旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

カステラと餓鬼

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こんにちは、慧州です。今日は「食欲の秋」にちなんで、修行時代に感じた「食欲」についてお話したいと思います。

 

私たちは生きている以上、何かを食べなければなりません。食欲は一生付き合っていかなければならない本能だと言えます。しかし、今の日本において食欲とまともに向き合うこと、例えば飢えを覚えるような経験をすることがあまりないかもしれません。私の場合は修行中に生まれて初めて自分の食欲と向き合うことになりました。

 

修行中の食事はいわゆる精進料理と呼ばれるもので、とても質素です。朝はお粥に梅干し、ごま塩だけ。昼はご飯、味噌汁、漬け物におかずが一品。夜はおかずが二品。想像するだけで足りないだろうと思われるかもしれません。

 

修行道場ではおかわりができるご飯や味噌汁ばかりたくさん食べた結果、栄養が偏って脚気(かっけ)という病気になってしまうことがあります。そのため、先輩和尚さんからは「おかわりばかりするな」と注意されます。

 

しかし病気になると分かっていても、おかわりをやめることができません。決して量が足りないわけではないにも関わらず、食欲が止まらないのです。ひどい時には隣りの人に配られたおかずの量を気にしてしまうほど私は飢えていました。

 

そんなある日、仏さまにお供えしていたお菓子が沢山余ったことがありました。あまりにも多くあったため、このままでは廃棄するしかないお菓子。私は羨望のまなざしで積まれたお菓子を見ていました。

 

すると、私の様子を見かねたある先輩和尚さんが菓子箱を1箱渡してくれました。

 

「これあげるから、今のうちに食べちゃいなさい」

 

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まさに天からの恵み。早速箱を開けると、そこには箱一杯に詰められたカステラがありました。頭の中には様々な選択肢が巡ります。カステラを今この場で全て食べてしまうか、それとも小分けにして少しずつ食べるようにするか、あるいは持ち帰って他の修行僧たちとみんなで分け合うか。しかし私は迷うことなく、カステラをかぶりついていました。まるで恵方巻のように一人黙々と1箱まるごと食べてしまったのです。

 

カステラ1箱を食べてしまった私は、当然お腹を壊し、薬石(やくせき、夕食のこと)を食べることが出来ませんでした。事情を知らない他の修行仲間は私を気遣ってくれます。まさかカステラを独り占めしたからなんて口が裂けても言えません。一人悶え苦しむその姿は自業自得で、まさに餓鬼(がき)としかいいようがないものでした。


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(あらゆる食べ物・飲み物が全て火になり、満たされることがない餓鬼)

 

禅僧が使う食器の名前を「応量器(おうりょうき)」と言います。字義通り、「食事をいただく人の量に応じた器」という意味です。本来であれば、自分の量をわきまえていただくことが大切な修行となるわけですが、食欲に悩み苦しんでいた私はただ「もっと欲しい」という欲望に振り回されていました。

 

しかし一方で、自分の心が汚く、餓鬼のように弱い人間だと気づけたからこそ、初めて食べ物を無駄にしたくない想いが生まれ、目の前の食事に感謝していただくことができるのではないでしょうか。カステラを見る度に思い出すあの経験は、私の人生にとって大きな財産となっています。