旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

ルーツに触れる

 皆さんこんにちは尚真です。今年も残すところあと2週間ほどとなりました。今年は年号が変わったり、様々な災害があったり、消費税が上がったりと色々な事がありました。皆さんにとって今年はどんな一年だったでしょうか?

 

 さて今回は年内最後の投稿となります。一年が経つのはあっという間ですね。先日、九州の福岡に行って来ました。仕事の転勤で福岡に住む幼馴染に会うため、他の友人と連れ立って行きました。

 

 私は地元の茨城空港から、東京に住む友人は羽田空港からそれぞれ向かうという事になり、当日現地にて集合する予定となりました。茨城~福岡便は悲しいことに一日一便で10時前着の便しかありません。友人は夕方着の便という事でしばらく市内を観光して待つ事にしました。

 

 私が福岡を訪れるのは3年振り2度目の事です。しかし前回訪れた時は、九州を何県か回る旅の途中に立ち寄った程度で、福岡に住む別の古い友人と食事をしただけでろくに観光する事も出来ませんでした。なので今回は、前回訪れた際に偶然見つけたある場所に行ってみました。

 

 その場所はJR博多駅前の大通りをしばらく行った所にあるとても大きなお寺です。前回福岡を訪れた時のホテルが近くで、前を何度か通ったので気になって覚えていました。山門には東長寺と書かれていました。

 

 境内に入ると看板にお寺の情報が色々と書かれていました。よく見るとそのお寺は真言宗のお寺で、真言宗の開祖、弘法大師空海が中国での修行を終え、日本に戻って最初に建立したお寺との事でした。

 

 弘法大師東長寺を建立したのは平安時代初期の806年、鳴くよウグイス平安京の12年後の事だそうです。道元禅師が中国に渡ったのちに、日本に戻られたのは1227年ですので、やはり真言宗の方が長い歴史があることが改めて分かりますね。

 

 宗派は違えど、歴代の祖師方がお釈迦様から脈々と伝わる教えを、日本に伝えそして広めていったお陰で今の日本の仏教がある訳です。偶然の出会いでしたが日本仏教のルーツを感じるいい機会となりました。

 

 さてそんな中、先週の日曜日は私の父と、妻の父の誕生日が近いので合同で誕生日のお祝いを兼ねて食事に行ってきました。私は修行道場での修行を終え、実家であるお寺に戻るまでは地元から離れて生活していました。父と一緒に生活するようになって二年半、最近字のクセや性格、行動パターンなどが似てきたような気がします。

 

 父はお寺の住職であり私の師匠ですので、お釈迦様から脈々と伝わる仏法、それに法要の作法などを伝承すると共に、父子でもあるので字のクセや性格だけでなく、最近は檀家さんにも見た目がそっくりだと言われる始末です。

 

 私達僧侶が歴代の祖師方を経て、師匠から仏の教えを受け継ぐように、皆さんもご先祖様から親を通じて財産や土地だけでなく、形の無い内面のものまで様々なものを受け継いでいます。自分のルーツを大事にするという意味でもご先祖様のご供養は大切な事だと改めて感じるようになりました。

 

 個人的に一年を振り返ってみると、ここ数年は色々と環境の変化があって慌ただかったのですが、今年は久し振りに安定した一年を過ごせたかなと思います。来年は皆様にとって良い一年となるようお祈りしております。良いお年をお迎え下さいませ。

而今に学ぶ。12

 こんにちは。俊哲です。二週前に禅信さんがブラジルより投稿がありましたが、実は私も一緒に南米での法要に呼ばれご一緒させていただいておりました。

  禅信さんと私は、ブラジルのサンパウロにある佛心寺というお寺の開山60周年記念慶讃法要に参加をし、その後はかつて日本で20年に渡り修行されたブラジル人がご住職を務められるお寺にお世話になっておりました。

 

