旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

而今に学ぶ。8

 こんにちは。俊哲です。新しい元号「令和」の時代となってから私が投稿するのはこれが初めてです。新時代となって私の身の回りで起こったことを今回記したく思います。

 

 私の祖母が平成最後の3月に他界をし、元号が変わった5月の連休中に49日の大練忌を執り行いました。祖母は先代住職の妻として寺を支え、突然の事故で連れ合いの先代を亡くしてからは寺を離れ、娘の家で余生を過ごしておりました。寺を離れてから20年程が経っておりましたが、霊前には連日お参りに来てくれる方がおりました。それと同時に私たちは施主家として葬儀の段取りや小練忌、大練忌の準備に追われ、慌ただしく毎日を過ごし、法要の日を迎えました。日々の慌ただしさもありましたから、法要が始まり近隣の和尚様たちの読経の声を聞いて安心し、法要後には少し気が抜けるような気が致しました。

 祖母が他界してこの法要を迎えるまで、忙しく過ごし、泣いている・落ち込んでいる時間が無かったように思います。

 

 さて、つい先日のことですが突然の訃報が届きました。私とご本山での修行時代の同期で、仲の良かった友人のお師匠さんが亡くなられたというものでした。私の友人は在家出身で、お寺の娘さんと結婚する縁があって僧侶となりました。右も左も分からぬままこの世界に入り、多くの苦難を乗り越えての出家となり、その友人を師匠として、義理の父として支え指導された方でした。私もご本山での修行時代、そしてご本山を離れてからも個人的にお世話になっており、仏法に厳しく、それでも周りの者には分け隔てなく温和な方でした。どこでお会いしても気さくに声をかけて下さり、とりとめもない話しをしたことなど思い出も深く、訃報が届いてからはいてもたってもおられず、お参りに行くことにしました。

 

片道4時間の道中、様々なことを思い出し、考えながら車を運転しておりました。元気な頃の姿しか知らない私には現実として理解できず、また弟子である友人やご家族の皆さんがひどく落ち込んではいないかと心配になりながら、気持ちだけが焦っておりました。途中、別の友人と合流し、友人もまた同じようなことを心配しておりました。

 

お寺に着き、本堂の東側に作られた祭壇に手を合わせ、経を詠ませていただき、本当に亡くなられたのだと世の儚さが胸をつきました。

 

祭壇近くでご家族の方、弟子である友人と話しをしていると、想像していたよりも淡々とされており、悲しみに暮れている様子はあまり感じませんでした。

 

ご家族の方が席を外され、弟子であり婿養子である友人だけとなった時、

「奥さんが心配だったんだ。お父さん大好きだったから。でも一番淡々としてる。来月に本葬儀はあるし、すぐお盆もやってくる。忙しくて落ち込んでる暇もないし、ちゃんと送り出さなきゃって気持ちしかないよ」と話しをしてくれました。

 

 私は、昔カンボジアを旅した時のことを思い出しました。

カンボジアの僧侶と、人が亡くなってからの仏教祭事はどのようになっているのかという意見交換をした際、同じく七日ごとに経をあげたり、100日目まで忙しく過ごすことなど似たような慣習があるということを知りました。その他、仏教圏では似たような慣習が日本も含めあるわけですが、そのカンボジア僧が最後に教えてくれたことは「人が亡くなって悲しいでしょ。涙が流れ、悲しいのは自然なこと。だけど、その悲しさに振り回され、余計に悲しむことは苦なんだ。100日目までとにかく忙しいのは、後を追って死のうと思ったり、余計な悲しさに苦しまないためでもあるんだよ」というものでした。

 

 私が祖母を亡くしてから過ごした幾日かの経験とカンボジア僧にそのように教えてもらったことを重ねながら友人に話死をすると、「本当にそのようだ。いい言葉だね。」と一言呟き、祭壇に向かい合掌し一礼を供えました。

 

 

 生きているものは必ず別れの時がやってきます。どんなに大事にしていた財産も、友人も、愛した家族も、さらにはこの肉体すらも死ぬ時には置いていかねばなりません。

 

