旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

坐禅の先に見えたもの

f:id:tabisuruzensou:20211209072255j:plainみなさん、こんにちは。慧州です。

本日はお釈迦様のお悟りをひらかれたことを記念する成道会です。

本来であれば仏教徒にとって素晴らしい日ですが、私にとっては苦い思い出が残る時期でもあります。

なぜなら、成道会直前には臘八(ろうはつ)摂心という行持が待ち受けているからです。

 

10年前、修行道場にいた私は坐禅が本当に嫌いでした。

体の硬かった私は、たった一回の坐禅でも足が痛くなり、心の中では「早く終わらないか早く終わらないか」と念じるばかりの単なる我慢大会になっていたからです。

そんな私にとって12月1日〜8日、約1週間かけて行われる臘八摂心は恐怖でしかありませんでした。

 

摂心とは、お釈迦様がお悟りを得るまで坐禅をし続けたという故事にちなんだ行持で、1日を坐禅で過ごし続ける期間となっています。

朝3時過ぎに起きてすぐに坐禅をし、夜9時までほとんど休憩なしで坐り続けます。

食事中も坐禅、老師のお話し中も坐禅

まさに坐禅三昧の1週間です。

 

いざ摂心が始まると、最初は眠気との闘いでした。

うつらうつらと船を漕ぐ度に、警策という木の棒で叩かれては目を覚ましていました。

3日過ぎた頃には、今度は足とお尻の痛みとの闘いに変わりました。

坐っているだけなのに筋肉痛、激痛に襲われ

「いつになったら終わるのだろう」

まだ折り返しに入っていないことも相まって、絶望感を覚えていました。

 

道元禅師は坐禅についてこうおっしゃっています。

坐禅は安楽の法門なり」

私がいた修行道場では、毎晩坐禅中に読み上げるこの一節。

摂心中の私は「あの言葉は嘘だろう!」と思いながら、痛みで震える手を必死で抑え続けながら坐り続けていました。

 

しかし時は止まることはありません。

4、5、6日と進み、気がつけば最終日を迎えていました。

同じ日常を繰り返す中、時間感覚が鈍ったせいか、後半の記憶はなぜだかあまり残っていません。

 

最終日は明けの明星を見て悟ったという故事から、この日は夜中の2時(つまり、12月8日)まで坐禅し続けます。

この日の夜は全ての修行僧が参加することができるため、坐禅堂は人で溢れかえっていました。

外は寒いはずなのに、堂内はものすごい熱気でした。

 

とうとう、摂心中最後の坐禅を迎えます。

「これで最後」と思うと、私の心の中では、ほっとする気持ちとどこか寂しい気持ちが同居していました。

そして、終わりの鐘が鳴り響くと、摂心は終わりを告げました。

私は達成感を噛み締めながら単から降り、周りを見渡すと、皆同じように晴れやかな表情でした。

 

その時、私ははっとしたのです。

摂心中はずっと孤独な闘いと思っていましたが、実はそうではありませんでした。

修行の同期も先輩和尚さんも、指導役の老僧方も、みな同じように坐っていて、そして、そのように一緒に坐る仲間がいたからこそ、私も坐り続けられたのだと気付かされたのです。

 

摂心を終えた私は、坐禅堂内を出てふと空を見上げました。

お釈迦様が見た明けの明星が、ほんとに見えるだろうかと思ったからです。

残念ながら見つけることはできませんでしたが、それでも星いっぱい輝く夜空は、今まで見た事がないくらい綺麗な景色でした。

何よりも、同じ景色をお釈迦様も、道元禅師も、そして私の師匠である父も見ていたかもしれない、そう思うと不思議な感情が湧き上がってきました。

何百年経とうとも同じ景色が見えると想像するだけで、暖かい気持ちになってきたのです。

 