 その後、アルゼンチンへと移動をしました。アルゼンチンへ来たわけ。それは、私が副住職をしている寺のお檀家さんの親戚で、遠くアルゼンチンへ渡り開拓の礎を築いた方がおられるためです。

 

 日本におられるお檀家さんは幼き頃より私もよく知っている方で、その方も若い頃に親戚が南米にいる縁で旅をした話を聞かせてくれます。

旅を好きな者同士は年齢や時代の違いこそあれ、やれこんなことがあった、こんなものを見たと言う話で盛り上がります。その中で、四年前に南米に行く機会があり、その話をしたところ”是非、アルゼンチンの親戚のところへ”と話は進み、今回は四年ぶりに皆さんに再開することとなりました。

 

せっかくお宅にお邪魔するならと、前回もアルゼンチンでご法事を務めさせていただき、今回は禅信さんと二人でご法事をさせていただきました。ご法事が終わると、集まられた親戚の皆さまや、ご近所の皆さんたちとともに豪勢な料理を振舞っていただき日本から来たことを歓迎していただきました。

 

施主を務められたご兄弟は日系二世で、お父様は一世として、開拓といっても日系人たちのまとめ役としてアルゼンチンへ入られた方でした。法事の後席で話をしていると、席を同じくした一人の方がおられました。聞くと、その方は日系一世で戦後にアルゼンチンへ渡られた方でした。こちらへ移住後、ご兄弟のお父様に本当にお世話になったと話しておりました。その方が発せられた一言が強く印象に残りました。

 

「私のような者が、私のような能力しかない者が、家庭を築き仕事も家も持つことができた。アルゼンチンには感謝しかないし、先にこちらに入られた皆さんには感謝しかありません」

 

すぐに周りは「あ〜あ。よく言うよ」と茶々を入れましたが、その方が続けます。「皆さんは二世、三世だから実感はないと思うけど、戦中、戦後の日本を知っているからね。日本人の振る舞いや、戦後の経済成長で私らの信用が増し、そんな恩恵で生かされていますよ」

 

 

 私は前日、帰国前に立ち寄る場所のホテルを探すため予約サイトを見ておりました。そこには世界中の人たちからの口コミが見られます。一軒候補を見つけ口コミを眺めていると、口コミにはあれがない、これがない、こんなところが酷いと言ったレビューで溢れておりました。これが世界のトレンドなのかもしれません。

私は価格相応なのではと思い、宿泊しましたが、いたって快適な”価格相応”なホテルでした。

 

 明珠在掌という言葉があります。以前にもこちらで記したかと思いますが、明珠はすでに掌の中に在ると言う言葉です。戦中、戦後の時代の波に揺られた方達の言葉は重く響きました。今いる環境が当たり前ではなく、今いる環境に充足すると多くのことに気付き、感謝することができる。それは一つ、世界のトレンドに対して私が説いていかねばならないことなのかもしれないと思った旅でした。

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アルゼンチン大統領官邸 La Casa Rosada

 

毎日が違う一日

こんにちは!光彬です!
師走に入り、忙しい日々をお過ごしの事と存じます。
今年も残すところあと20日程でしょうか。
皆様にとってはどんな一年でしたでしょうか?

先日のご法事のあと席のことです。
七回忌のご法事を務めさせて頂き、
色々なお話をしておりました。
食事も進み、一段落したところで
子供達がなにやらこちらに興味があったのか
近くをうろうろしていたので
話しかけてみました。

四人の男女のかわいい子供達でした。
今流行りのアニメや、学校で話題のこと、
おじいちゃんが好きだったもののことや、
遊んでくれた時の話をしてくれました。
ちょうど100歳で亡くなられた方でした。

子供相手であったこともありましたが、私は、
100年なんて長い時間を過ごして
すごいねおじいちゃんは!
きっと素敵な毎日だったね*と言いました。
すると、1人の子が、
毎日おんなじじゃないから分かんないよ!と
笑いながら言いました。

