てが揃うわけではありません。

 

また、拓恩寺さんは開山してからの歴史は浅く、未だ現地の方達に馴染み深いという感じとも違い、お寺の建設に携わった方達やそのご子息さんたちが一生懸命に支えているという印象を受けました。

 

 

 私は法要が行われるより数日前にパラグアイ拓恩寺さんに入り、法要の準備や南米各地から集まる僧侶、また日本からも来られる一団を迎える手伝いをしておりました。

 

実際私がパラグアイについた時、拓恩寺さんの法要の準備はほとんどできていなかったと言って良いと思います。晋山式を経験した南米の僧侶という方も多くはおらず、法要の勝手がわかる方も少ないため、新しく住職となる後輩僧侶と急いで準備を致しました。

 

本堂に皆で寝泊まりしての準備はいい思い出です。笑

 

「あれがない、これがない」そんなことばかりで、日本じゃないのだから必要なものが揃わないのは仕方がないと思いながらおりました。

 

 

 夕暮れ時になると境内で飼育されている犬を、お寺の外に散歩に連れ出します。気分転換にと私も同行し、通りを歩いていると商店の前に差し掛かったところで呼び止められました。

声の主は先ほどまで共に準備をしてくれた檀信徒の方達で、お店で晩御飯を食べながら晩酌をされておられました。

 

 

 私たちも晩御飯のお誘いを受け、ご供養に預かりました。

会話の中で度々礼を申され、彼らの酔いが深まってくると、普段聞くことのできないような興味深いお話をたくさん聞かせてもらいました。(それはまたの機会に)

 

いよいよお開きというタイミングで再び呼び止められました。

 

「あのさ、出来る出来ないは別にして、足りないことや準備しなきゃならないこと、全部言ってください。このお寺ってパラグアイ初の仏教寺院なんです。しかも日本のお寺。ここで足りないことや不備があれば、この土地の、パラグアイの恥になるなんです。それは、せっかく入ってくれる新しい住職さんにも失礼になってしまう。俺たちにも責任がありますから。」と。

 

 その時の皆さんの顔が今でも鮮明に思い出されます。先ほどまで、あぁでもない、こうでもないと笑い合っていた皆さんの目が変わったのがわかりました。

 

 私は正直に「日本から遠いパラグアイだから仕方がない」と諦めて準備をしていたことを伝え、お詫びしました。そして、「では…」と切り出し、さまざま注文をさせていただきましました。

 

注文の1つは、法要の中で配るお茶とお菓子。"パラグアイらしさ"マテ茶とトウモロコシのお饅頭は檀家の方の手作り。

もちろん準備が不十分だったものもありましたが、終わってから振り返ると、パラグアイの皆様の「おもてなし」を感じる法要が執り行えたと思っております。

 

 

 どこかで勝手に枠を決め、制限を設けていた自分を恥じました。

個人の想いだけでこうした宗教的な儀礼は営まれません。多くの人たちの思い、そして多くの人たちの手を借りて営まれていくということを再確認致しました。

さらに、過去・現在・未来という時間軸がつながっていくことを身をもって感じることができました。命懸けで入植し、まさに人生をかけて開拓してきた方達の想いと、そこで生まれ育った人たちと、これからその縁を受けて生まれてくる方達と、繋がっていくことの尊さを。その一部分に携わることができた喜びは、何事にも変えられません。行ってよかった。心からそう思いました。

終わりよければ全て良し!無事円成した拓恩寺晋山結制

 可愛い子には旅をさせろ。多少の苦労は買ってでもしたほうが良いとは言いますが、何よりも異国という環境に身を投じることは、馴染みのある日常生活で感じる気づきより、明らかに反応速度が違っていることを久しぶりに感じた旅になりました。

拓恩寺から眺める夕暮れ。写真では美しさが伝わらないのが残念です。

 

#憩いと学び

謹んで新春のお慶びを申し上げます

 

こんばんは、禅信です。

 

お正月には新年の抱負を述べる。

皆さんは、今年の目標決まりましたか?

