旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

Happy Birthday Buddha

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みなさん、こんにちは。慧州です。

明日4月8日はお釈迦様の誕生日。

日本全国のお寺では降誕会(ごうたんえ)という名でお祝いをする法要が行われ、私のお寺でも誕生仏に甘茶(あまちゃ)をかけられるようになっています。

伝説によれば、お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩き、右手は天に、左手は地に向かって指をさし、天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という有名な言葉を告げたと言われています。

 

実は私がこの言葉を初めて知ったのは、お釈迦様の逸話ではなく、バスケットボール漫画のスラムダンクでした。

主人公である高校生桜木花道のライバル流川楓

絶対的な実力と自信がある彼は、他人へパスを出すことなく、ドリブルだけで相手に挑み、抜き去ります。

一見すればわがままな選手、しかし圧倒的だからこそ周りも認めています。

そんな彼を周りは「天上天下唯我独尊」と称するのです。

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物語後半、絶対王者である高校との対戦を迎える流川たち。

しかし、まるで歯が立ちません。

いくらドリブルをしても相手にボールを取られてしまいます。

するとあの流川が味方にパスをし始めましたのです。

そして、試合を観戦していた他の高校生が驚愕してこうつぶやきました。

「あの・・・・天上天下唯我独尊男がパスを!!」

私はこの場面を見てから、「天上天下唯我独尊」とは、どこか自分よがりでわがままな印象を持っていました。

しかしお釈迦様はそういう意味で自分を讃えたわけではありません。

  

話はすこし変わりますが、私の誕生日はちょうど一ヶ月前の3月8日です。

毎年誕生日を迎えると、いつも恥ずかしい思いと一緒に記憶が蘇るのが友達との誕生日会でした。

小学生の頃、大勢の友達を呼んで誕生日会を開催するのがクラスの流行りでした。

私も人数が多ければ多いほど嬉しいという幼心からか、自分のクラスだけでなく、隣のクラスの子も呼んだりもしていました。

今考えるととても気恥ずかしいことをしたなと思いますが、当時は必死でした。

なぜなら自分の誕生を祝ってくれる人が多ければ多いほど幸せじゃないかと信じていたからです。

まるで自分の存在を認めてもらいたいという欲求がこの身を渦巻いていたのです。

 

友達の数、財産、能力などといった条件付きの「私」しか認めず、人と比べて良い悪いなどと考えてしまいがちな私たち。

ですが、「天上天下唯我独尊」という言葉はそれを否定します。

お釈迦様が生まれた瞬間に「天上天下唯我独尊」とおっしゃった真意それは「この世界でただ一つの、代わることの出来ない命として、そのまま尊いということなのです。

そして同時に大事なことは、この言葉の裏には「共にこの世界を生きる他者も同じく尊いという意味も含まれていることです。

なぜなら他者がいるからこそ私という存在があり、私という存在があるからこそ他者がいるからです。

 

例えば、流川楓がパスを出さずにドリブルができるのは、いざというときはパスができる他人がいるからです。他人がいなければパスという存在すら生まれません。

そしてそのことに気づいた彼は、パスをすることでドリブルを生かすこともでき、可能性を見出していくのです。

他者がいての私という尊い存在。

当たり前のこの事実にお釈迦様は生まれた瞬間に気づけたからこそ、自信をもって「天上天下唯我独尊」と説かれたのではないでしょうか。

 

年をとるにつれ、自分の誕生日のことを忘れてしまいがちです。

でもやっぱり誰かが「おめでとう」と言ってくれるその優しさと、生かされているこの命に感謝したいと改めて思います。

「お釈迦様、お誕生日おめでとう!」
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