みなさんこんにちは。慧州です。7月もあっという間に後半を迎え、暑い日々が続いております。私がいる東京では7月盆でしたので、最近までドタバタしておりました。依然として感染状況は落ち着かないですが、昨年と比べると人々の動きが活発になっていることを肌で感じながら、お盆のお参りをしておりました。
さて話は変わりますが、先月上旬、私は久しぶりに新幹線に乗ってある場所に行って参りました。それは京都にある天台宗の総本山、比叡山延暦寺です。宗派を超えて三十人ほどの僧侶が集まる二泊三日の研修会に参加するためです。
延暦寺に行ったのは中学校の修学旅行以来で、約20年ぶり。当時の記憶はほとんど残っておりませんが、なんとなく山奥のお寺にお参りした思い出だけが残っていました。しかし、今は僧侶となってのお参り。伝教大師最澄が開いて以来、多くの祖師を輩出、特に鎌倉仏教の教えを説いた法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、日蓮聖人、そして私が所属している曹洞宗の教えを説かれた道元禅師もかつて修行していた場所であり、期待を胸に抱いてお参りしました。
京都駅から電車、ケーブルカー、ロープウェー、バスと乗り継ぎ、ようやくたどり着いた延暦寺ですが、まずその敷地の広さに驚きました。そもそも延暦寺という一つのお寺があるわけではなく、様々なお堂や塔を総称して延暦寺とされています。その中でも東塔、西塔、横川という3つのエリアで分けられており、私は総本堂の根本中堂がある東塔エリアに滞在しました。以前は修行体験者向けの道場があったのですが、現在はなく、今回はコロナ感染防止ということもあって一般の方も宿泊できる延暦寺会館で滞在することとなりました。
会館からは琵琶湖と滋賀県坂本の町が一望できます。写真は起床時に撮影したもので、朝焼けの太陽、湖、山と、自然の恵みを一身に受けられる光景に感動いたしました。この比叡山という立地は山中にありながら町との接点も感じられる不思議な場所で、後述する回峰行と呼ばれる修行が始まったきっかけにも関わるものではないかと思いました。
研修では、まず全体会として「コロナ禍における仏教伝道について」というテーマを元に意見交換・討論がなされました。コロナ禍になって早くも三年目を迎えているわけですが、これまで当たり前に行われていた対面でのご葬儀やご法事、あるいは法話や坐禅会などお寺の活動がしづらくなった中でいかにして教えを伝えるかというテーマは、仏教僧侶にとっては宗派を超えて抱える大きな問題でもあります。他の宗派の僧侶の方々との交流もめったにないこともあり、活発な議論となりました。
また、起床してからは国宝である根本中堂においてお参りをしました。現在根本中堂は改修工事中ということで、周りは覆いで隠されてはいましたが、中では変わらずお勤めが行うことができます。
ご本尊の前には、1200年以上前から絶やすことなく灯し続けている「不滅の法灯」があります。「油断大敵」の語源の一つともされるこの法灯ですが、単なる灯りではありません。伝教大師最澄は次のように説かれました。
「明らけく、後の仏の御世までも、光伝えよ法の灯しび」
仏の教えを灯りに例えて、その教えを絶やすことなく伝え続ける意志の表れでもあります。たとえ、世界がどれだけ怒りや悲しみといったネガティブな感情に包まれたとしても、それを救う仏の教えは絶やすまいと1200年以上奮闘してきた歴史に、ただただ圧倒されるばかりでした。
その法灯を目の前にして、私たちはまず止観と呼ばれる冥想を行い、その後朝のお勤めを参加することになりました。いずれも曹洞宗でも近しい部分があり、前者は坐禅、後者は同じお経をお唱えするなど、宗派は異なれど同じ源流だったことを感じさせる体験でした。
また日中は比叡山延暦寺の西塔から東塔にかけて点在する様々なお堂や塔を歩きながら見学しました。特に最澄の悲願であった戒壇院は今回一番訪れたかった場所でした。
ここからインド以来の伝統的な戒律(出家者としてのルール)ではなく、中国や日本仏教の特色である「菩薩戒」と呼ばれる新たな出家スタイルが生まれ、回り回って今の日本僧侶(もちろん私も含めて)、さらには葬儀等で授ける戒名につながってくるのかと感慨深く感じました。
盛りだくさんの研修となりましたが、実はもう一つ目的があります。それは、最終日に行われる回峰行と呼ばれる修行の体験です。それについては次回書きたいと思います。