旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

OHIGAN×WBC

3月も月末を迎え、すでに令和5年の第一コーナーを曲がり終わりそうな今日この頃。皆様、如何お過ごしでしょうか。こんにちは。俊宏です。

 

 

 

ついこの前まで「あけまして~」って言い合っていたのに、いつの間にか雪も消え、さくらが咲くとか咲かないとかワーワー言っておりますけども、3月というこの時期は、『春のお彼岸』の期間でもあります。この原稿が上がってる頃にはすでにお彼岸も終わりを迎え、少しほっとしてるご寺院様も多いのではないのでしょうか。

 

 

 

先日、私の師寮寺に於いても春季彼岸会を無事終えたのですが、ちょうど法要の時間がWBCワールドベースボールクラシック)の決勝戦の放送時間と丸被りだったんですよね。。。

 

 

ミーハースポーツマニアの私にとりましては、ある意味この春彼岸会よりも楽しみにしていたので(笑)、なんだか感情がわけわからんくなっておりました。

 

 

結果的にはめでたく侍JAPANは優勝を果たしたわけですが、その瞬間をオンタイムで観ることが出来なかったのは未だに悔いが残ります。前回大会から約6年間待ったのになんでこのタイミング、、なんて思ったりもしましたが、準決勝のメキシコ戦を終えた後の記者会見での大谷選手の一言を聞くと、むしろ自分にとってはお彼岸期間のこのタイミングで良かったのかなと考えを改めさせられました。

 

「日本代表のチームの勝利より優先する自分のプライドはなかった」

 

チームスポーツの野球であれば、このような考えは当たり前なのかもしれませんが、ある意味そういった観念を押しのけて、すこし我を出したプレイを選択しても、大谷選手であれば誰も文句の付けようもないと思ってしまいますが、そんなスーパースター大谷翔平の自己犠牲的なプレイについての記者からの質問に対しての返答がこの言葉でした。

 

 

 

かっこいい。その一言に尽きますね。しかし、この発言の内容は決して野球などのチームスポーツの中に限った考え方ではなく、我々の日々の生活に於いても必要な概念なのではないでしょうか。

 

この数年は特に新たな考え方や概念、社会的に認められた新しい権利が世界の認識を塗り替えていっています。しかし、あまりにも性急すぎるその流れの速さをもてあましてしまってるように思うのは私だけでしょうか。

 

いきすぎた「寛容」は「不寛容」と何ら変わらないなと犇々と感じております。いずれにしてもこの現代では「個人」としての質量とか範囲が、過去と比べると大きく・広くなっているように思えてなりません。そんな世の中でのこの大谷選手の発言は、非常に感じ入るものがあります。そして、そんな「我執」を戒め、自己を振り返る期間とされているこの「お彼岸」の期間に大谷選手の口からこのような言葉を聞けたことは自身の立場的にてらしても、うれしく思いました。

 

 

また、入稿日ギリギリになるWBC期間の今の今まで何を書こうかテーマすら決めていなかった不精な私に、こういったインスピレーションを与えてくれたという意味も込めても、すごく、すごくうれしく思いました。助かりました。大谷選手、いや、大谷様。夢と感動、そして救いを与えてくださいましてどうもありがとうございました。         

                                     敬具