あれから10年経ち、摂心に参加する機会は中々得ることはできません。

それでも今は坐禅に対して前向きになれたような気がします。

それは10年前の12月8日に見た、あの景色が忘れられないからかもしれません。

あの時感じた気持ちを教えてくれたのは、まぎれもなくみんなで坐り続けた摂心でした。

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いい風呂の日

みなさんこんにちは尚真です。秋も深まり紅葉も見ごろを迎えています。今年は例年より暖かい日が続いていますが、朝晩は随分冷え込むようになって来ました。

 

最近は新型コロナウィルスの感染者もだいぶ減少してきました。これから本格的な冬を迎えるにあたり第6波の心配もありますが、徐々に日常を取り戻しているように感じます。

 

そんな時期に行きたくなるのはやはり温泉ではないでしょうか。冷たい空気の中、暖かい温泉にゆっくり浸かる。紅葉した山々や川の流れを眺めながら身も心も日頃の疲れを癒すには最高の瞬間です。

 

記事の投稿日の二日後、11月26日はいい風呂の日です。なので今回はお風呂について、最近の出来事を含めて記事を書かせていただきます。

 

さてみなさんは入浴中どのように過ごしていますか?ご自宅のお風呂ではリラックスして鼻歌を歌ったり(むしろ熱唱される方の方が多いでしょうか)、最近はスマホなどを持ち込んで長風呂したりする方もいらっしゃるようです。

 

また温泉などに行かれた際には、さまざまなお風呂を行ったり来たりして、コロナ前にはお仲間と談笑しながらのんびりくつろいだりされたことと思います。

 

つい先日、泊りがけの用事があり久々に外泊する機会がありました。コロナ対策がしっかりされているホテルで安心して滞在できましたが、念のため入浴は自室のシャワーで済ませました。

 

久々の外泊で普段より夜更かしをしてしまい、寝るのが少し遅くなってしまいました。朝のお勤めも無いのでゆっくり寝られるチャンスだったのですが、結局いつもの時間に目が覚めてしまいました。

 

朝の早い時間なら空いているだろうと思い、朝風呂に入ることにしました。大浴場に行ってみると、案の定、広い脱衣所にはほとんど人はいませんでした。早起きは三文の徳です。

 

浴室の壁には、コロナ対策として「黙浴」を促す貼紙がありました。「黙食」は耳にしたことがありましたが「黙浴」は初耳で、コロナ禍ならではだなと感じました。

 

その貼紙を見て私は修行時代の事を思い出しました。私たち僧侶の修行道場では、言葉を発することが一切禁止されている「三黙道場」と呼ばれる、三つの場所があります。

 

一つ目は修行の中心であり座禅や寝食を行う僧堂、二つ目はお手洗いを指す東司です。そして三つ目はお風呂、この三つの場所が「三黙道場」とされています。普段から私たち僧侶は「黙食」、「黙浴」の生活をしているという訳です。

 

お風呂は浴司と呼ばれ、浴司の入口には跋陀波羅菩薩(ばったばらぼさつ)様が奉られています。入浴する際には、跋陀波羅菩薩様に向かい入浴乃偈(にゅうよくのげ)を唱えながら三拝、浴司から出た後も三拝をします。

 

また脱衣所内でも脱いだ服はきちんと整えたり、体を洗う際も床に正座したり、お湯を無駄使いしないように体を洗ったりと細かく作法が決められています。

 

これは修行の場において、お風呂はリラックスしてくつろぐ場所ではなく、修行をする上で身心をきれいに保つための場所であるという事です。

 

これは仏教では歩いたり座ったり、そして寝ている時まで、日常の全ての立ち振る舞いが修行であるという「行住坐臥」という教えに基づいています。

 

常に気を張った修行生活はなかなか気が休まる場所がなく、慣れない生活環境もあってかストレスを感じることもあったなと今でも思い出します。

 

今となって思うことは、修行生活という特殊な集団生活をしている中で、お風呂やお手洗いなどの閉鎖的なプライベート空間は、不満や悪口を発散する場所に成り得ると言う事です。

