旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

悉有仏性

こんばんは、禅信です。

 

今年も残すところ半月余りとなりました。

振り返ってみるとあっという間だったなというのが本音で、

今年も一年忙しくも楽しい日々を過ごしました。

 

歳を越す準備として、お墓参りや年回忌法要をお勤めする方も多く見受けられ、

最近では、平日にも法事を勤めさせていただくことも多く、

本日も午前、午後と2度本堂に於いてお檀家様と共に1周忌法要をお勤めさせて頂きました。

 

はじめに、般若心経を読経してお釈迦様へのご供養をしたのちに、

1周忌法要の読経へ続きます。

 

ご焼香の案内をしてふと塔婆に目をやると「大円鏡智 経曰 一切衆生 悉有仏性」

大円鏡智は四智の一つで、大円鏡という鏡は私たちの善も悪もありのままに写すものです。

経に曰く(大般涅槃経の一節を示して曰く)

一切衆生 悉有仏性

「私たち生命は ことごとく仏性(お釈迦様の姿、心)を備えている」

直訳するとこのように受け止められます。

 

住職の書く一周忌の塔婆には必ずこの一節が書かれてあります。

 

「一切衆生 悉有仏性」の教えは、私が高校生の時に道元禅師の礎石地を巡る旅行に参加した際、事前に行われた授業の中で、

 

 道元禅師が比叡山で修行をしていた幼少の頃このお経を知り、

 「仏性を備えているのに、なぜ修行をしなければならないのか?」

 と疑問に思ったそうです。

 

 先輩の僧侶や、老僧に問うてもなかなか腑に落ちる答えが聞けずに、

 

 道元禅師はいよいよ宋に渡り、禅の修行に行きつきます。

 

 そこで様々な師である如浄禅師や老典座との様々な出会いがあり、

 多くの僧と共に修行

 する中で、坐禅 読経 食事 掃除などすべてが仏道であり、

 我々が仏性を備えているからこそ仏道を修行する事ができるのであると

 答えを出されたのである。

 

と、先生からご教授頂いたことを思い出しておりました。

 

この一切衆生 悉有仏性の文字を観て、読経の中ご家族が焼香する姿に目を移すと

その姿はなんともまっすぐな姿、心に映りここにも仏性が備わっていることを実感しな

がらお経の声にも力が入りました。

 

一年を振り返ればいたずらに時を過ごした日々も沢山ありましたが、残りの半月間

仏性を備えた生活を修行したいものです。

 

いぬ