旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

家庭厳峻

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yagi


こんにちは、禅信です。

 

先週末は、親戚のお寺で晋山式(住職を迎え入れる式)が修行されましたが。

新命住職の晴れ舞台を準備するために、寺族さん、地域の信徒さん、近隣の住職さん、一丸となって荘厳(しょうごん)に努めました。

 

この、荘厳という言葉は「荘厳に飾る」や「美しく荘厳な風景」といった使い方をします。

辞書を引いてみると「仏像や仏堂を、天蓋、幢幡、瓔珞などでおごそかに飾ることまたその物」とありますが。

 

きらびやかに飾るだけでなく、

(畳にも障子の桟にも塵一つ残さないように拭き清める

掃除が一番の荘厳だよ)と教えてくれた老師の言葉を想いながら荘厳に努めました。

 

 

信徒さんや近隣の和尚さんに支えられ、お寺に入られた新命住職さんが

須弥壇上に登りお言葉を宣べられた時に、亡くなられた先代の住職さんへの感謝の想いやこれまで育てて貰った地域の方への想いに胸を詰まらせ言葉を詰まらせる姿に、参列した全員がお寺への想いを共感しました。

 

 

前回、永平寺の山門に立つ所までを書きましたが

 

外に立つとその大きさに圧倒されます

太い柱に大きな四天王像、樹齢700年の杉の木に負けない存在感のある山門。

 

左右の柱には、

「家庭厳峻不要陸老従真門入」

(かていげんしゅん、りくろうのしんもんよりいるをゆるさず)

「鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来」

(さやくほうかん、さもあらばあれぜんざいのいっぽをすすめきたれ)

 

と書かれた聯がかけられています。

右の聯

永平寺の生活は清規にそった厳格なものである

その生活に入るためには、(陸老)地位や名誉、財産は(不)必要ない

(従真)仏道を志す想い、道元禅師のお言葉に『ただ我が身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに遵いゆく時、力をも入れず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる』とありますが。

様々な教えや経典、経験に頭でっかちにならず、修行生活に乳水の如く和合しなさいよ。

 

と、この志だけをもって上山しなさいと背中を押されるよう文言に改めて、「力を入れまくって」「心を費やしつくして」修行にはいった私がいたことを思い出しました。

 

 

「」の力をいれて、心を費やしまくってという言葉は、先日ある法話を聞いていた時に出てきた話で。

確かに、私も修行に入るぞと意気込んで、ここでの生活のすべてが特別なものであると勘違いしていた時期があったことを恥ずかしくも思いだしたので引用させていただきました。

 

 

左の聯

しかし、この山門には鎖もなければ、入るものを拒むものは何もない

道心有る者は一歩踏み出しなさい。

 

修行入る私たちは、まだその聯に書かれていることの意味を知ることはありませんでしたが、生活の中で思い通りに行かないことにあたった時、自分を優先する心(自我)に気づいたり周囲に影響を受ける心に気づいたときに、この聯の言葉を想い返し修行生活を過ごす中での一番の指針となりました。

 

 

鎖なく、誰もが自由に過ごすことができる自由な世の中ですが、

 

上山の事を想い返したときに、昨今の社会生活にも周りと和合することが必要だと強く感じた為、記事にさせていただきました。

 

 

こんにちは、哲真です。

 

4月に入り暖かくなりましたね。境内には様々な花々が咲いて、外で活動することが楽しみな季節です。写真は境内に咲いていた八重桜です。

 

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実は、ここ1年くらい片付けばかりしております。要るもの、要らないもの、使うもの、使わないものを分けて整理して、不要なものは売ったり、処分したり、また必要な方がいれば差し上げたりしています。一般的には断捨離と言うのでしょうか。コロナ禍になり、家の中を片付けする方が増えたみたいですね。その証拠に、ゴミを燃やしたり処分したりしてくれるクリーンセンターはいつも混みあっています。

 

断捨離を調べてみると、

[「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。](参照:Wikipedia

とあります。

 

身軽で快適な生活というと、「ミニマリスト」とも言うらしいですね。

 

最近は新しい言葉を耳にすることが多くなりました。仏教では「知足」という言葉が当てはまりそうです。知足とは、「足ることを知る」ということです。今、生活ができているならば今ある物で十分ということ。それ以上のことを望むのは「欲」であります。

 

私は転勤の多い家庭で育ち、社会に出てからも多く引っ越しをする環境でした。その為、物は極力少なくするという生活が当たり前でした。私の物に対する判断は、「今いるのかいらないのか」「今後使うのか使わないのか」です。そうして過ごしてきたので、断捨離やミニマリストという考え方があることに驚きました。

