旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

好き過ぎて辛い

こんにちは。拓光です。

とうとう11月も後半に入り寒さが増してきました。そろそろ本格的に防寒対策をしなければと思っています。

 

先日ふとテレビを見ていたらドラマ内でこんなセリフを耳にしました。

 

 

「好き過ぎて辛い」

 

 

「いやいや、それってどんな感情だよ」と思っていたところ、隣で妻が「うんうん、わかるよその気持ち」と言っていました。

妻が言うには、好き過ぎて辛いとは好きが溢れすぎて、気持ちの行き場がなくて辛いという意味らしいです。

私達人間は自分の思いを他者に伝える手段として言葉を交わして、意思疎通し、お互いを理解し合います。しかしその反面、暴言で他者の人格を傷つけてしまうこともあります。

もし現実の世界で自分が好意を寄せている方から「好き過ぎて辛い」と言われたら、とても嬉しい気持ちになると思いますが、それがもし全く関わりのない方から言われたのであれば、有難迷惑に感じたり、時には恐怖を感じたりするかもしれません。

同じ言葉であったとしても誰に言われるかで相手の反応も変わります。

 

私は幼少期に学校などで「自分がされて嬉しいことは相手にもしましょう」また同様に「自分がされて嫌なことは相手にしてはいけない」と教わりました。当時この教えを聞いてその通りだなと思い、言葉の扱い方や行動もそのように実践をしてきました。

 

お釈迦様の教えを記したスッタニパータという聖典の中には「自分を苦しめず、 また他人を害しない言葉のみを語れ。これこそ実に善く説かれた言葉なのである」という教えがあります。

この教えを学んでから「自分がされて嬉しいことは相手にもする」「されて嫌なことは相手にはしない」という考え方では人の価値観や基準は人それぞれ違うため、その価値観のずれから、時に誰かを行動や言葉で意図的に、無意識に傷つけてしまうのではないかと思いました。

私達の行動や言葉で人を傷つけないためには、お釈迦様の教えのように一度自分という概念を捨てて、シンプルに「相手がされて嬉しいことをする、相手がされて嫌なことはしない」という考え方を持って生きていくべきなのではないでしょうか。

  まさに私達の言葉は癒しにも武器にもなります。言葉の大切さを深く心に刻み扱いたいものです。