旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

魔の間

こんにちは。向月です。

秋もだいぶ深まってきましたね。そろそろ冬の準備もしなければと思っています。

 

 

先日、石川県のお寺に行ってきました。

私の修行時代の先輩に会ってきました。

その先輩がご住職になられたので、そのための法要(晋山式)に

参加させていただきました。

修行時代は無口でぶっきらぼうな感じのする方でしたが、

久しぶりにお会いすると温かいイメージの方になっていました。

私以外にも同じ修行道場出身の先輩方が来ていました。

思い出話や互いの近況報告などで盛り上がりました。

 

最近の私の近況としては、失敗話ばかりです。

修行していた時から「けちらしの向月」とあだ名をつけられるくらい失敗の多い私でしたが、

最近になってまた失敗が増えてきました。(気を付けているのですが…)

 

 

この先輩の法要の中でも少々失敗をしてしまいました。

先輩がお弟子さん(首座)に教化を任せ、集まった僧侶たちと問答を交わす「法戦式」というものがありました。私もこの問答に参加させていただきました。

台本なしで好きなことを聞いてよいと言われていましたので、私も前日までいろんな問答を考えていました。

当日いよいよ大声で言い合う、迫力のある問答が開始されました。

私は4番目の問者です。

3番目までの方も迫力があったのですが、私はそれに負けないように大きな声で盛り上げようとしました。

 

問答の最初は「作者は!!」という文言で始めることになっております。

私も大きな声で「作者は!!!」と言い始めたのですが、大きな声を出すことに気を使いすぎて、せっかく考えた質問が頭から吹き飛んでしまったのです。

声を出しただけで忘れるものだろうかとお思いでしょうが、

実はよくあることなんです。

本当に真っ白でした・・・。

第一声の後、空白の時間ができてしまいました。

たぶん、2~3秒ほどだったと思います。私にはとても長く感じましたが。

必死に思い出そうと頭の中の引き出しを探し回っていました。

その2~3秒後、やっと質問を思い出し何とか問答をすることができました。

 

 

式が終わって、先輩方や僧侶の方からなぜかお褒めのお言葉をいただきました。

「あの場で大きな声を出した後、わざと黙って間を作るとはなかなかできない」と。

本当は違うんです。頭が真っ白になっただけなんです。

私にとっては、魔の間だったんです。

 

 

以前、布教(説教)について教えていただいたご老師に

 

「間を恐れるな。静寂を作れ」

「立て板に水のような話ではだめだ。人は静寂の中の音を聴く。」

 

と言われたことがあります。

今の世の中、たくさんの音で溢れていて、いい音や話だけを聞くことはなかなかできません。うわさ話や、いやな音。聞きたくないもので溢れていると感じます。

そんな時代だからこそ、人は静かなところから出てくる音に注目するのでしょうね。

失敗談から「静寂(間)」についてご老師からの言葉を少しだけわかった気がします。

 

 

また別の旅では「星の話をする人」との会話でたくさんの共通点を見つけたのですが、その話はまた今度。

f:id:tabisuruzensou:20191113101120j:plain

(先輩のお寺に通ってくる猫です。法要の日も本堂の外から眺めていました。)