 

物も古くなります。ただ保有しておくだけでも状態が悪くなります。それより喜んで使っていただける方の手元に届くようにその物を手放すことも大事だと思います。物にも手放すのに最適な時期があると思います。

 

常々、身の回り物を整理し快適な生活を送れるようにしていきたいものです。物を無駄にしないということが、人にも環境にも優しい生活となるのではないでしょうか。

サクラの歌の話

みんさん、こんにちは。向月です。

新年度を迎えて、気持ちも新たに新生活をスタートされた方も

いらっしゃることでしょう。

私も今年度やりたいことなどを考えながら、春の訪れを楽しんでおります。

(今年は例年に比べ暖かかいので、春というよりは初夏を感じる日もありますね)

 

 

昨年から自宅で過ごす時間が多く、よく本を読むようになりました。

年明けくらいから、古文や短歌などの歌集やその解説本などを読んでいます。

先月から読み始めたのは『伊勢物語』と俵万智さんがそれを

解説している『恋する伊勢物語』です。

伊勢物語』は多くの短編物語が書かれており、その中の登場人物が

詠んだ歌が出てきます。

恋物語がほとんどの『伊勢物語』ですが、時々、お花見に行く話しや

旅の途中の話しなどが出てきます。

第八十二段「惟喬の親王(これたかのみこ)」というの話は、親王

馬頭(馬を管理する役職の長)が鷹狩りをしながらお花見を楽しむ話しです。

実際は、鷹狩りはほとんどせずお酒を飲みながら歌をうたう話しです。

この話しの中には有名な桜の歌があります。

 

 

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(馬頭)

 

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この世の中に桜の花が全くなければ、春の心はのんびりのどかなのになぁ・・・。

もちろん桜がなければ良いという歌ではなく、心をざわつかせる

桜ということで花の良さを表したものです。

俵万智さんは、「桜は開花を待ちわびて、咲いたら咲いたで妙に

ウキウキして、散ってしまわないかとハラハラする。強い春風に

あっという間に散ってしまいがっかりする。まったく、人の心を

騒がせる花だ」と言われています。

「待ちわびる→ウキウキ→ハラハラ→がっかり」の繰り返しです。

がっかりの後は、また春を待ちわびています。

満開の桜も、風に舞い散る花吹雪も、そのあと新緑の葉桜もとてもきれいです。

一方、桜のほうは誰に教えられたわけでもなく、機が熟せ蕾みになって

やがて花を咲かせます。全部、自然に任せています。

 

今年、早咲きの桜を見ながら自然体で生活していれば「機が熟す」時が

来るんだなと感じました。

我儘を言わず、自然の流れに任せて生きてみようと思いました。

そうすれば、自分でも気づいていない蕾が花を咲かせるときがくる。

また、それが散るときも。

短歌なかで「桜」が出てくると、その儚さを人生に例えることが多いようです。

私たちの人生も儚いものでしょう。

きれいな花が咲いた後、きれいな花吹雪を見せられるように生きていきたい

と思いました。

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毎週水曜日更新をしてきました「旅する禅僧」ブログですが、

次回から隔週水曜日の更新となります。

これからも「旅する禅僧」を宜しくお願い致します。

Happy Birthday Buddha

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みなさん、こんにちは。慧州です。

明日4月8日はお釈迦様の誕生日。

日本全国のお寺では降誕会(ごうたんえ)という名でお祝いをする法要が行われ、私のお寺でも誕生仏に甘茶(あまちゃ)をかけられるようになっています。

伝説によれば、お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩き、右手は天に、左手は地に向かって指をさし、天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という有名な言葉を告げたと言われています。

 

実は私がこの言葉を初めて知ったのは、お釈迦様の逸話ではなく、バスケットボール漫画のスラムダンクでした。

主人公である高校生桜木花道のライバル流川楓

絶対的な実力と自信がある彼は、他人へパスを出すことなく、ドリブルだけで相手に挑み、抜き去ります。

一見すればわがままな選手、しかし圧倒的だからこそ周りも認めています。

そんな彼を周りは「天上天下唯我独尊」と称するのです。

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物語後半、絶対王者である高校との対戦を迎える流川たち。

しかし、まるで歯が立ちません。

いくらドリブルをしても相手にボールを取られてしまいます。

するとあの流川が味方にパスをし始めましたのです。

そして、試合を観戦していた他の高校生が驚愕してこうつぶやきました。

「あの・・・・天上天下唯我独尊男がパスを!!」

私はこの場面を見てから、「天上天下唯我独尊」とは、どこか自分よがりでわがままな印象を持っていました。

しかしお釈迦様はそういう意味で自分を讃えたわけではありません。

  