 

よくドラマなどでお手洗いで上司や同僚の悪口を言っていて、実は個室にいる本人の耳に入ってしまったなんてシーンを目にする事があります。「三黙道場」にはそんなケースを防ぐ理由も、もしかしたらあるのかも知れません。

 

たまには愚痴や弱音を吐きだす事によって気分の切替えが出来たり、誰かに相談して良いアドバイスをもらうという事はとても大切な事だと思います。しかし気を付けないと矢印がマイナスを向いた不毛なやり取りとなってしまいます。

 

「懺悔文」という短いお経(偈文と言います)の中でも、私たちが行った過ちは全て「身」と「口」と「意」(心)から引き起こされるとされています。「口は災いのもと」なんていうことわざもあります。

 

「黙食」「黙浴」のように、このコロナ禍の新しい生活習慣として、人前で気軽に話をするのがはばかられるような場面が多くなりました。

 

しかしあやまちを引き起こす機会も減っていると思えば、「黙〇」も感染対策とは別のいい面があるのかも知れません。

 

皆さんもたまにはご自宅などでも「黙食」や「黙浴」を取り入れてみてはいかがでしょうか。さまざまな日常の立ち振る舞いについて振り返ってみると、新しい気づきがあるかも知れません。

 

而今に学ぶ。23

 こんにちは。俊哲です。前回の投稿時から比べると、コロナの新規感染者もぐっと減り、町にも少し活気が出てきたような気がします。このまま良い方向へ向かってくれたら良いなと願う今日この頃です。

 

 今回はペルーを訪れた時のことを記します。ペルーと言えば真っ先にイメージするのはマチュピチュではないでしょうか。私もマチュピチュ遺跡を訪れましたが、ペルーに行くからマチュピチュを訪れたのではなく、ブラジルで行われた禅の大会の帰り、マチュピチュを訪れるためにペルーに寄るべく、その旅路に組み込みました。

 

マチュピチュ遺跡に行くためには、クスコという町へと行く必要があります。空港に着いたその時には既に富士山より高い所に位置し、高山病にならぬよう体を慣らす必要があります。町で売られているジュースなどは、少しばかり炭酸が抜かれて売られておりました。私も身体のだるさを覚え、ゆっくりと過ごし身体が順応するのを待ちました。

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クスコの街並み



 マチュピチュ遺跡に行くためには、インカレイルというマチュピチュ遺跡までの鉄道に乗る必要があり、そのチケットを予約する必要があります。

行き当たりばったりな旅をすることも多く、この鉄道のチケットの予約や、マチュピチュ遺跡への入場制限の関係でツアーへと申し込む必要があることを知ったのはクスコの町に着いてからでした。幸い予約はできたものの、説明もそこそこに出発を待つことになり、不安を感じておりました。しかし、まぁなんとかなるだろうと楽観的にも思っておりました。

 

いざ当日になると、私の泊まっていた宿に駅のあるオリャンタイタンボという町まで送ってくれる方が迎えにきてくれ、申し込んだ内容の説明をしてくれました。

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明け方のインカレイル。オリャンタイタンボ駅にて



これで安心、と、電車に乗り込み、車窓から見える景色を楽しみました。

マチュピチュ遺跡のあるマチュピチュ村は、かつて開発に日本からの移住者たちが多く携わったことから、なんとも日本の温泉町のような景色で、日本を離れ数週間が経っていたこともあって、その景色がなんとも日本に帰ることを楽しみに感じたことを思い出します。

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マチュピチュ村とマチュピチュ駅。故郷近くの鬼怒川温泉にも見えた

