旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

一日を丁寧に生きる

 

こんにちは。拓光です。

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春風が肌に心地よい季節となりました、皆様お元気でしょうか。

年度始めに目標を立てて、今現在も努力をしている、そんな方も中にはいるのではないでしょうか。

私もその中の一人で目標を「一日を丁寧に生きる」にしました。

道元禅師様は正法眼蔵という著書の行持の巻でこのような教えを残されています。

「たとひ百歳の日月は声色の奴卑と馳走すとも、そのなか一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。この一日の身命は、たふとぶべき身命なり、たふとぶべき形骸なり。」

この教えを簡単に説明しますと「私達が百年という長い年月を無駄に過ごしてしまったとしても、もし一日でも仏道修行を実践したのならば、それはこれまで無駄にしてしまった百年間を取り戻すだけではなく、更に次の百年分の人生までをも救うことができるほどなのである。

だから仏道修行をするこの一日の命というのは尊ぶべき命であり、仏道修行を実践できるこの身体は尊ぶべき身体である。ということです。

つまり道元禅師様は仏道修行を実践する一日の尊さをお示し下さっているのです。

話は戻りますが、何故私が目標を「一日を丁寧に生きる」にしたのかと言いますと、昨年亡くなった先代の住職でもある私の祖父が、この一日を丁寧に生きるということを大切にしていたからです。

祖父は生前私に、先程紹介した道元禅師様の教えのように日々仏道修行を実践することの尊さや、一日を生きることの有り難さについて教えてくれました。そのことを教えてくれた日はたわいもないいつもの日常の日でした。

高齢でありながら僧侶として毎日を忙しそうにしている祖父に対して、ある時こんなことを聞いてみました。

「もう90歳を過ぎているから僧侶であることを忘れて、何もしない一日を過ごしてみたい、無駄だと思えることに没頭したい。そんな日を過ごして休んでみたいと思うことはないですか。」

このように問いかけてみると、先程までにこやかにしていた祖父の笑顔が消えこのように返ってきました。

「あなたの言う何もしない一日や、無駄だと思えることに没頭する一日を過ごすというのは具体的にどう過ごせばいいの?」

祖父から思いがけない質問が返ってきたので、その問いに対し私は少し考えてから
「私だったら自分の趣味に没頭したり、家族と温泉旅行に行って来たりするとかですかね。90歳を過ぎているのだから、何日かはやらなきゃいけないことを後回しにしても罰は当たらないと思いますし、私だって年に何日かは、昨日頑張ったから今日はやらなければならないことを後回しにしてしまおうといった、そんな無駄な一日を過ごしてしまうことがありますよ。」

と返すと祖父は

「なるほど。家族と温泉旅行に行ってゆっくりするのは悪くないかもしれない。でも与えられている命を無駄にして過ごすのはよくないね。もしかしたら明日突然あなたも私も死んでしまうかもしれない。明日という日が来る保証は誰にもないのだから、今日やらなければならないことは、明日に先延ばしにするのではなく今日やらなければいけないよ。今、与えられているこの一日の命を丁寧に生きなさいね。それこそが僧侶として行わなければならない仏道修行の一つだよ。」と助言を受けました。

そのように助言を受けた私は、明日という日が来るのは当たり前のことであると考え、一日を丁寧に生きるという仏道修行をないがしろにしてしまっていることに気付かされました。

祖父は私に、命が今あるというのは年齢問わず当たり前にあることではない。だからこそ今この一日を丁寧に生きなければならないという当たり前であるがゆえに見過ごしてしまいがちになることを改めて教えてくれました。

先程紹介した「この一日の身命は、尊ぶべき身命なり」という教えで道元禅師様が私達に伝えたかったことは、明日という日が訪れるかは誰にもわからないから、まずは今与えられているこの一日を丁寧に生きるという仏道修行に励みましょうということなのではないでしょうか。

この一日を丁寧に生きるという仏道修行は僧侶だけではなく、誰でも今から実践することが出来ることです。一日を丁寧に生きることとは、毎日の生活を有り難いと思って生きる、つまり感謝の心を持って生きることだと私は思います。

例えば私達が毎日頂く食事一つにしてみても、まず天候に恵まれて、生産者がいて、流通を支える人がいて、調理する人がいて、沢山の繋がりがあってはじめて目の前に食事が並びます。感謝の心を持って生きるとは、こういった全ての繋がりに気付き感謝をすることです。

もしこの繋がりに気付かなければただの食事ですが、このことに気が付けば感謝の気持ちを持って食事をいただくことが出来ます。こういった感謝の心を持つことは食事だけではなく、どんなことにも共通して言えることです。

道元禅師様教えの通り、ただ毎日を漠然と生きるのではなく、これから尊い一日が始まる。後悔のないように丁寧に生きよう。そんな気持ちを持って過ごして頂けたら嬉しく思います。

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