旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

而今に学ぶ。23

 こんにちは。俊哲です。前回の投稿時から比べると、コロナの新規感染者もぐっと減り、町にも少し活気が出てきたような気がします。このまま良い方向へ向かってくれたら良いなと願う今日この頃です。

 

 今回はペルーを訪れた時のことを記します。ペルーと言えば真っ先にイメージするのはマチュピチュではないでしょうか。私もマチュピチュ遺跡を訪れましたが、ペルーに行くからマチュピチュを訪れたのではなく、ブラジルで行われた禅の大会の帰り、マチュピチュを訪れるためにペルーに寄るべく、その旅路に組み込みました。

 

マチュピチュ遺跡に行くためには、クスコという町へと行く必要があります。空港に着いたその時には既に富士山より高い所に位置し、高山病にならぬよう体を慣らす必要があります。町で売られているジュースなどは、少しばかり炭酸が抜かれて売られておりました。私も身体のだるさを覚え、ゆっくりと過ごし身体が順応するのを待ちました。

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クスコの街並み



 マチュピチュ遺跡に行くためには、インカレイルというマチュピチュ遺跡までの鉄道に乗る必要があり、そのチケットを予約する必要があります。

行き当たりばったりな旅をすることも多く、この鉄道のチケットの予約や、マチュピチュ遺跡への入場制限の関係でツアーへと申し込む必要があることを知ったのはクスコの町に着いてからでした。幸い予約はできたものの、説明もそこそこに出発を待つことになり、不安を感じておりました。しかし、まぁなんとかなるだろうと楽観的にも思っておりました。

 

いざ当日になると、私の泊まっていた宿に駅のあるオリャンタイタンボという町まで送ってくれる方が迎えにきてくれ、申し込んだ内容の説明をしてくれました。

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明け方のインカレイル。オリャンタイタンボ駅にて



これで安心、と、電車に乗り込み、車窓から見える景色を楽しみました。

マチュピチュ遺跡のあるマチュピチュ村は、かつて開発に日本からの移住者たちが多く携わったことから、なんとも日本の温泉町のような景色で、日本を離れ数週間が経っていたこともあって、その景色がなんとも日本に帰ることを楽しみに感じたことを思い出します。

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マチュピチュ村とマチュピチュ駅。故郷近くの鬼怒川温泉にも見えた

岩山の頂上にある遺跡へは、バスで向かいます。バスへの乗り継ぎもすんなり終え、遺跡入口前まで着いたところで問題が起こります。

遺跡保護の観点から入場制限があり、ツアーガイドが居ないと遺跡へは入ることはできないのですが、私の申し込んでおいたガイドがそこには居なかったのです。

困っていた所に声をかけてくれたのは、遺跡前で他の団体を引率するガイドの方達で、私が申し込んだペルーの旅行会社へ彼らが連絡をしてくれました。話を聞けば、旅行会社とガイドとの連絡がつかず、別の者にガイドを頼むから2時間待ってほしいと。または、返金するから遺跡には入れない、その2択を迫られることとなりました。

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途方に暮れた遺跡のゲート前



間に入った別の旅行会社のガイド達が非常に怒っていて、電話を一方的に切りました。「同じペルー人として恥ずかしい。これは本当に申し訳ない。」そう謝られ、周囲に居たガイド達と話し合い、急遽アメリカ人の団体の1人のメンバーとして私を加えていただき、遺跡への入場が叶いました。

 

 その経緯を知ったアメリカ人の皆さんにも好意的に加えていただき、また、スポットごとにアメリカ人の皆さんより英語が当然流暢ではない私のために簡単な英語で説明をしてくださりました。

 

 別れ際も私の心配をしてくださり、遺跡のスケールよりも人の優しさに触れました。

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遺跡内の様子。修復作業も続く。



帰りの電車にもスムースに乗ることができ、マチュピチュの余韻に浸っていたわけですが、事件はまだ終わりません。

オリャンタイタンボの駅に着くと、クスコの町への迎えが来ておりません。駅員さんの力を借り、予約した旅行会社に問い合わせると、午前中に連絡してくれた遺跡前のガイドさん達が全てキャンセルしたから迎えはいらないと思ったとの返答がありました。

日も暮れ、日本から遠く離れた地で、なんだかなぁ〜と眺めた夕焼けを思い出します。クスコの町へ帰るのか、今晩は諦めこの町に泊まるのか、そんなことを考えていると、助けてくれた駅員さんが待っていろと言い残し、何処かへと向かいます。しばらくすると、1人の男性が現れました。

 

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日の暮れたオリャンタイタンボ駅前の通り

片言の日本語で「大丈夫です」と言われました。英語も通じず、日本語をほんの少しだけ話されるその男性は、日系4世の方だということがわかりました。旅先で覚えた(覚えたというには恥ずかしいレベルですが)スペイン語でなんとか会話をすると、駅員さんから話を聞き、クスコの町へと向かうバスに乗せてくれるとのことでした。

 

既に予約でいっぱいだったクスコ行きのバスでしたが、1席空けてくださり、チケット代も受け取ってもらえずバスに乗りました。

朝も通った道ですが、朝はワクワクハラハラで走ったのに、心身ともに疲弊と満足感を覚え、何より多くの人が心配してくれ、手を差し伸べてくれたから今日1日が終わるのだと、その手を差し伸べてくれた人達の優しさに目頭に熱を感じました。

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クスコ行きのバス乗り場。辺りはすっかり真っ暗になっていた



往々にして、旅の良し悪しは人との出会いだと思っています。まぁなんとかなるか。そう思って旅をしてきても、どうにもならなかったことも何度もありました。なんとか1日が終わるのは、実際はなんとかなるように、多くの人の支えがあります。日常ではそんなイレギュラーなことはなかなか起こらないとは言え、やはり多くの人の支えがそこにはあります。

私は、困っている方に手を差し伸べることができているだろうか。誰かの日常を陰ながら支えられているだろうか。常にそうした矢印を自分に向ける思い出になっております。

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ペルーで出会った人達は情が深い方が多かった。