その言葉に私は恥ずかしさと共に
改めて考えさせられました。
毎日漫然と生活してしまっているからこそ
出てしまった言葉でした。

修証義というお経の中の教えにも
"この一日の身命は尊ぶべき身命也"
とあります。
この身は脆弱でこの心は捉え難く不安定で、
さまざまな感情に振り回される我々ですが、
朝起きるいうご縁に
巡り会えたなら、奮起してその1日を全力で
生きなくてはなりません。

子供に改めて教えてもらったこの事を
私自身が実践し、残り少ない令和元年を
頑張りたいと思います*
どうか皆様も悔いの無い残り20日ほどを
お過ごし下さいませ*


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Bom dia....

皆さんボンジーア(Bom dia)おはようございます。

 

禅信です。

 

Bom diaはポルトガル語で、ブラジルの朝の挨拶です。
ブラジル・サンパウロ、多くの日本人が住むリベルダーデに
曹洞宗のお寺(仏心寺)が開かれてから今年で60周年を迎えます。
お寺では、御開山の遺徳を偲ぶ法要や檀信徒の無病息災をお祈りする
祈祷法要、先祖供養の法要が修行されました。

 


この60周年記念法要にご縁をいただいた3人の仲間と18日に
日本を出発し13時間パリを経由して11時間ブラジルの地に到着しました。


まさに、「旅」をしている最中であります^^

 


ブラジルと聞くと、美味しいコーヒー、迫力のある肉料理、カーニバル・・・
頭の中にはおいしい食べ物と、お祭りのあかるい様子が容易に想像されます。

 


実際に到着した日の夜に先輩に連れられ、ピカーニャ(牛のイチボ)
のステーキが有名なお店に行きました。

 

テラス席に座り食事をしていると、隣の席で食事をしていた
二人の男性から声をかけられました。

「皆さんは日本人ですか?」
「私は、少し離れたところにある日系企業で働いていて日本が大好きです」
「ブラジルでの旅を楽しんでくださいね^^」

ポルトガル語は全く分からないので、先輩が話をしていたのを
聞いていただけですが、陽気に明るく私たちを受け入れてくれました。

 

 

本音を言えば、治安の悪い所も多くあると聞いていたので旅の同中
何事もなく過ごせるか不安もありました・・

 

 

もちろん危険な通りや場所もありますが、お寺に出入りする人、お店の店員さん、
関わる人はみんな明るくてお話をしていると元気を貰えます。


昨日は、先祖供養の法事を務め、夕方仕事終わりに集う参禅者たちと坐禅を行じ、


今日は、お参りに来るお檀家さんや婦人会の皆さんとお茶を交わし、
カラリと晴れた心地よい風に吹かれながらこのブログを書いております。

 


家を離れ、旅をする中でせっかく遠くまで来たのだから観光地を沢山観たい、、

そんな気持ちをかき捨てて・・束の間の時間ゆっくり過ごせる場所

日本から遠く離れたブラジルの地にも人々の拠り所になるお寺がありました^^

 

 

特に日本からの移民が多いサンパウロでは、長い間私たちの先祖がこの地で
勤勉に仕事について来たからこそ、私たちが旅行に来た時にも声をかけてもらえたり、
美味しい食事を振舞ってもらえたのだと感じました。

Bom dia よい一日をお過ごしください^^

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法要風景

※フデの写真はまた次回^^

経験値

こんにちは、哲真です。

とうとう11月も後半です。来月には12月かと思うと一年はあっという間ですね。

 

11月の初旬には、岩手県に地域の旅行で行ってきました。紅葉が良い時期だと思ったのですが、大分落ち葉になっていました。「最近は若い人の参加が少なくなってきた」とみんなおっしゃっていました。地域の方々との親睦を図ることはやはり大事ですので、今後もできるだけ参加していこうと思っております。

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さてこの岩手県ですが、皆様は何を思いつくでしょうか?

