旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

「この目で」感を大切に

みなさん、こんにちは。向月です。

ずいぶん秋も深まってきました。

秋といえば何を思い出しますか?

食欲、芸術、スポーツ、お月見などなど沢山ありますね。

最近のテレビやインターネットでは、満月の度に「○○ムーン」と名前が紹介されます。

 

ある満月に日、私は兄と2人で綺麗な月を見たいという話をしました。
夜になったら、望遠鏡をお寺の境内に引っ張り出しお月見をしよう
ということになりました。

しばらく使っていなかった望遠鏡は埃をかぶっていたので、

昼間のうちにキレイに掃除して夜を待ちます。

 

その日は所々に雲が出ているものの月はしっかりと出ており

綺麗な満月の夜となりました。

望遠鏡を満月に向けてセット。覗くとまん丸の満月です。

肉眼で見ると暗闇に浮かぶ「光の玉」ですが、望遠鏡でみると

くっきりとした月です。

クレーターもしっかり見えます。

私はこの満月を写真に残したいと思いました。

 

月の写真はプロが撮った綺麗なものがネットなどでも見ることができます。

それなのに、自分で撮って見たくなったのです。

本当にみんなの撮っている満月が、今私の見ている満月なのかを

この目で確かめたかったのです。

(普通に考えれば当たり前なのですが・・・)

 

しかし、私の手元には携帯のカメラしか撮影機材がありません。

携帯をそのまま満月に向けても「光の玉」がぼんやりと映るだけで、

私の撮りたい輪郭やクレーターがハッキリとした満月は撮ることができません。

そこで、望遠鏡の目を当てる部分に携帯のカメラをくっ付けて

撮ってみることにしました。

これが半分成功で、半分失敗の結果となりました。

携帯と望遠鏡がしっかり固定できないため、何回とってもブレてしまいます。

ブレずにとれたとしても満月には見えません。

綺麗な満月を撮りたくて2時間くらいアレコレと試したのですが

やはりうまくいきませんでした。

 

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(携帯電話のカメラでは、これが限界でした・・・。)

 

満月を綺麗に撮ることを諦め夜空を見上げたら、満月は西に傾き

少し雲に隠れ始めていました。

隠れ始めた満月を見たとき龍樹菩薩の「指月の譬」(『大智度論』)の

話を思い出しました。

これは、

 

「月をさす指を見るのではなく、月そのものを見なさい」

 

というものです。

仏様の教えを月に、教えを表現した経典や論書などの言葉を指に例えた話です。

大切なのは教え(真理)そのものであって、それをさす指(言葉)は

道具でしかないといえます。

 

写真を撮ることを諦めて夜空を見上げたとき、それまでは望遠鏡や

携帯のカメラばかり見ていた自分に気がつきました。

本当は、自分の「この目で」見上げた月こそが一番綺麗だということ

がわかったのです。

自分自身で体験したこと、自分の目で見たもの、そういうことから

得られる感情を大切にしていきたいと思いました。

 

 

また別の旅では「お肉は食べていいの??」と聞かれたのですが、その話はまたいずれ。