岩山の頂上にある遺跡へは、バスで向かいます。バスへの乗り継ぎもすんなり終え、遺跡入口前まで着いたところで問題が起こります。

遺跡保護の観点から入場制限があり、ツアーガイドが居ないと遺跡へは入ることはできないのですが、私の申し込んでおいたガイドがそこには居なかったのです。

困っていた所に声をかけてくれたのは、遺跡前で他の団体を引率するガイドの方達で、私が申し込んだペルーの旅行会社へ彼らが連絡をしてくれました。話を聞けば、旅行会社とガイドとの連絡がつかず、別の者にガイドを頼むから2時間待ってほしいと。または、返金するから遺跡には入れない、その2択を迫られることとなりました。

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途方に暮れた遺跡のゲート前



間に入った別の旅行会社のガイド達が非常に怒っていて、電話を一方的に切りました。「同じペルー人として恥ずかしい。これは本当に申し訳ない。」そう謝られ、周囲に居たガイド達と話し合い、急遽アメリカ人の団体の1人のメンバーとして私を加えていただき、遺跡への入場が叶いました。

 

 その経緯を知ったアメリカ人の皆さんにも好意的に加えていただき、また、スポットごとにアメリカ人の皆さんより英語が当然流暢ではない私のために簡単な英語で説明をしてくださりました。

 

 別れ際も私の心配をしてくださり、遺跡のスケールよりも人の優しさに触れました。

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遺跡内の様子。修復作業も続く。



帰りの電車にもスムースに乗ることができ、マチュピチュの余韻に浸っていたわけですが、事件はまだ終わりません。

オリャンタイタンボの駅に着くと、クスコの町への迎えが来ておりません。駅員さんの力を借り、予約した旅行会社に問い合わせると、午前中に連絡してくれた遺跡前のガイドさん達が全てキャンセルしたから迎えはいらないと思ったとの返答がありました。

日も暮れ、日本から遠く離れた地で、なんだかなぁ〜と眺めた夕焼けを思い出します。クスコの町へ帰るのか、今晩は諦めこの町に泊まるのか、そんなことを考えていると、助けてくれた駅員さんが待っていろと言い残し、何処かへと向かいます。しばらくすると、1人の男性が現れました。

 

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日の暮れたオリャンタイタンボ駅前の通り

片言の日本語で「大丈夫です」と言われました。英語も通じず、日本語をほんの少しだけ話されるその男性は、日系4世の方だということがわかりました。旅先で覚えた(覚えたというには恥ずかしいレベルですが)スペイン語でなんとか会話をすると、駅員さんから話を聞き、クスコの町へと向かうバスに乗せてくれるとのことでした。

 

既に予約でいっぱいだったクスコ行きのバスでしたが、1席空けてくださり、チケット代も受け取ってもらえずバスに乗りました。

朝も通った道ですが、朝はワクワクハラハラで走ったのに、心身ともに疲弊と満足感を覚え、何より多くの人が心配してくれ、手を差し伸べてくれたから今日1日が終わるのだと、その手を差し伸べてくれた人達の優しさに目頭に熱を感じました。

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クスコ行きのバス乗り場。辺りはすっかり真っ暗になっていた



往々にして、旅の良し悪しは人との出会いだと思っています。まぁなんとかなるか。そう思って旅をしてきても、どうにもならなかったことも何度もありました。なんとか1日が終わるのは、実際はなんとかなるように、多くの人の支えがあります。日常ではそんなイレギュラーなことはなかなか起こらないとは言え、やはり多くの人の支えがそこにはあります。

私は、困っている方に手を差し伸べることができているだろうか。誰かの日常を陰ながら支えられているだろうか。常にそうした矢印を自分に向ける思い出になっております。

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ペルーで出会った人達は情が深い方が多かった。



富士登山

こんばんは、禅信です。

一日遅れの投稿失礼いたしました。

 

 

子供の頃は一日がとても永く感じ、授業と授業の合間の15分休憩であっても

ボールを抱えてグランドに走ったり、週間コミックも読み終わると続きが発売

されるまでの一週間がとてつもなく永く永く感じたものです。

 

 

それが大人に成るにつれて、一年があっという間、一週間なんて気が付くと期日

が過ぎてるといった具合であります。

 