『正月(しょうがつ)は、一に止まると書いて正月。

 一年に一度立ち止まって、目標を据えて生活を正しなさい。』

そんなことを、先生から教えられた気がします。

 

今年は、繋がりを大切に一年を送りたいと思います。

 

2022年から地域のお寺では、本堂や境内を活用して、

『結のおと』(音楽イベント)やヨガの催しが開催され。

 

お墓参りや法事以外の時間に気軽にお寺に足を運んでもらい、

境内で音楽に親しみ、身体を動かし、日常を離れてハレの日を楽しむ。

 

そんな、憩いの場を目指した企画が興りました。

 

私もヨガの後の坐禅説明などお手伝いをさせて頂く中で、

参加して頂く人たちとの会話も生まれ、心のつながりを感じ

手伝いと言いながらも、催しに携わること自体が楽しみに代わり、

コロナ渦中に失われた、本来の人と人との繋がりやふれ合いの大切さ

を実感するようになりました。

 

 

諸先輩方の手伝いもあり、当山でも年末に『しめ縄飾りを作る』催し

を、開催し総勢45名の参加者と一緒にフラワーアレンジメントを楽しむ事が

できました。

先生が袋詰めしてくださったそれぞれの素材を使い、はじめは、お手本がないと作れないと言っていた大人たちも、参加していた子供が自由に作っている姿を見て、気づけば2時間夢中になって作っておりました。

 

 

今月21日には、アート書道『御朱印を書く』催しを予定しております。

御朱印と聞くと書いてもらうものと思う方が多いと思いますが、

今回は、せっかくお寺に集まって頂くのでご本尊様のお名前、由来、像の作られた年代などをお話してゆっくりとお参りして、各々お参りをしたのちに拝んだ本尊のお名前を自分で清書して朱印(三宝印)を押印し最後に合わせて般若心経を読経する。

そんな催しとなっております。

 

宣伝の様になってしましましたが、、、。

 

坐禅会や御詠歌講など従来の行事に加えて、それぞれのお寺や地域にあった催しを開くことで多くの人達とつながりを持ち、些細なことでも相談してもらえる関係を築くきっかけになる事を目指しております。

 

年末に今年一年よくできました。と言えるように楽しみたいと思います。

https://www.instagram.com/jyokoku_ji.38

イベントの案内はインスタグラムにも掲載しております。

しめ縄飾りを作る親子



 

 

 

師走

こんにちは、哲真です。

 

今年も終わりですね。

 

師走に入り、早くも雪が降ったりと大変苦労されている地域もあります。そんな中ですが、今年を振り返ってみると、冬季オリンピックFIFAワールドカップなどスポーツが盛んな年となりました。また、東北に在籍するものとしては、白河の関を越えた高校野球の東北地区代表の初優勝も記憶に残りました。過去の事や未来を心配しながらではなく、今を一生懸命に頑張る姿を見ることはとても良いものでした。

 

そのような方々に影響を受け、私も日々の生活を精進して過ごそうとするのですが、まだまだ甘えが出てきてしまいます。いや、甘えをしていてはいけないと思って、また頑張るということを繰り返していた一年でした。皆様はいかがでしたでしょうか。来年は、日々心身共に精進していきたいものです。

 

師走の語源は、平安末期の「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」によると、師匠である僧侶が、お経をあげるために東西を馳せる月という意味の「師馳す(しはす)」だというものがもっとも有力な説だと言われており、現代の「師走」という字はこの説をもとに字が当てられたと考えられているようです。

 

寺としては師走だけが忙しいという事もなく、一年を通して忙しい時と穏やかな日があるといった感じです。ただ、師走は法要や多くの行事があり忙しく感じる時でもあります。その忙しさに便乗し、今回の投稿が一日遅れてしまったことをお詫び申し上げます。師走の所為ではなく私が忙しさにかまけていただけです。楽しみにされていた方、失礼いたしました。来年は忘れずに投稿できるようにいたします。

 

来年も皆様にとって良い年となりますようお祈り申し上げます。これからも私の投稿、また推しの投稿者もいるかもしれませんが、今後とも旅する禅僧もよろしくお願いいたします。

 

今シーズンの初雪の写真です

 

4年に1度の、、、

12月に入り、令和4年度もいよいよ佳境に突入しましたね。

 

 

去年までの数年間のこの時期は、日が暮れるタイミングがどうしても早くなるし、地域柄、雪も沢山降るし、そこに相まっての歳末特有の得も言われぬ焦燥感にかられてなんだか悶々としておりました。

 

が、今年の12月はいつもとは違う。

 

皆さんももうお気づきかもしれませんが、あの4年に一度のサッカーの祭典、そう

 

FIFAワールドカップ

 

がまさしく今、絶賛開催中であるからです。

 

 

 

 


こんにちは、俊宏です。

 