話はすこし変わりますが、私の誕生日はちょうど一ヶ月前の3月8日です。

毎年誕生日を迎えると、いつも恥ずかしい思いと一緒に記憶が蘇るのが友達との誕生日会でした。

小学生の頃、大勢の友達を呼んで誕生日会を開催するのがクラスの流行りでした。

私も人数が多ければ多いほど嬉しいという幼心からか、自分のクラスだけでなく、隣のクラスの子も呼んだりもしていました。

今考えるととても気恥ずかしいことをしたなと思いますが、当時は必死でした。

なぜなら自分の誕生を祝ってくれる人が多ければ多いほど幸せじゃないかと信じていたからです。

まるで自分の存在を認めてもらいたいという欲求がこの身を渦巻いていたのです。

 

友達の数、財産、能力などといった条件付きの「私」しか認めず、人と比べて良い悪いなどと考えてしまいがちな私たち。

ですが、「天上天下唯我独尊」という言葉はそれを否定します。

お釈迦様が生まれた瞬間に「天上天下唯我独尊」とおっしゃった真意それは「この世界でただ一つの、代わることの出来ない命として、そのまま尊いということなのです。

そして同時に大事なことは、この言葉の裏には「共にこの世界を生きる他者も同じく尊いという意味も含まれていることです。

なぜなら他者がいるからこそ私という存在があり、私という存在があるからこそ他者がいるからです。

 

例えば、流川楓がパスを出さずにドリブルができるのは、いざというときはパスができる他人がいるからです。他人がいなければパスという存在すら生まれません。

そしてそのことに気づいた彼は、パスをすることでドリブルを生かすこともでき、可能性を見出していくのです。

他者がいての私という尊い存在。

当たり前のこの事実にお釈迦様は生まれた瞬間に気づけたからこそ、自信をもって「天上天下唯我独尊」と説かれたのではないでしょうか。

 

年をとるにつれ、自分の誕生日のことを忘れてしまいがちです。

でもやっぱり誰かが「おめでとう」と言ってくれるその優しさと、生かされているこの命に感謝したいと改めて思います。

「お釈迦様、お誕生日おめでとう!」
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御縁を繋ぐ

拓光です。

年度末を迎えすっかり春めいてまいりました。皆様お元気でしょうか。

私は春の陽気を楽しむと共に花粉症の症状がひどく、箱ティッシュを常に持ち運ぶ日々を過ごしています。

 

先日、旅する禅僧で初の試みであるオンライン坐禅会を行いました。

坐禅会を行うにあたって何度か入念な打ち合わせをし、また今後の旅する禅僧のブログについても議題が上がりました。

 

その打ち合わせの中で旅する禅僧の執筆者でもあり、私の修行時代の恩師でもある髙倉秀哲師がこんなことを仰っていました。

 

「旅する禅僧のブログは、各執筆者が旅した先々で出逢ったことや感じたことを題材に執筆をするけれど、このコロナ禍で旅(出掛けること)は中々出来ないよね。でも出掛けることだけではなく、人に逢いに行くことも立派な旅の一つだよね。」

 

この言葉に感銘を受け、私は同じ県内で日頃お世話になっている常幸院の住職である深山光信師に逢いに行きました。

 

常幸院は日本三大急流のひとつでもある富士川が流れる山梨県身延町にあり、最近では人気アニメ、ドラマ「ゆるキャン」の舞台地になるなど、今県内で注目のエリアです。

 

深山師は「ゆるキャン△」の人気と共に、地元の有志の方達と地域活性化のための会を立ち上げ、今現在も檀信徒に限らず地域の人々との交流・催しを大切に尽力なさっています。

そんな深山師になぜ寺院として地域活性化に尽力しているのかを尋ねてみました。

 

以下は深山師の言葉です。

「昔はなにか問題があったらお寺に行って住職に相談しようとお寺に訪ねて来るのが日常的な光景であったが、今では寺院に相談することも少なくなり、お寺で待っていても人が訪ねてくることも少なくなってきた。

