旅する禅僧

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雨二モマケズ風二モマケズ

みなさん、こんにちは。慧州です。前回7月に書いた記事につづいて、今回も6月にお参りした比叡山延暦寺での出来事を記したいと思います。最終日は夜中2時から始まりました。なぜそんな早くに起きたのか申しますと、回峰行という修行を体験するためです。

 

回峰行とは一定期間比叡山内を歩いて礼拝して回る行のことを言います。「動の回峰行」と呼ばれるように身体的に過酷なものとして、延暦寺の中でも厳しい修行の一つとされています。いわゆる千日回峰行と呼ばれるものが有名で、約1000日もの期間を7年かけて歩き、例え雨風がひどくても、あるいは体調が優れないときであってもやり続けなければならず、もし途中リタイヤするのであれば、死を選ぶしかないとされています。

 

毎年3~9月頃、毎朝行われる回峰行は次のような行程となっています。まず毎晩深夜2時に無動寺というお寺を出発し、東塔、西塔、横川、坂本の日吉大社とお参りをします。そして朝方には再び無動寺へ戻ってきて、比叡山内を一周して回ります。その間、決められた場所ごとに真言と礼拝を行いますが、その対象はお寺や神社といった建築物だけでなく、ご神体とされる岩や木など、自然そのものに対しても行います。

 

今回は体験ということで一日だけの回峰行。それでも約20キロ近くを6時間ほどで走破しなければなりません。本来は一人でやる修行ですが、今回は他の僧侶の方と一列になっての行進でしたので心細くはありませんが、運動不足気味な私にとって果たして完走できるか心配でした。幸い天気は晴れです。

 

最初に根本中堂前で般若心経を唱えます。ただお唱えの声だけが響き渡る中、これから始まる回峰行に心の高ぶりを感じました。目の前の比叡山の森は真っ暗闇で、鳥の声もあまり聞こえず、静けさだけが広がっていました。回峰行中は私語厳禁です。小さなライトを片手に歩き始めると、ただ足音だけが響いていました。

 

空を見上げると、星いっぱい広がっていました。東京出身に私にとっては見慣れない光景であり、思わず吸い込まれそうなその景色に圧倒されました。多くの回峰行者がこれを見上げながら、宇宙とのつながりというものを感じていたのだろうかとも思えました。

 

途中、唯一行者が座って休憩できる地点として、玉体杉という場所があります。そこは京都御所を含めた京都の町並みが見えるぽっかりと見える場所で、御所に向かって安寧の祈りをささげます。京都の鬼門を守る比叡山との関係を感じさせる場面です。

 

北に進むと、横川に到着します。ここは最澄の弟子である慈覚大師円仁(794〜864)が開かれた地であり、おみくじの発祥とされる元三大師堂や、親鸞聖人、日蓮聖人ら鎌倉仏教の中心を担った僧侶たちも修行していた場所でもあります。真夜中の横川ではありましたが、その聖域において10代の道元禅師も得度をし、そして修行をしていたと思うと、歴史の重みを感じさせます。

 

その後はひたすら日吉大社に向けて南に下っていき、すぐ隣は崖のような道をただ黙々と歩きつづけます。ここからは坂本の町に向かって下山するので、下り坂です。気がつけば4時過ぎ、暁を迎えて少しずつ鳥のさえずりが聞こえはじめ、森は生命を吹き返したように活気づいてきます。日吉大社の頂上にある奥宮に到着する頃には日の出を迎えます。目の前には坂本の町と琵琶湖を一望でき、太陽の恵みを体全体で一身にうけると、ようやく体が目覚めはじめます。頂上にはご神体である大きな岩「金大巌(こがねのおおいわ)」が鎮座しています。どれほどここにあるかは不明でしたが、これだけの石が落石せずにいることに神として崇められた由縁があるのかもしれません。

 

比叡山の総里坊である滋賀院では、朝食のおにぎりをいただきながら、しばし休息。やっぱり外でいただく握り飯は格別に美味しいです。腹ごしらえを終えた一行はいよいよ最後の難関、無動寺谷へと出発します。

 

無動寺谷は下から550メートルまで一気に上る険しい坂道のみです。今まで4時間ほどかけて降りてきた道をわずか1~2時間で上って戻るようなものです。上を見ても先が見えず、足場も悪いことからただ目の前の段差を超えることに専念するしかありません。陽射しも強くなってくることから、思わず汗が吹き出し、息も上がります。しかし、歩き続けなければならないのです。

 

無動寺谷を歩いている際、先導してくださった方はもの凄いスピードで登っていますが、息も上がって折らず涼しい顔でした。お話しを伺うと、その方は小僧時代から回峰行者に傍に付いて身の回りのことを学び、この道も行者が歩きやすいように補修しながら日々上り下りして体で覚えたとおっしゃっていました。そうした長年の積み重ねがあってようやく回峰行のスタートラインに立てるのであり、だからこそ生半可な覚悟で挑む人などいないのだろうとも思えるのです。

 

登り続けること約1時間ほど、ようやくお堂が見えてきました。それは回峰行のゴールである無動寺でした。回峰行者は700日間もの回峰行を終えた後、ここで最も過酷な9日間の断食・断水・不眠不休の堂入りを行います。ここで誓いを立て続け、この行が成就すれば生身の不動明王である阿闍黎と称されるようになるのです。しかも、ここで終わりではありません。さらに300日ほど、しかも比叡山だけでなく、京都御所の方まで回る京都大回りルート、約80キロ近くを歩く回峰行を続けなければなりません。そして、堂入り後の行は自分のためでなく、全ての人々のための利他行とされているのです。このストイックさこそ、不動なる心、揺らぎようのない覚悟なのでしょう。

 

先発隊が無動寺に到着した頃には、最初一緒に出発していた三十名ほどが十名ほどまで減っていました。頭の中では酸素不足から茫然としていると、おもむろに般若心経が始まりました。出発した直後の根本中堂ではあんなに楽だったお経が、無動寺では息がほとんど続きません。こんなに苦しい般若心経は最初で最後かもしれません。こうして回峰行体験を終えました。

 

回峰行は相応和尚(831~918)によって始められました。それは『法華経』の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の教えに倣ったものでした。常不軽菩薩は全ての出会う人に対して次のように説かれました。

私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏となる人々だから」

あらゆる存在に仏の可能性(仏性)を見いだし、相手に敬意を払い、そして仏とみなして礼拝をする常不軽菩薩。それに対して人々は気味悪がり、時には罵声や暴力を浴びせます。しかしそれでも礼拝を続けるその姿には確固たる信念があるのです。ちなみに宮沢賢治が記した『雨ニモマケズ』はこの常不軽菩薩の精神を表したものだともされています。この「人々には仏性がある」という教えが、人々だけでなく、全ての山や川、草木といった自然に対しても仏性を見いだす思想へと変化し、それを体現化したのがこの回峰行における巡礼です。

 

わずか一日の体験ではその真髄は分かりようがありません。ただ少なくとも、今回のような晴天に恵まれることもあれば、雨の日も風の日も、暑い日も、同じ道を歩き続けることは大きな自然の脅威にさらされることもあり、その中で自然との距離というものを否応なく縮まるような感覚を覚えるのだろうと思います。そこには自然に生かされ殺される自分があり、自分の肉体も含めて自然なのだと気づくことであり、だからこそただ感謝するしかないのだと思います。その一端に触れることができただけでも、今回の経験は私にとって忘れられないものになるだろうと確信しています。