行持を営むことは、別れを惜しむというだけの決して一方向のものではなく、実際は思いが届く範囲内では収まらない意義を伴うことを改めて実感いたしました。

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想いを込めて

f:id:tabisuruzensou:20190515220257j:plainこんにちは!光彬です!
回りの友人が揃って末期の五月病だぁ~と
言っておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
新緑が芽吹き命の萌える五月であるはすが、
このような使われ方をされて不憫でなりません( ´`)

さて、只今私は、
東京都西麻布にありますお寺で
典座(てんぞ)という、食事を司る部署におりまして、
看糧(かんりょう)という、食料庫の在庫管理や調理、食費管理をするお役目を頂いて日夜、上司・修行僧と共に美味しい精進料理を作れるよう修行させて頂いております。
毎日三食、約四十人分の食事を用意し、献立を決めたり書き出しに行ったりと、バタバタした日々を送っています。
このお役目を頂いて、約二か月半が経ちましたが、
まだまだ要領も悪くあたふたしております。

そんな先々週のことです。
そのお寺での少し大きな行持が終わり、
ホッとするのも束の間。また次の日の食事の
切り込みや仕込みに勤しんでおりました。

次の日の朝のお漬物の沢庵を切っておりました私は、
疲れからか、なるべく薄く、切ったときに向こう側が見えるくらい薄く切らなくてはならない沢庵を、普段よりも厚く切ってしまいました。僧堂という静かな場所で食事を頂く我々僧侶にとって、大きな音がしてしまうものは避けなくてはなりませんが、その日は、まぁこのくらい変わらないだろうと、そのまま出してしまいました。

すると、僧堂の中ではボリボリ、ボリボリと
大きな音が鳴ってしまいました。どれだけ音を殺そうと
すりつぶそうとしても音が止まりません。

朝の食事が終わった後、今日のお漬物は食べにくかったと言われてしまいました。

典座の料理に対する心持ちを記した本がありますが、
その中に、老心(ろうしん)というものが出て参ります。
老婆親切の心のことで、相手が食べやすいように、美味しく食べられるように、、相手を第一に考えて料理に当たりなさいとのお示しがあります。私は自分が疲れていたからと、食べる人の事を蔑ろにして気持ちを込めて料理を出すことが出来ませんでした。


気持ちがこもっているか、暖かさを感じるか
というのは、私がいくら思っていてもそれは
相手や第三者が感じ、決めることです。
想い遣るとは、自分の事よりも相手をと、
一生懸命務める事でした。


この失敗を生かし、私はもう手を抜かず
料理に務め精進すると今一度心を改めました。

今日、皆様はどんなお食事を
召し上がりますか*?

どうすれば・・・

みなさま、おはようございます。哲真です。

 

令和になり、10連休も明け、仕事がバタバタとしているころでしょうか。

10連休もあったのですが、お寺にはあまり関係のない休みでした。

観光客の多い寺院では、御朱印がすごいことになっていたみたいですね。

皆様は、平成の終わりの御朱印と令和最初の御朱印を集めて連休を終えられた方もいるかもしれませんね。

 

さて先月のことですが、会議に出席する機会がありました。

様々な議論を交わし、今後どうやって行くのかを話し合った後、食事を一緒にさせていただきました。

そこに遠くから来られた方がいて、「今日は会議も長引いたし泊まっていこう」という話しになりました。

そこで、別の方が「じゃー、オレがホテル予約しておくよ」とスマホを操作し始めました。その後、「ホテルとったよ。レディースプランなら安かったんだけど。」と一言。

「まっ、それは仕方ないね」

 

 

私は、

「フロントでは、男性がレディースプランで申し込んだら断るのだろうか?」

「そもそも、男性と女性を見分ける基準は?」

と疑問に思いました。

 

そんなことがあった後、帰宅すると

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こんな本が曹洞宗から届いていました。

 