「4年に一度の~」で言えば、今夏、日本がホスト国として開催した東京オリンピックも大変盛り上がらせてもらいましたが、

 

個人的にはワールドカップの四年に一度感についての方が正直、感情の高揚は上回ってる次第であります。

 

今回の大会までに日本代表は1998年のフランスワールドカップに初出場してから7大会連続の出場となり、これまでに数名の監督がその度に指揮をとられました。

 

その歴代監督のなかで私が特に印象に残っているのが、今年、惜しくも亡くなられてしまったイビチャ・オシム氏です。

 

 

 


このイビチャ・オシム氏(1941~2022)は旧ユーゴスラビアサラエボで生まれ、若い頃はプロサッカー選手として国内外のチームを渡り歩き、そして引退後の1979年には地元サラエボのプロサッカーチームの監督に就任。

そこで監督業のキャリアをスタートさせます。選手としても大変活躍されましたが、特に指導者としてクラブチームや母国代表チームを率いた際の経歴が華々しく、それらを携え2006年に当時の日本代表チームの監督に就任されました。しかし、その1年後に病に倒れ、残念ながらそこで日本代表監督を退きました。

 

わずか1年間のオシムJAPANでしたが、当時のオシム監督が展開した魅力的なサッカーは今でも鮮明に目に焼き付いております。

 

今回の森保JAPANも素晴らしい戦いを繰り広げておりますが、やはりオシム監督があのとき辞めずに続けていたら,,,といった「たられば」がどうしても出てしまうのは私だけではないはずです。

 

 

 

さて、そんなイビチャ・オシム元監督ですが、同時に哲学的ともいえるような発言を多くする「名言メーカー」でもありました。そんな数ある名言の中でも個人的にグッときた言葉を一つご紹介させて頂きます。

 

「人の頭ではなく、自分の頭で考えなくてはならない。」

 

自国の内戦という、非常に険しく難しい経験をされたオシム元監督の口から出るからこそ、ある種の真実味みたいなものを感じる言葉ですね。

 

 

確かに何かにすがったり、頼ったりする事はまったく悪い事ではありません。しかし、お釈迦様は入滅(=亡くなること)の際にお弟子様方に対して、「私の亡き後は正しい教えを胸に、自分自身を頼りとして生きなさい。」と仰いました。これを仏教用語で「法燈明・自燈明」といいます。確かに授かった教えだとか、尊い言葉を守っていくことは大事なことですが、それを受け取ったままにするだけでなく、それを自分の中に落とし込み、考え、そして自ら実践していくことこそが人生を送るうえで大事なことなのです。そしてその姿こそが1つの真理だと私は思います。

 

まさしく、言葉は違えどこのお釈迦様の言葉とオシム元監督の言葉は同じことを伝えているのではないでしょうか。

 

 

従来の物事の価値観や、既存の流れが大きく、目まぐるしく変わってきている現代。この混沌とした世の中でこれらの言葉を指針として私たちそれぞれが実践し、より善く、そして正しく自分自身の人生を送っていきましょう。

 

追記:

12月5日、我らが日本代表はクロアチア代表に惜しくも敗れてしまいましたが、多くの感動を頂きました!ありがとう森保JAPAN!!

 

森保Jは“読みにくい”チームになった」中村憲剛が招集メンバーを分析 「4-3-3」と「五輪組」が対戦国の悩みのタネに? - サッカー日本代表 -  Number Web - ナンバー

 

 

好き過ぎて辛い

こんにちは。拓光です。

とうとう11月も後半に入り寒さが増してきました。そろそろ本格的に防寒対策をしなければと思っています。

 

先日ふとテレビを見ていたらドラマ内でこんなセリフを耳にしました。

 

 

「好き過ぎて辛い」

 

 

「いやいや、それってどんな感情だよ」と思っていたところ、隣で妻が「うんうん、わかるよその気持ち」と言っていました。

妻が言うには、好き過ぎて辛いとは好きが溢れすぎて、気持ちの行き場がなくて辛いという意味らしいです。

私達人間は自分の思いを他者に伝える手段として言葉を交わして、意思疎通し、お互いを理解し合います。しかしその反面、暴言で他者の人格を傷つけてしまうこともあります。

もし現実の世界で自分が好意を寄せている方から「好き過ぎて辛い」と言われたら、とても嬉しい気持ちになると思いますが、それがもし全く関わりのない方から言われたのであれば、有難迷惑に感じたり、時には恐怖を感じたりするかもしれません。

