旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

固かったタケノコ

みなさんこんにちは!光彬です!
今年はなんだか雨が多いような気がします。
梅雨ということもありますが、
九州地方の大雨による自然災害やコロナウイルス
再度蔓延など、気持ちが落ち込んでしまいがちです。
いかがお過ごしでしょうか?


今日は私が以前しでかした
失敗のお話をさせて頂きます*


少し前の春半ばのことです。
東京の修行道場で典座寮(てんぞりょう)という
食事を司る部署に配属されて1年と少し
経った時でした。
修行僧の師寮寺(師匠がいらっしゃるお寺)から
筍の頂き物をしました。群馬県から送られてきたもので
新鮮取れたてのものを送ってくださり、
「どうか皆様でお召し上がりください」と丁寧なお手紙まで添えて送ってくださいました。

大きいものがゴロゴロ入っていて、茶色い皮にはまだ
水滴や土が付いており、鮮度が良いことは見てすぐに分かりました。さっそく修行僧と一緒に筍の下処理をするために皮をむき、灰汁抜きの支度を進めました。

ちょうど去年の同じ頃にも、違う県からですが
筍を送って下さったお寺がありました。
その時には上司が下処理の仕方を調べて下さり一緒にさせて頂きましたが、今回は自分が上に立って下処理をさせて頂きました。
手順や方法は分かっていたので難しくはありませんでした。

灰汁抜きまでの処理が終わり、
大鍋から取り出した筍からはそのまま
食べてしまいたい位良い香りが立ち込めました。
処理が終わったのが夜の7時過ぎだったので、
その筍は次の日の薬石(お夕飯)で出すことになりました。

次の日、筍を使った料理に取りかかりました。
しっかりと下処理が出来たので、調理してさらに
美味しくなるであろうことにうきうきしながら
作業していました。

食事の時間ギリギリに出来上がり、熱々の状態を
なるべく保って出すことが出来ました。
修行僧のみなさんも指導役の僧侶の方々も
美味しかったよ!と言ってくれました。

その中で、ある指導役のご老僧からこんな
お言葉を頂きました。
「味は良かったけど、少し筍が固かった。三徳が備わってない食事でしたね。」と。
一瞬驚き、失礼致しました。とだけ言いましたが、
何が悪かったのか気が付くのに少し時間が掛かりました。


余った料理をもう一度食べてみました。
固さも味も、冷めても美味しいように自分では
感じました。
筍が硬いだけでどうしてあのように言われたのだろうと
次第にモヤモヤした気持ちが溜まっていくのを感じました。

薬石のあと、私はそのご老僧のお部屋に呼ばれました。
筍の件だろうと思いましたが、案の定そのことでした。
まず筍のことをお詫びしましたが、他に何がいけなかったのかを伺いました。

きれいに作られていて灰汁の渋みもない、
調味料がバランス良く使われていて
口当たりは良かった、けれど、私のような年の者には
あれくらいの柔らかさの筍でも硬いし大変なんだ。と
仰いました。
私は"三徳が備わってない"と言われたことを
そこで気が付きました。

福井県永平寺を開かれた道元禅師様が
典座教訓という著述を残されました。
この中には食事のこと、1日の仕事のこと、
作るときの気持ちのことなどが事細かに記されています。
その中に、三徳という教えがあります。
『禅苑清規』に云く(いわく)、「六味精しからず(くわしからず)、三徳給わざるは(そなわざるは)、典座の衆に奉する(ぶする)所以に非ず」

「修行僧のために制定された正しい決まりごとが記された禅苑清規によれば、
六味[苦い・酸っぱい・甘い・辛い・塩辛い・淡い]の
バランスが良くとれ、
三徳[軽軟:あっさりして柔らかくできている]
[浄潔:きれいでさっぱりしている]
[如法作:正しい手順で、正しい方法で調理がされ無駄がないようにされている]
が備わっている食事でなければ、修行僧に食事を供養したことにはならない」とあります。

私は自分が食べるのに肉厚な方が好みです。
また、大きさも精進料理といえど食べ応えがある方が好きなので大きく切っていました。
その日の筍もそのようにしてしまっていました。
いくら灰汁抜きの時に茹でたとしても、それでは
十分に柔らかいか、火が通っているか、全員が全員
この大きさ固さで大丈夫かなど分かるはずがありませんでした。
味付けで美味しくできれば良いという思いから
食べる人への配慮を欠いていたのです。
思い返せば、色んな野菜を何回もそのようにしてしまっていたことに気が付き、その日の食事は供養させて頂いたことにはなっていなかったのだと恥ずかしい気持ちになりました。

修行道場には幅広い年齢層の方々がいます。
好みも違えば考え方もちがいます。
だからこそ、その人たちがどうしたら
美味しく食べられるか、満足してもらえるかを
教えの通りよく思慮して、これからの食事作りに
向けていきたいと思いました。
また、この教えはどんな場所でもどんな立場であっても
通ずる教えであると思います。
ここを出てからもこの日の気持ちを忘れず
向き合っていきます。


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