早速読んでみると、現代社会では、周りの人の様々な思い込みや勘違い、知識不足で傷ついて、悩んでいる人がいるのだな。

寺院では、亡くなった方々に戒名を差し上げるということをしますが、それには、男性なら信士、女性なら信女という文字が入ることあります。

この場合、どの部分で男性、女性をわけたら良いのか。そもそもわける必要があるのか。

そして、私自身も何も知らなすぎるのだなと痛感させれました。

 

一般的に僧侶と言われる人たちは、このような相談を受ける機会があったりします。

そこで言った一言が、相手の心を閉ざしてしまうことも、また開いてくれることもあります。

 常にそういった部分を気を付けていかなければいけないと感じさせてくれる事柄でした。

 

日々精進していかなければなりませんね。

そういったことを気づかせてくれたのも御縁、御縁に感謝です。

名前も知らない友人

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みなさん、こんにちは。向月です。

令和元年初日ですね。「平成最後の○○」というイベントが多くありましたが、私はなんだか年越しみたいだなと思っていました。それで、昨夜の夕食はお蕎麦にしました。

 

さて、今回は中国で出会った家族の話です。

5年前、駒澤大学の先生方と中国の禅宗寺院を巡る旅に同行させていただいたことがあります。日程は10日間。湖南省湖北省(ちょっとだけ江西省)の禅宗寺院をバスでまわるものでした。

思いのほか過酷でしたね。乗り心地の良いとは言えないバス、長距離移動に夏の暑さと道路状況の悪さ、山奥の寺院では約4㎞を徒歩で登山。

 

この旅の中で立ち寄った湖南省のお寺に、欽山寺と言うところがありました。

山奥に突然現れる大きなお寺です。

赤い壁に囲まれた伽藍に、目の前には大きな方丈池。これぞ中国の名古刹という雰囲気のお寺です。

そのお寺を守る方々が暮らす寮のようなアパートがすぐ隣にあります。

一般の観光客のように風景やお寺仏様などをデジカメで撮っていましたが、お寺を守る家族と目が合いました。デジカメではなくポラロイドのカメラでその家族の写真を撮らせていただきました。私もくわわり一緒に記念写真です。

その写真をその家族に差し上げると、とても喜んでくれました。

 

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そこの旦那さんが私の手を引いて、お寺の裏に連れて行ってくれました。

中国語を話せないので何を言っていたのか分からないのですが、古い井戸や出土した食器を見せてくれます。この旅に参加していた中国出身の先生が通訳してくれました。

 

「これは1000年前からある井戸で、この食器はそこから出土したものだ。」

 

それに感心して見入っていると、さらに山奥に案内されます。そこには何かの畑が広がっていました。

 

「ここは、自慢の茶畑だ。私の家系は代々、ここでお茶お作り、それを売って欽山寺を守ってきた。観光に来る方は、みんな建物を撮る。でもそれを守っている私たちを撮ってくれたのは君が初めてだ。とても嬉しい。写真は宝物にするよ。」

 

帰り際には

「君はもう私の友達だ、いつでも遊びに来てくれ」

そう言って、自慢のお茶をくれました。

 

 

広い大地の上に人間が勝手に引いた国境がある。でも、人間同士にはそんなモノはなくて、言葉が分からなくてもわかり合えることが沢山有ると感じた旅でした。

彼と私は、境界線のない真っ平らな関係になれたと感じました。

この世界は、境目のない一つの世界なんだと。名前も知らない友人が、私に教えてくれた事でした。

 

 

また別の旅では「物理と仏教について」話すことがあったのですが、それはまた今度。

ヒットの先にみえるもの

 

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 皆さんこんにちは、慧州です。4月は新年度の始まり。そして、5月には改元も控えており、新たな時代を迎えます。始まりがあれば終わりがあるように、先日私にとっても大きな節目を感じた出来事がありました。

 