同じ言葉であったとしても誰に言われるかで相手の反応も変わります。

 

私は幼少期に学校などで「自分がされて嬉しいことは相手にもしましょう」また同様に「自分がされて嫌なことは相手にしてはいけない」と教わりました。当時この教えを聞いてその通りだなと思い、言葉の扱い方や行動もそのように実践をしてきました。

 

お釈迦様の教えを記したスッタニパータという聖典の中には「自分を苦しめず、 また他人を害しない言葉のみを語れ。これこそ実に善く説かれた言葉なのである」という教えがあります。

この教えを学んでから「自分がされて嬉しいことは相手にもする」「されて嫌なことは相手にはしない」という考え方では人の価値観や基準は人それぞれ違うため、その価値観のずれから、時に誰かを行動や言葉で意図的に、無意識に傷つけてしまうのではないかと思いました。

私達の行動や言葉で人を傷つけないためには、お釈迦様の教えのように一度自分という概念を捨てて、シンプルに「相手がされて嬉しいことをする、相手がされて嫌なことはしない」という考え方を持って生きていくべきなのではないでしょうか。

  まさに私達の言葉は癒しにも武器にもなります。言葉の大切さを深く心に刻み扱いたいものです。

 

雨二モマケズ風二モマケズ

みなさん、こんにちは。慧州です。前回7月に書いた記事につづいて、今回も6月にお参りした比叡山延暦寺での出来事を記したいと思います。最終日は夜中2時から始まりました。なぜそんな早くに起きたのか申しますと、回峰行という修行を体験するためです。

 

回峰行とは一定期間比叡山内を歩いて礼拝して回る行のことを言います。「動の回峰行」と呼ばれるように身体的に過酷なものとして、延暦寺の中でも厳しい修行の一つとされています。いわゆる千日回峰行と呼ばれるものが有名で、約1000日もの期間を7年かけて歩き、例え雨風がひどくても、あるいは体調が優れないときであってもやり続けなければならず、もし途中リタイヤするのであれば、死を選ぶしかないとされています。

 

毎年3~9月頃、毎朝行われる回峰行は次のような行程となっています。まず毎晩深夜2時に無動寺というお寺を出発し、東塔、西塔、横川、坂本の日吉大社とお参りをします。そして朝方には再び無動寺へ戻ってきて、比叡山内を一周して回ります。その間、決められた場所ごとに真言と礼拝を行いますが、その対象はお寺や神社といった建築物だけでなく、ご神体とされる岩や木など、自然そのものに対しても行います。

 

今回は体験ということで一日だけの回峰行。それでも約20キロ近くを6時間ほどで走破しなければなりません。本来は一人でやる修行ですが、今回は他の僧侶の方と一列になっての行進でしたので心細くはありませんが、運動不足気味な私にとって果たして完走できるか心配でした。幸い天気は晴れです。

 

最初に根本中堂前で般若心経を唱えます。ただお唱えの声だけが響き渡る中、これから始まる回峰行に心の高ぶりを感じました。目の前の比叡山の森は真っ暗闇で、鳥の声もあまり聞こえず、静けさだけが広がっていました。回峰行中は私語厳禁です。小さなライトを片手に歩き始めると、ただ足音だけが響いていました。

 

空を見上げると、星いっぱい広がっていました。東京出身に私にとっては見慣れない光景であり、思わず吸い込まれそうなその景色に圧倒されました。多くの回峰行者がこれを見上げながら、宇宙とのつながりというものを感じていたのだろうかとも思えました。

 

途中、唯一行者が座って休憩できる地点として、玉体杉という場所があります。そこは京都御所を含めた京都の町並みが見えるぽっかりと見える場所で、御所に向かって安寧の祈りをささげます。京都の鬼門を守る比叡山との関係を感じさせる場面です。

 

北に進むと、横川に到着します。ここは最澄の弟子である慈覚大師円仁(794〜864)が開かれた地であり、おみくじの発祥とされる元三大師堂や、親鸞聖人、日蓮聖人ら鎌倉仏教の中心を担った僧侶たちも修行していた場所でもあります。真夜中の横川ではありましたが、その聖域において10代の道元禅師も得度をし、そして修行をしていたと思うと、歴史の重みを感じさせます。

 