 

わんこそば

盛岡冷麺

中尊寺金色堂

小岩井農場

南部鉄器

前沢牛

 

このような感じでしょうか?(もっとあると意見はあるかもしれませんが・・・)

 

実は、岩手県は有名な方が多くいます。例えば、石川啄木宮沢賢治、野球が好きな方は、大谷翔平菊池雄星も思いつくかもしれません。それだけではなく、岩手県は総理大臣の出身別ランキングでトップ3に入っているのです。一番多いのは山口県で次が東京、そして群馬県とならんで岩手県が三位にランクインしています。山口県は元をたどれば長州藩、東京は日本の首都と考えれば多いのは解りますが、岩手県から多くの総理大臣を輩出できたのか不思議です。

 

「冷暖自知」という言葉があります。一般的には、「他人から言われなくても、自分のことは自分で分かること。」という意味になりますが、禅では「修行を重ね自分自身で感得するものである」という意味になり、自分自身で体験することの重要性を説いた言葉です。

 

私も、修行中はいろいろ経験、学ばせていただきました。今でも、日々の生活を通して様々な人たちとの出会いなどから、経験、体験させていただいています。

 

この言葉の通り、岩手県を肌で感じて経験、体験してこようと楽しみに行ってきました。そこでは、お城であったり、赤レンガで建てられた銀行であったり、歴史や文化を感じることができます。

 

北海道に次いで大きなのが岩手県です。そんな広大な土地に偉人を輩出する力があるのかもしれません。岩手県に御縁がありましたら、その辺も気にしながらお越しください。

 

皆様も、何か興味があることがあるならばそれを体験、経験されてはいかがでしょうか。

魔の間

こんにちは。向月です。

秋もだいぶ深まってきましたね。そろそろ冬の準備もしなければと思っています。

 

 

先日、石川県のお寺に行ってきました。

私の修行時代の先輩に会ってきました。

その先輩がご住職になられたので、そのための法要(晋山式)に

参加させていただきました。

修行時代は無口でぶっきらぼうな感じのする方でしたが、

久しぶりにお会いすると温かいイメージの方になっていました。

私以外にも同じ修行道場出身の先輩方が来ていました。

思い出話や互いの近況報告などで盛り上がりました。

 

最近の私の近況としては、失敗話ばかりです。

修行していた時から「けちらしの向月」とあだ名をつけられるくらい失敗の多い私でしたが、

最近になってまた失敗が増えてきました。(気を付けているのですが…)

 

 

この先輩の法要の中でも少々失敗をしてしまいました。

先輩がお弟子さん(首座)に教化を任せ、集まった僧侶たちと問答を交わす「法戦式」というものがありました。私もこの問答に参加させていただきました。

台本なしで好きなことを聞いてよいと言われていましたので、私も前日までいろんな問答を考えていました。

当日いよいよ大声で言い合う、迫力のある問答が開始されました。

私は4番目の問者です。

3番目までの方も迫力があったのですが、私はそれに負けないように大きな声で盛り上げようとしました。

 

問答の最初は「作者は!!」という文言で始めることになっております。

私も大きな声で「作者は!!!」と言い始めたのですが、大きな声を出すことに気を使いすぎて、せっかく考えた質問が頭から吹き飛んでしまったのです。

声を出しただけで忘れるものだろうかとお思いでしょうが、

実はよくあることなんです。

本当に真っ白でした・・・。

第一声の後、空白の時間ができてしまいました。

たぶん、2~3秒ほどだったと思います。私にはとても長く感じましたが。

必死に思い出そうと頭の中の引き出しを探し回っていました。

その2~3秒後、やっと質問を思い出し何とか問答をすることができました。

 

 

式が終わって、先輩方や僧侶の方からなぜかお褒めのお言葉をいただきました。

「あの場で大きな声を出した後、わざと黙って間を作るとはなかなかできない」と。

本当は違うんです。頭が真っ白になっただけなんです。

私にとっては、魔の間だったんです。

 

 

以前、布教(説教)について教えていただいたご老師に

 