 それはイチロー選手の引退です。走攻守全てに優れた選手で、多くの記録を残し、メジャーリーグでも殿堂入り間違いないとも言われているイチロー。平成生まれの私にとってはまさにあこがれで、バッティングセンターに行けばいつも右手でバットを立てながら左手を添えるルーティンを真似していました。

 

 引退会見を見ながら「ついにこの時が来たのか・・・・・・」と思うと同時に、イチローの言葉を聞くと改めて自分自身の生き方を考えさせられます。あるインタビューで、イチローはこんな言葉を残しています。

 

 「細かいことを積み重ねることでしか、頂上にはたどり着けない」

 

 肉体や技術的なものは優れていることはもちろんのことですが、なによりも自分をコントロールする力を感じさせる言葉です。どんな日であっても毎日トレーニングを行い、体のケアを怠ることなく、万全の状態を目指す。たとえ調子が悪くても悲観的にならず、次を見据える心の安定。簡単にできることではありません。

 

「日々是好日(にちにちこれこうにち)」という有名な禅語があります。中国僧、雲門文偃(うんもんぶんえん、864949)が残したとされ、「日々過ごしているこの1日1日がすばらしい日だ」という訳がなされることが多い禅語。額面通りとってしまうとお気楽な言葉に思われるかも知れません。しかし、この言葉には別の解釈もあります。

 

 「この日を良い日(好日)にするかどうかはあなた次第」

 

 覚悟を試されている言葉だと思います。今日という時間を生きることが出来るのは自分自身しかいません。他人に代わりに自分の人生を生きてもらうことも出来ません。

 

 イチロー選手にとっての「好日」とは何か?そのヒントが引退会見の時の言葉にあるような気がします。

 

 「今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないと、ささやかな誇りを生んだ日々であったんですね」

去年5月より球団会長付特別補佐として、試合に出れないことが正式に決定した



 試合に出れなくても次を信じて練習を続けたこと。誰でもない自分自身がそれをなしとげたこと。決して妥協をしなかったからこそ出た言葉ではないでしょうか。

 

 「令和」に変わっても、私たちの人生は続きます。積み重ねるこの毎日を「好日」にしたいと改めて思います。

お疲れ様『平成』、宜しくね『令和』

 皆さんこんにちは尚真です。寒い冬が明け、桜に続いて色とりどりの花々が春の訪れを知らせてくれています。木々の芽も色づき始める新緑のこの時期が、私は一年で一番好きです。新緑の息吹を感じるこの季節は新たな活力が湧いて来る気がします。

 

そんな新緑の息吹に合わせるかのように、平成も残すところあと2週間となりました。新元号の『令和』も発表になり、世間では『令和』グッズを早速販売したり、テレビやネット記事でも平成時代を振り返る企画をよく目にしたりと改元ムードが日増しに高まって来ましたね。来月からは『令和元年』ですので間違わないように気を付けたいですね。

 

 私個人としては平成最後の記事の更新ですので、平成最後の記念に、改元について書き残したいと思います。今回の改元は今までとは異なる点がいくつかあり、まさに新しい時代を反映する出来事だと個人的に感じています。

 

 一つ目は約200年ぶりの生前退位だと言う点です。私は昭和生まれですので昭和から平成に元号が変わる瞬間も経験していました。まだ幼かったのであまり記憶に残っていませんが、昭和天皇崩御されて平成天皇が即位された訳ですから、改元は悲しいニュースとして報道されていたように思います。

 

 しかし今回の平成から令和への改元は、祝福ムードに包まれてとてもポジティブな出来事に捉えられており、これは生前退位ならではのことだと思います。

 

 また天皇陛下生前退位は、まるで会社員の皆さんが定年前に早期退職し、趣味や家族の時間などを増やせるよう第二の人生をスタートさせる姿と重なる部分があるように感じます。『働く』ことへの価値観が変化している現代において、天皇陛下自らが『働き方改革』を実践しているようですね。

 

 二つ目は新元号『令和』の出典元についてです。現在の『平成』まで247の元号があるそうですが、その全ての出典元は中国の書物でした。そもそも元号という制度も中国由来のものですし、元号以外にも私たちに関わりのあるもので仏教や漢字も中国から伝わっていますね(そういえば私たち日本人のルーツも中国大陸ですね)。

