旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

いい風呂の日

みなさんこんにちは尚真です。秋も深まり紅葉も見ごろを迎えています。今年は例年より暖かい日が続いていますが、朝晩は随分冷え込むようになって来ました。

 

最近は新型コロナウィルスの感染者もだいぶ減少してきました。これから本格的な冬を迎えるにあたり第6波の心配もありますが、徐々に日常を取り戻しているように感じます。

 

そんな時期に行きたくなるのはやはり温泉ではないでしょうか。冷たい空気の中、暖かい温泉にゆっくり浸かる。紅葉した山々や川の流れを眺めながら身も心も日頃の疲れを癒すには最高の瞬間です。

 

記事の投稿日の二日後、11月26日はいい風呂の日です。なので今回はお風呂について、最近の出来事を含めて記事を書かせていただきます。

 

さてみなさんは入浴中どのように過ごしていますか?ご自宅のお風呂ではリラックスして鼻歌を歌ったり(むしろ熱唱される方の方が多いでしょうか)、最近はスマホなどを持ち込んで長風呂したりする方もいらっしゃるようです。

 

また温泉などに行かれた際には、さまざまなお風呂を行ったり来たりして、コロナ前にはお仲間と談笑しながらのんびりくつろいだりされたことと思います。

 

つい先日、泊りがけの用事があり久々に外泊する機会がありました。コロナ対策がしっかりされているホテルで安心して滞在できましたが、念のため入浴は自室のシャワーで済ませました。

 

久々の外泊で普段より夜更かしをしてしまい、寝るのが少し遅くなってしまいました。朝のお勤めも無いのでゆっくり寝られるチャンスだったのですが、結局いつもの時間に目が覚めてしまいました。

 

朝の早い時間なら空いているだろうと思い、朝風呂に入ることにしました。大浴場に行ってみると、案の定、広い脱衣所にはほとんど人はいませんでした。早起きは三文の徳です。

 

浴室の壁には、コロナ対策として「黙浴」を促す貼紙がありました。「黙食」は耳にしたことがありましたが「黙浴」は初耳で、コロナ禍ならではだなと感じました。

 

その貼紙を見て私は修行時代の事を思い出しました。私たち僧侶の修行道場では、言葉を発することが一切禁止されている「三黙道場」と呼ばれる、三つの場所があります。

 

一つ目は修行の中心であり座禅や寝食を行う僧堂、二つ目はお手洗いを指す東司です。そして三つ目はお風呂、この三つの場所が「三黙道場」とされています。普段から私たち僧侶は「黙食」、「黙浴」の生活をしているという訳です。

 

お風呂は浴司と呼ばれ、浴司の入口には跋陀波羅菩薩(ばったばらぼさつ)様が奉られています。入浴する際には、跋陀波羅菩薩様に向かい入浴乃偈(にゅうよくのげ)を唱えながら三拝、浴司から出た後も三拝をします。

 

また脱衣所内でも脱いだ服はきちんと整えたり、体を洗う際も床に正座したり、お湯を無駄使いしないように体を洗ったりと細かく作法が決められています。

 

これは修行の場において、お風呂はリラックスしてくつろぐ場所ではなく、修行をする上で身心をきれいに保つための場所であるという事です。

 

これは仏教では歩いたり座ったり、そして寝ている時まで、日常の全ての立ち振る舞いが修行であるという「行住坐臥」という教えに基づいています。

 

常に気を張った修行生活はなかなか気が休まる場所がなく、慣れない生活環境もあってかストレスを感じることもあったなと今でも思い出します。

 

今となって思うことは、修行生活という特殊な集団生活をしている中で、お風呂やお手洗いなどの閉鎖的なプライベート空間は、不満や悪口を発散する場所に成り得ると言う事です。

 

よくドラマなどでお手洗いで上司や同僚の悪口を言っていて、実は個室にいる本人の耳に入ってしまったなんてシーンを目にする事があります。「三黙道場」にはそんなケースを防ぐ理由も、もしかしたらあるのかも知れません。

 

たまには愚痴や弱音を吐きだす事によって気分の切替えが出来たり、誰かに相談して良いアドバイスをもらうという事はとても大切な事だと思います。しかし気を付けないと矢印がマイナスを向いた不毛なやり取りとなってしまいます。

 

「懺悔文」という短いお経(偈文と言います)の中でも、私たちが行った過ちは全て「身」と「口」と「意」(心)から引き起こされるとされています。「口は災いのもと」なんていうことわざもあります。

 

「黙食」「黙浴」のように、このコロナ禍の新しい生活習慣として、人前で気軽に話をするのがはばかられるような場面が多くなりました。

 

しかしあやまちを引き起こす機会も減っていると思えば、「黙〇」も感染対策とは別のいい面があるのかも知れません。

 

皆さんもたまにはご自宅などでも「黙食」や「黙浴」を取り入れてみてはいかがでしょうか。さまざまな日常の立ち振る舞いについて振り返ってみると、新しい気づきがあるかも知れません。