旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

忘れていること

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こんにちは。向月です。

 立春も過ぎ、時々春らしい暖かい日がありますね。

春物を着て出かけるには、まだまだ早いですが。

 

先日、ある方とお話しをさせていただく機会がありました。

それは、阪神淡路大震災(1995年1月17日)でお兄様を亡くされた方です。

その時、次の歌を教えていただきました。

 

「世の中は何か常なるあすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」

 

簡単に意味を書くと、

「この世は、常に同じ状態のモノ(事柄)なんてあるだろうか。(例えば)飛鳥川を見てみると、昨日淵だったところが今日は瀬になっているように」

この歌は、誰が詠んだのかもわかっていません。そこがまた無常観をかき立てるところかもしれません。

 

その方は当時14歳、お兄様は17歳だったそうです。

地震が起こる前日の夜、お兄様とたわいもない喧嘩をしたそうです。

お兄様から借りていた漫画を汚してしまい、そのことを咎められた事がきっかけで喧嘩になってしまった。

その日は、口も聞かずに寝てしまった。次の日の早朝5時46分に地震が起こりました。

家の2階で寝ていたご本人とご両親は奇跡的に助かったが、1階で寝ていたお兄様は逃げる事ができなかったそうです。

お兄様との最後の会話が、口喧嘩だったことにとても悔やんでおられました。

この後悔があるので、今では人と別れる際、笑顔で挨拶をするようにしているそうです。

 

 

多くの方が、いつか死ぬときが来ると頭では分かっていても実感をされていない。

生きているのが当たり前に感じていると、いつか来る「死」のことを忘れてしまいます。

その時が来たとき後悔しない方法があるとすれば、今を一生懸命生きると言うことではないでしょうか。

最初に書いた歌の意味も、常なることなどないという無常観を表しています。

常では無いからこそ成長できるし、常では無いからこそ今を生きることができるのではないでしょうか?

 

震災に遭われた方とお話しさせていただいてから、改めてこのことを考えさせられました。あとどれだけ私に時間が残されているのかわかりませんが、何事にも一生懸命に自ら関わっていきたいと思うのです。

 

 

また別の旅では「名も知らぬ友人」ができたのですが、その話はまた今度。