それゆえこれからはお寺に来ていただくのではなく、僧侶側から積極的に外に出る機会を増やし、そこに新しい地域コミュニティをつくることが重要である。その機会が地域活性化活動や福祉活動であり、こうした活動を通して人々との関係を深め、そこからお寺のことを理解していただくということを大切にする。」

今回、深山師からお話を伺い、これからの僧侶はお寺を維持していくだけでなく、地域のコミュニティとの繋がりを大切にしつつ活動をしていくことが重要であると改めて気付かされました。

また活動を行う上では中途半端な気持ちを持たず、「本気でお寺を変えたい」という強い思いを持って地域の方と接するよう心がけていかなければいけないと思いました。

 

この旅する禅僧のブログ投稿も、皆さんとの御縁を繋ぐ大切な活動の一つです。ブログを見てくださっている方は、その時の感情や気分で読んでもらい、捨てるものは捨て、拾うものは拾って下されば幸いです。

まだまだ人生経験も僧侶の経験も未熟ではございますが、日々精進しながら投稿をして参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 

最後に、コロナが終息して山梨県に来る機会があれば是非常幸院にお立ち寄りください。

 

「今・ここ・生きる・幸せ」

今ここに生きている幸せに気づこう。

常幸院 深山光信

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サクラが教えてくれること

 みなさんこんにちは尚真です。最近、暖かな日が続いており、朝の冷え込みもすっかり落ち着きました。もう私たちの住む地域ではコロナウィルスよりも、花粉の方が猛威を振るっております。

 

 一都三県に発出されていた緊急事態宣言は解除されましたが、新規感染者数は依然増加傾向にあり、まだまだ油断は禁物です。春らしくなってお出かけ日和な陽気ですが、外出の際は引き続き感染対策を行って行きたいと思っています。

 

 さて昨日までお彼岸でした。お彼岸には多くの檀家さんがご先祖様のお墓参りに訪れます。そんな私どものお寺の境内には樹齢百二十年にもなる大きなシダレザクラがあります。エドヒガンザクラと言う種類で綺麗なピンク色の花が特徴です。

 

 樹齢百二十年と言うと、一般的なソメイヨシノの樹齢が六十年と言われている中では、非常に長生きに感じます。しかしエドヒガンザクラはソメイヨシノに比べて寿命が長く、樹齢千年以上になり国の天然記念物に指定されているような木もあるようです。

 

 エドヒガンザクラの開花時期はソメイヨシノに比べて少し早く、例年は4月の上旬頃に見頃を迎えます。暖かい日が続いた今年は、珍しい事にお彼岸中にサクラが咲いてしまい、お参りに来た檀家さんは皆さんとても喜んでいました。

 

 

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ちょうど見ごろを迎えています

 

 そんなサクラの木は長年、私の父である住職と、樹木医と言う「樹木のお医者さん」の資格を持つ植木屋さんで大切に守ってきました。サクラの木と一緒に、住職と樹木医さんは年を重ねて来と言っても過言では無く、特に住職はこのサクラの木を大切にしていました。

 

 最近になってサクラの木はだいぶ弱ってきてしまいました。根っこを腐らせてしまう病原菌が根っこに入り込んでしまったのが原因です。樹木は必要な水分を、土の中に張り巡らせた根っこから吸収しています。根っこが腐った事で吸収できる水分の量が減ってしまい、二、三年の間に半分程の枝が枯れてしまいました。

 

 ちょうど樹木医さんが体調を崩した時期と、サクラの木が弱ってきたタイミングが重なって、二人は半ば諦めムードでした。住職も掘り起こされた腐った根っこを見てショックだったのか、どうせ枯れるなら維持管理を辞めてしまおうかと話していました。

 

 しかし当面の間、枯れ枝の撤去は引き続いて行う事になりました。直径20㎝にもなる太い枝も枯れてしまったので、落ちて人や建物に当たっては大変です。そうして昨冬と今冬の二回に分けて枯れ枝の撤去を行いました。全体の半分程の枝を撤去した後の姿は、あまりにも寂しい見た目になってしまいました。

 

 そんなサクラの木ですが、予想に反して今年は少ない枝ながら、枝いっぱいに花をつけて、とてもきれいに咲いてくれました。新しい小さな根っこもいっぱい生えてきて、すっかり元気を取り戻したようです。植物は、我々人間の想像よりもはるかに強い生命力を持っている事を改めて実感させられました。

 

 枯れ枝を思い切ってばっさり切った為に、必要な水分量が減った事がサクラの木が回復した原因のようです。新たに生えた根っこを見た住職と樹木医さんは、今まで諦めムードだったのがすっかりヤル気を取り戻しています。