 

 ですので、これまでの元号は中国の書物からの引用でしたが、今回の元号『令和』は初めて日本の書物からの引用となりました。出典元は昔歴史の授業で習った『万葉集』です。日本の元号ですから日本の書物からの出典は非常に良い事だと思いますし、これも新しい時代を反映するトピックスだと思います。

 

 以前から女性の皇位継承の話題もありましたが、今回の改元に伴って日本の皇室は少し変革期を迎えているように感じます。変わらぬ伝統と時代のニーズに合わせた改革を行って、英国王室のように『開かれた皇室』となるよう期待したいです。

 

 私たち僧侶や寺院も同じことが言えると思います。仏様の教えは不変的な真理を説かれていますが、それを実践する私たちが生きる社会は時代と共に移ろいで行きます。変わることない部分と変わらなきゃいけない部分を良く見極め、来月からくる『令和』の時代を生きていきたいと思います。

 

 また残り2週間の『平成』も、これまで30年の感謝の気持ちを込めて、最後まで後悔の無い様に過ごしたいと思います。

而今に学ぶ。7

 こんにちは。俊哲です。私の投稿するこの週は4月8日の花祭りを迎える週でした。この花祭りというのはお釈迦様が誕生されたことをお祝いする日のことです。日本では4月8日、または地域によって5月8日を花祭りとしてお祝いしてまいりました。

日本以外のアジア各国、仏教圏ではWesakと呼ばれるお釈迦様の誕生を祝う行事があり、そちらもだいたい4月や5月の満月の日に行われております。“誕生した”ということを祝うこの仏教行事を私の住む地域では4月8日に行いますので、今日はお釈迦様がお生まれになられた地、ルンビニを旅した時のことを書きたいと思います。

 

 お釈迦様がお生まれになられた場所は現在のネパールのルンビニという場所です。ネパールとインド北東部の国境近くにあるその場所にはマヤ聖堂というお釈迦様のお母様の名を冠した建物があり、その施設の中にマークストーンがあります。

マヤ聖堂の周りにはお釈迦様の産湯に使われた池の遺跡や菩提樹が植えられており、各国の仏教徒の巡礼者が多く訪れております。また、周辺には各国の寺院が建立され、現在仏教の聖地として整備が進められております。

 

 

 ルンビニ周辺はお釈迦様が出家前、シッダールタ王子として過ごされたカピラ城や、ご両親の浄飯王・マヤ夫人の荼毘塔など、お釈迦様にまつわる遺跡がいくつもあります。またそれらは周りの住人の生活の中にありました。

 

したがって、現地の方達の生活を見ることができたのですが、それらはお釈迦様在世時とそれほど大きな変化はなかったのではないかと感じました。近代化しているとはいえ、水牛が歩く田園風景、人力でもみ殻を飛ばす農夫。お釈迦様が出家を決意されカピラ城から出て行った東門から眺める景色に、お釈迦様もこのような景色を見たのではないだろうかと思わされました。

すると、それまで抱いていた”お釈迦様”という遠く離れた崇高存在から、崇高な存在なのだけれどもお釈迦様も一人の人間として生きられた人間だったのだと改めて感じることができ、ものすごくリアルにお釈迦様の姿を思うようになりました。

 

 何を思い、何を心に抱き出家の道へ進まれたのだろうか。


仏教では、原因があって結果があると説いています。お釈迦様が出家を決意される四門出遊の話も直接の大きなきっかけであれ、それまでの生い立ちの中での経験すべてが因となって出家されたのです。お釈迦様がお生まれになられて七日後にお母様(マヤ夫人)が自分の出産を原因に亡くなられたこともその一つだったでしょう。そんな若き日のシッダールタ王子に思いを馳せ眺めた景色を、花祭りを迎えると毎年思い返しております。

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ルンビニ菩提樹とマヤ聖堂