そんな事で昨日が投稿の期日だったのですが気が付いたら今日だった訳であります。

 

 

大変失礼いたしました^^;

 

 

 

7月の終わりの事ですが、友人に誘われて富士山に登りました。

 

 

一緒に行く友人もジムの仲間なので登りきる体力は大丈夫だろう思っていましたが、各々初めて登る高山だったので低酸素のことや低気温なことなど様々な不安もありましたが、

富士登山はいつかしてみたいと思っていましたので、当日までに準備を揃え地元の低山で練習を重ねて当日に備えました。

 

 

 

当日は、20時頃道の駅すばしりに車を停めてタクシーで5合目「須走ルート登山口」からのぼりはじめる予定でしたが、ちょうどオリンピックの自転車競技の日程が重なってたこともあり全くタクシーが捕まらず。

慌ててタクシー会社に電話をかけて回り、諦めかけていた22時過ぎにようやくタクシーが捕まり何とか5合目にたどり着きました。

 

 

登山道は真っ暗でしたが準備してあったヘッドライトと天気が良かったので満点の星空の下一歩一歩登り始めました。

 

 

山頂まではおよそ7時間、5合目~7合目までは森の中をひたすら歩き時々木々の隙間から見える星空の近さ輝きに感動し、フィンランド式サウナのヴィヒタに包まれるような白樺の香りに癒されながら進みました。

 

獣が出てきそうな森を抜けるて7合目~8合目では植物の様子も背の低くなり溶岩石がゴロゴロと目立つようになってきます。登り始めが遅くなってしまったので、空は徐々に明るくなりご来光の時間が迫った為、山頂でのご来光は諦め8合目の山小屋でご来光を待ちました。

 

8合目は標高が3000mを超えるので空気もだいぶ薄くなり気温も10度を下回ります。それまでは歩き続けていたので暑いくらいでしたが、ご来光を待つ間は休憩も兼ねて30分ほど座っていたので急に寒さを思い出して上着を羽織り山小屋のホットコーヒーで暖まりながら日の出を拝みました。

水平線から少しずつ顔をのぞかせる太陽は毎日見るモノですが、普段の太陽よりも数段きれいで、太陽にあたっていると体も暖まりとても尊いモノに感じました。

 

 

ご来光を拝み気合を入れなおして山頂を目指します。

 

8合目からは山頂が見えるので近く感じますが、10歩ごとに休憩をするのですごく時間がかかります。

山頂を見てもご来光を待つ人はまばらで、登山客も少なかったので富士山を貸し切りで登っているようで贅沢な初登山でした。

 

 

無事登頂を果たし、山頂でしばらく景色を楽しみながら御鉢巡りをして帰路につきます。

 

下山道は、「須走」の名前の通り長い坂道が続くので、半ば走りながら坂道を下りました。

 

 

のぼりは暗かったので気が付きませんでしたが、帰りの下山道にも、途中合流する登り道や山小屋にもごみは一つもなくとても気持ちよく富士登山を終える事が出来ました。

「ごみはゴミ箱に」プラスチックごみなどの問題もありますが、自然を歩いてみてそこにあるべきでは無い物は、ごみ箱にいれて処分をする。道徳にも響く登山となりました。

 

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富士山頂



永平寺の廻廊にあるごみ箱には、「護美箱」と書いてあった事をふと思い出したので最後に紹介させていただきます。

 

 

出逢い

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こんにちは、哲真です。

 

私が前回書かせていただいた時は、オリンピック開幕直前でした。時が経つのは早いもので十月になりました。この時期になると、刺激すると強烈な匂いを発する虫が多く出現しますので、常に足元や行く先の状況を確認する毎日です。

 

皆様は朝ドラを見ていますか。実は今の朝ドラの舞台である登米は私がいるところでもあります。そろそろ終わりに近づいてきており、今は気仙沼での話です。その為、私は毎日欠かさず視聴させていただいております。

 

