旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

挨拶の意味

こんにちは。拓光です。

今年も厳しい暑さになりそうですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。節電も大切なことですが、しっかりと熱中症対策をしてお過ごし下さい。

先日、通夜式の導師を務めさせていただいた時のことです。

斎場に早めに到着し、喪主並びに喪主兄弟に「この度はご愁傷様です。本日の通夜式にて導師を務めさせていただきます。よろしくお願い致します。」と挨拶をし、喪主様からも「この度はよろしくお願い致します。」と互いに挨拶をし終えてから控室で待機をしていると

コンコンとドアが叩かれたので、ドアのほうに目を向けると再び喪主様が挨拶に来てくださいました。

「改めて本日はよろしくお願い致します。故人である父は…」と故人との思い出を語りながら改めて丁寧な挨拶をいただきました。

二度も挨拶に来ていただけるなんてとても丁寧な方だなと思いながら控室で待機を続けていると再びドアがコンコンと叩かれたので、再びドアの方に目を向けると大学生くらいの男性が立っていました。

「どうされましたか。」と尋ねてみると

「私は故人の孫の〇〇と申します。挨拶に伺わせていただきました。」と言われたので

「丁寧にありがとうございます。先程喪主様と挨拶をさせていただいたので気を遣わなくて大丈夫ですよ。」と伝えると

「いえ、私は私で故人に大変可愛がってもらったので別で挨拶に伺わせていただきました。」と喪主同様に故人との思い出話を語りながら挨拶をしていただきました。

お孫さんからも丁寧な挨拶をいただき嬉しい気持ちになったと同時に、はっと気付かされる私がいました。

私は今までは代表して喪主に挨拶をすれば良いと思っていたところがなかっただろうか。皆に話をする場面でその場にいる一人ひとり全員にしっかりと思いを伝えられるように話していただろうかと。

 

この「挨拶」という言葉は、もとは「一挨一拶」という禅語で

「挨」は押す、師匠が弟子に対し仏法(教え)を理解できているかと自ら寄り添うこと

「拶」は迫る、弟子が師匠に対し仏法(教え)の真髄を自発的に追い求めるという意味です。

つまりどちらか一方だけが歩み寄るのではなく、互いが互いに、寄り添い合い、意思疎通して初めて挨拶となるわけです。

人と人との出逢いは必ず挨拶から始まります。自分から挨拶をする際には個人、複数人に限らず、相手にこちらの思いを伝えるだけでなく、しっかりと伝わっているのかを意識することが大切です。逆も然りで挨拶をされた際には相手の思いが自分に伝わっていることを相手に示すことが大切です。

本日は改めて自らを律するために挨拶の意味を紹介させていただきました。今後も皆さんとブログ(挨拶)を通じて、心の交流を深めていきたいものです。