「間を恐れるな。静寂を作れ」

「立て板に水のような話ではだめだ。人は静寂の中の音を聴く。」

 

と言われたことがあります。

今の世の中、たくさんの音で溢れていて、いい音や話だけを聞くことはなかなかできません。うわさ話や、いやな音。聞きたくないもので溢れていると感じます。

そんな時代だからこそ、人は静かなところから出てくる音に注目するのでしょうね。

失敗談から「静寂(間)」についてご老師からの言葉を少しだけわかった気がします。

 

 

また別の旅では「星の話をする人」との会話でたくさんの共通点を見つけたのですが、その話はまた今度。

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(先輩のお寺に通ってくる猫です。法要の日も本堂の外から眺めていました。)

カステラと餓鬼

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こんにちは、慧州です。今日は「食欲の秋」にちなんで、修行時代に感じた「食欲」についてお話したいと思います。

 

私たちは生きている以上、何かを食べなければなりません。食欲は一生付き合っていかなければならない本能だと言えます。しかし、今の日本において食欲とまともに向き合うこと、例えば飢えを覚えるような経験をすることがあまりないかもしれません。私の場合は修行中に生まれて初めて自分の食欲と向き合うことになりました。

 

修行中の食事はいわゆる精進料理と呼ばれるもので、とても質素です。朝はお粥に梅干し、ごま塩だけ。昼はご飯、味噌汁、漬け物におかずが一品。夜はおかずが二品。想像するだけで足りないだろうと思われるかもしれません。

 

修行道場ではおかわりができるご飯や味噌汁ばかりたくさん食べた結果、栄養が偏って脚気(かっけ)という病気になってしまうことがあります。そのため、先輩和尚さんからは「おかわりばかりするな」と注意されます。

 

しかし病気になると分かっていても、おかわりをやめることができません。決して量が足りないわけではないにも関わらず、食欲が止まらないのです。ひどい時には隣りの人に配られたおかずの量を気にしてしまうほど私は飢えていました。

 

そんなある日、仏さまにお供えしていたお菓子が沢山余ったことがありました。あまりにも多くあったため、このままでは廃棄するしかないお菓子。私は羨望のまなざしで積まれたお菓子を見ていました。

 

すると、私の様子を見かねたある先輩和尚さんが菓子箱を1箱渡してくれました。

 

「これあげるから、今のうちに食べちゃいなさい」

 

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まさに天からの恵み。早速箱を開けると、そこには箱一杯に詰められたカステラがありました。頭の中には様々な選択肢が巡ります。カステラを今この場で全て食べてしまうか、それとも小分けにして少しずつ食べるようにするか、あるいは持ち帰って他の修行僧たちとみんなで分け合うか。しかし私は迷うことなく、カステラをかぶりついていました。まるで恵方巻のように一人黙々と1箱まるごと食べてしまったのです。

 

カステラ1箱を食べてしまった私は、当然お腹を壊し、薬石(やくせき、夕食のこと)を食べることが出来ませんでした。事情を知らない他の修行仲間は私を気遣ってくれます。まさかカステラを独り占めしたからなんて口が裂けても言えません。一人悶え苦しむその姿は自業自得で、まさに餓鬼(がき)としかいいようがないものでした。


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(あらゆる食べ物・飲み物が全て火になり、満たされることがない餓鬼)

 

禅僧が使う食器の名前を「応量器(おうりょうき)」と言います。字義通り、「食事をいただく人の量に応じた器」という意味です。本来であれば、自分の量をわきまえていただくことが大切な修行となるわけですが、食欲に悩み苦しんでいた私はただ「もっと欲しい」という欲望に振り回されていました。

 

しかし一方で、自分の心が汚く、餓鬼のように弱い人間だと気づけたからこそ、初めて食べ物を無駄にしたくない想いが生まれ、目の前の食事に感謝していただくことができるのではないでしょうか。カステラを見る度に思い出すあの経験は、私の人生にとって大きな財産となっています。