その後はひたすら日吉大社に向けて南に下っていき、すぐ隣は崖のような道をただ黙々と歩きつづけます。ここからは坂本の町に向かって下山するので、下り坂です。気がつけば4時過ぎ、暁を迎えて少しずつ鳥のさえずりが聞こえはじめ、森は生命を吹き返したように活気づいてきます。日吉大社の頂上にある奥宮に到着する頃には日の出を迎えます。目の前には坂本の町と琵琶湖を一望でき、太陽の恵みを体全体で一身にうけると、ようやく体が目覚めはじめます。頂上にはご神体である大きな岩「金大巌(こがねのおおいわ)」が鎮座しています。どれほどここにあるかは不明でしたが、これだけの石が落石せずにいることに神として崇められた由縁があるのかもしれません。

 

比叡山の総里坊である滋賀院では、朝食のおにぎりをいただきながら、しばし休息。やっぱり外でいただく握り飯は格別に美味しいです。腹ごしらえを終えた一行はいよいよ最後の難関、無動寺谷へと出発します。

 

無動寺谷は下から550メートルまで一気に上る険しい坂道のみです。今まで4時間ほどかけて降りてきた道をわずか1~2時間で上って戻るようなものです。上を見ても先が見えず、足場も悪いことからただ目の前の段差を超えることに専念するしかありません。陽射しも強くなってくることから、思わず汗が吹き出し、息も上がります。しかし、歩き続けなければならないのです。

 

無動寺谷を歩いている際、先導してくださった方はもの凄いスピードで登っていますが、息も上がって折らず涼しい顔でした。お話しを伺うと、その方は小僧時代から回峰行者に傍に付いて身の回りのことを学び、この道も行者が歩きやすいように補修しながら日々上り下りして体で覚えたとおっしゃっていました。そうした長年の積み重ねがあってようやく回峰行のスタートラインに立てるのであり、だからこそ生半可な覚悟で挑む人などいないのだろうとも思えるのです。

 

登り続けること約1時間ほど、ようやくお堂が見えてきました。それは回峰行のゴールである無動寺でした。回峰行者は700日間もの回峰行を終えた後、ここで最も過酷な9日間の断食・断水・不眠不休の堂入りを行います。ここで誓いを立て続け、この行が成就すれば生身の不動明王である阿闍黎と称されるようになるのです。しかも、ここで終わりではありません。さらに300日ほど、しかも比叡山だけでなく、京都御所の方まで回る京都大回りルート、約80キロ近くを歩く回峰行を続けなければなりません。そして、堂入り後の行は自分のためでなく、全ての人々のための利他行とされているのです。このストイックさこそ、不動なる心、揺らぎようのない覚悟なのでしょう。

 

先発隊が無動寺に到着した頃には、最初一緒に出発していた三十名ほどが十名ほどまで減っていました。頭の中では酸素不足から茫然としていると、おもむろに般若心経が始まりました。出発した直後の根本中堂ではあんなに楽だったお経が、無動寺では息がほとんど続きません。こんなに苦しい般若心経は最初で最後かもしれません。こうして回峰行体験を終えました。

 

回峰行は相応和尚(831~918)によって始められました。それは『法華経』の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の教えに倣ったものでした。常不軽菩薩は全ての出会う人に対して次のように説かれました。

私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏となる人々だから」

あらゆる存在に仏の可能性(仏性)を見いだし、相手に敬意を払い、そして仏とみなして礼拝をする常不軽菩薩。それに対して人々は気味悪がり、時には罵声や暴力を浴びせます。しかしそれでも礼拝を続けるその姿には確固たる信念があるのです。ちなみに宮沢賢治が記した『雨ニモマケズ』はこの常不軽菩薩の精神を表したものだともされています。この「人々には仏性がある」という教えが、人々だけでなく、全ての山や川、草木といった自然に対しても仏性を見いだす思想へと変化し、それを体現化したのがこの回峰行における巡礼です。

 

わずか一日の体験ではその真髄は分かりようがありません。ただ少なくとも、今回のような晴天に恵まれることもあれば、雨の日も風の日も、暑い日も、同じ道を歩き続けることは大きな自然の脅威にさらされることもあり、その中で自然との距離というものを否応なく縮まるような感覚を覚えるのだろうと思います。そこには自然に生かされ殺される自分があり、自分の肉体も含めて自然なのだと気づくことであり、だからこそただ感謝するしかないのだと思います。その一端に触れることができただけでも、今回の経験は私にとって忘れられないものになるだろうと確信しています。