その朝ドラでは、気象予報士になり活躍するというものが主な内容なのですが、そこで空と海と山はつながっていることがテーマになっていたようです。水がそれらをつなぐキーワードなのでしょうが、空も海も山もどれが欠けても今の自然は成り立たないのだと思います。

 

以前、大勢の子どもたちに簡単な絵を描くお手伝いをさせていただいたことがあります。全て葉っぱの絵を描いてもらったのですが、一つとして同じものはなく、緑の力いっぱいの葉っぱであったり、カラフルな葉っぱ、紅葉の葉っぱ、またシソの葉を描いていた子もおりました。

 

その葉っぱであっても、木になり、そして落ち葉となり、その土地の栄養になり、他の植物を大きくさせるという循環があります。全ては繋がっています。その一つが欠けたり、淀んでしまってはまったく違う物になってしまいます。

 

今の私も同じで、今の状況を作り上げたのが人々との出逢いでありました。様々な方々に助けられ、そしてお寺に僧侶としていさせていただけるのも出逢いがあったからです。一つでも欠けては今の私は存在していないと思います。また、善き方々に出逢えたということは私の幸運な事でした。

 

お寺の法話などに参加された事がある方はご存知かもしれませんが、始まる前に開経偈という偈文をお唱えします。

 

無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)

百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)

願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)

意味としては

あまりにも深淵で、きめ細やかな教えは

永い永い時をへても巡り会うことは難しい

いま私はお経を見、聞き、教えを拝受することが出来ました

願わくはみ仏さまの、真実の教えを理解させてください

となります。

 

正しい教えや、善き人との出逢いは永い永い時をへても巡り会うことは難しいのです。開経偈でいっているのは仏さまの教えに関してですが、この世の中で起こるすべての出逢いも同じことです。

 

この秋、あなたにとっての大事な出逢いを思い出し、そのご縁に感謝する時間を作ってみてはいかがでしょうか。

 

自然とともに

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皆さん、こんにちは。向月です。

9月に入り、急に寒くなったり、そうかと思えば梅雨のような蒸し暑い日が

あったりと、服装に困る天気が続きますね。

お寺での生活では、境内の掃除(作務)やお墓参りでお経を読んだりと

屋外での活動が意外と多くあります。

私は毎日夕方のニュースなどで、天気予報を確認することにしています。

明日は晴れるのか雨なのか、暑いのか寒いのかをチェックしています。

最近、天気予報では「経験したことがない豪雨」や「観測史上の最高の気温」、

「去年の○○倍の花粉」など良く聞きます。

毎年なにかしらの気象災害が起こっているように感じます。

 

私の師寮寺(師匠のお寺)のある島根では、

今年7月~8月に大雨に見舞われました。

8月はお盆の時期です。今年もお檀家さんのお宅を周り棚経を

お勤めさせていただきました。

お盆の始まる8月初旬は毎日が猛暑(酷暑?)でした。

夕立も降らないカラカラの天気。

しかし、8日から9日にかけて台風が九州から中国地方を直撃しました。

8日の昼過ぎから天気は下り坂、夕方には雷と土砂降りの雨。

仕舞いには、停電まで起きてしまいました。

停電になると、当然ですが照明もテレビもエアコンも電子レンジも

何もかも使えなくなります。

現代は電気に頼った生活だと言うことを改めて感じました。

 

電気の音がしなくなると、雨の音がいつもより大きく聞こえてきます。

薄暗い部屋の中で雨の音を聞くのも静かで風情があるなと思いました。

結局、停電は4時間近く続きました。

風情を感じていたのは始めだけで、1時間もすぎると蒸し暑い部屋の中で

うちわを仰ぎながら閉口していました。

 

お寺は高台にあるので、水害はありませんでした。

高台から県道あたりを見渡すと、30分前まで田んぼだったところが、

30分後には川になっていました。

あっという間の増水に驚き、自然の怖さを感じました。

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(雨が降り始めて30分後、田圃は川のようになりました)

