旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

目に見えない利他

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 こんにちは、慧州です。今回は三年前、北欧の中でも北極圏にほど近いアイスランドという国に行った時のお話をしたいと思います。アイスランドは名前の通り、国土の11%が氷河に覆われていますが、200をも超える活火山を有した火山島でもあるため、「氷と火の国」という何ともファンタジーな異名を持つ国です。特にユーラシアプレートと北米プレートの境目にあるアイスランドでは地球の割れ目「ギャウ」を見ることができ、その雄大な自然や、プレートを通じて日本と繋がっている事実には圧倒されるばかりでした。

 

 そんなアイスランドですが、私が首都レイキャヴィークを観光していた時にある光景を目にしました。町中を歩いていると、門扉に多くの手袋が刺さっていたのです。門には「Single Gloves片っぽの手袋達)」と書かれており、そこはまるで手袋の迷子センター。でも、手袋達は迷子になっていても淋しそうには見えず、むしろ賑やかな雰囲気でした。手袋が必要な寒い国だからこその光景ですが、どこか温かく、ぬくもりのようなものをそこから感じました。

 

 手袋を片方無くしてしまうと、もう片方の手袋だけを使うことは出来ません。それを知ってか、アイスランドでは落とし物の手袋をこの門に置いていくのが習わしになっているのです。手袋を届けたところで相手に感謝されるわけではありません。また、おそらく門の所有者も快く門の使用を許可してくれているのでしょう。見返りを求めているわけではなく、ただ困っている人を助けようという思いだけで生まれた場所なのです。 

 

 日本でも落とし物をしても当たり前のように見つかると、観光に来た外国の方から驚かれることがあります。よくニュースでは「平和な国だから」とか、「日本人ならではの集団意識」とか、「落とし物は交番に届ける共通認識がある」とか、「謝礼が法律で決められている」などと、様々な要因が挙げられています。しかし何よりも大きな要因となっているのは、この落とし物がなくて困っているだろう人を想像する力だと私は思います。

 

 仏教では自分ではなく他人の幸せの為に行う行為を「利他」と言い、大事な修行の一つとされています。私たちは何をするにも目にみえる見返りばかり求め、それによって相手を図ったり、自分の価値を確かめようとします。しかし、本当に大事なものは目に見えないものではないでしょうか。アイスランドで見た光景からは、他人に思いを馳せることの大きな功徳と同時に、自分や他人に左右されない揺るぎようがない幸せを実感するのです。

 

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