 

 春は出会いと別れの季節です。一年の中で一つの区切りとか、節目とするにはちょうど良い時期だと思います。サクラの枯れ枝の様に、私たち人間にとっても良くない部分を取り除いて、気持ちを新たにして行くのはとても大切なことのように感じます。

 

 私は「旅する禅僧」の記事を書くことをきっかけに、旅の助けになればと英語の勉強を始めました。しかしコロナの影響もあって、ここ数ヵ月すっかりサボってしまっていました。そんな自分と別れを告げて、心機一転また春から少しずつ勉強を再開しようと密かに思っています。

 

 昨年度は、緊急事態宣言やコロナ禍による新たな生活様式という事で、慣れない毎日で様々な気苦労のある生活でした。そして今まで普通に過ごしていた日常が失われてしまった一年でした。私のように今まで続けてきた事が中断してしまっている方もいらっしゃると思います。

 

 姿形はだいぶ変わってしまいましたが、新たに復活してきれいな花を咲かせたサクラの木を朝課の後に眺めるのが最近の日課となっています。4月からの新年度から新生活が始まる方も多いと思います。気持ちを新たに、皆様にとってより良い一年になる事を心より願っております。

 

〜旅感〜

 皆さまはじめまして。秀隆(シュウリュウ)と申します。

旅する禅僧執筆メンバーの方とご縁をいただき、今回投稿する運びとなりました。メンバーの皆さまと違い浅学非才の身ですが、有り難きことと思い、書かせていただきます。宜しくお願い致します。

 

 さて、旅する禅僧ということで、「旅」について書きたいと思いますが、皆さまにとって「旅」とはどういったもの(イメージ)でしょうか。現状は新型コロナウイルス感染症の影響により、国内外ともに「旅」することが難しくなっておりますが、私にとって「旅」はとても身近なものでした。

 

というのも、私の師匠が住職になる前、旅行代理店に勤務していたという経緯もあり、毎年家族旅行に連れて行ってもらっておりました。

 

その影響からか、大学に入学してからも旅行サークルに所属していましたし、そして、僧侶になってからは寺社仏閣に興味を持ち、数多くの建物をめぐりました。

 

 「旅」というものは、私のように環境(自分の置かれる立場)によって感覚・景色が異なってくるものと思います。一度訪れたことのある場所なのに、違った場所に見える、もちろんその場所自体が変化していることもありますし、一人で行くのか・誰かと行くのかにもよりますが、それも一つとして新たな“気付き”がある。

そのような体験が皆さまにも一度はあるのではないかと思います。

「旅」は楽しいものでもありつつ、新たな発見をくれる学びでもあると思います。

 

 

 

 私は、昨年・一昨年と仏教の聖地であるインドを訪れることができました。僧侶にならなければ行くことがなかったであろう、という言葉が出てしまうほどインド国内でもかなりの田舎でした。ただ、僧侶として生きさせていただいている今だからこそ訪れてみたいという思いが強くありました。

 

 日頃、お唱えしているお釈迦さまが実在し、どんな道を歩まれたのか身をもって体感できたことは自分にとって大きな財産です。本来、ここでその体験をお話したいのですがうまく言葉に出来ません。自分が浅学非才の身であることに違いないですが。

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ブッダガヤの町を歩く筆者

 各聖地をめぐって、礼拝し、ただ坐る。それは、なんとも言葉にならない安らかで心地の良いものでした。いつかこれを自分の言葉にできるまで、また何度でも訪れたいと思わせてくれる場所でした。


なんだか、歯切れの悪い文章で申し訳ありません。

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釈尊成道の地ブッダガヤ大菩提寺内・初転法輪の地サールナートでの坐禅

 

 最後に余計な話を一つ。

 

 私は先に申した通り、小さい頃から旅が身近であったため乗り物が好きになりました。毎月発行される分厚い辞書のような時刻表は皆さんご存じでしょうか?漫画やゲームではなくそれを、毎月買ってもらうのが秀隆少年の楽しみでありました。インターネットが普及した今、なんでも調べられるのであまり需要はなくなりましたが、今でもたまに購入して眺めています。目的地を定め、どうやって乗り継いで行くか。路線図を見ながら、自分自身で調べて
いく「脳内旅行」を楽しんでいます。

 

コロナ禍で気軽に出掛けることのできない今、皆さまもぜひ一度お試しください。笑

 

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分厚い時刻表。脳内旅行のお供におすすめ。