 

これまで、何かの災害が起こるとその後色々な対策が行われてきました。

治水工事や防波堤、気象予報(警戒情報)やハザードマップなども

整備されてきました。

そのお陰で、被害は減ってきているのだと思われます。

しかし、自然は簡単に人間の想像を超えてきます。

やっぱり自然にはかなわない。

色々な対策をしても「これで完璧」ということはなくて、

今考えられる対策をしても被害を受けることもある。

これからも「よりベター、今よりもっと」を追い求めなければ

いけないと思います。

また、自然と闘うのではなく、自然と一緒に生きていると言うことを

今一度考える必要があるのかもしれません。

電気のお陰で、生活は便利になりました。

その電気がなくなった途端に生活が止まってしまう。

個人的には、定期的に電気のない生活をしてみるのも

良いなと感じました。(避難訓練のように)

 

今週末も台風が近づいています。

台風の通り道やその近辺の方々、どうぞお気をつけてお過ごしください。

諦め

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みなさん、こんにちは。慧州です。夏から秋へと移り変わり、マスクを着けていてもだいぶ息苦しくない季節になってきました。

 

3年前から始まった旅する禅僧ですが、実は今回の記事で私の担当が21回目を迎えていました。定期的に「何かを書く」という経験はこれまでなく、試行錯誤の繰り返しでした。

初めはこれまで経験したことを思い思いに書けたため、そこまで苦にすることはありませんでした。ですが、段々記事を積み重ねていく中で、話のネタというものが思いつかなくなり、困ってしまいました。結局、今回の内容についても1週間以上苦悩しつづけていました。

 

そんな時、たまたま観ていたテレビ番組で、「人間のひらめき」に関する特集が流れていました。最新科学によれば、なんと1日に2~3時間は何も考えない時間が「ひらめき」につながりやすいという結果が示されていました。その理由は、考えないことが、頭の中にある一見関係のない記憶同士を結びつけて、新しいアイデアなどにつながるからだそうです。

では、忙しない現代社会において、何も考えない時間を設けるにはどうすればよいのだろうか。そう思っていると、とても簡単な方法が紹介されていました。

それは、散歩です。外の景色を眺めながらゆったりと歩くことが、ひらめきには有効だそうで、番組内でもある研究者が定期的に散歩する時間を大切にしていることを紹介していました。

よくよく考えてみれば、人が何かを考えて煮詰まる時に、体を動かしたり、他のことに集中することで問題を打開することは、昔からよくある話です。

 

ある禅僧にこんなエピソードがあります。

香厳智閑(きょうげんちかん。?~898)という中国僧が、かつて悟りを求めて一生懸命修行に励んでいました。とても聡明で、博識な方で知られていました。しかし、いくら学びを深めても、悟ることができませんでした。香厳禅師は自らに絶望して悟ることを諦め、「絵に描いた餅では飢えをしのげない」と、それまで集めていた、大切な書籍を全て焼き払ってしまいました。

時は経ち、草の庵を結んでいた香厳禅師は庭掃除をしていました。すると、たまたま持っていた箒が小石を掃き飛ばし、その小石が近くにあった竹にぶつかりました。そのぶつかった音を聞いて、香厳禅師はたちまち悟ったというのです。

このお話では、香厳禅師が自然の声という真理を聞いたから悟ったと言われています。しかし大事なのは、それ以前に真剣に悩んだということ、そしてその悩みを諦めることで初めて気づいた事実だということです。もしそうでなければ、私たちはいつも自然の声を聞いて、悟ることができるはずです。

そして、「諦める」という言葉には「もう希望がないと断念すること」という意味で捉えられますが、仏教的には「明らかにすること」という意味があります。ひらめきという名の気づきは、まさに悩み抜いた結果、自ずと明らかになったことなのです。

 

「時には諦めが肝心」

悩み抜いて問題を一度放っておく余裕が、今の私たちに必要なのかもしれません。