旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

夏の一大イベント

皆さん、こんにちは、こんばんわ、俊宏です。

 

いやーあっついですね。

 

連日の猛暑で梅雨がないと言われる北海道もなんだか年々、気温の上昇傾向とともに湿度も上がってきているように感じます。禅僧たる者、在りのままを受け入れなくてはいけないのでしょうが、ついつい天候については愚痴をこぼしたくなるそんなこの頃ですが、まあ夏なんで仕方ないですよね。

 

いきなりですが皆さん、夏ときいて思い浮かべることは一つしかありませんね。

 

 


そう、

 

甲子園ですね!!

 

と言いきりたいところですが、やっぱり立場的には「お盆」って言わなきゃいけないですよね。。。

 

野球のことであれば何万字も語れるところですが、ここは「らしく」お盆の話しをさせていただきます。

 

さて、皆様は「お盆」という言葉を聞くとどんなことを思い浮かべますか。

仏教国である日本においては、御先祖様などの亡き人の御霊を特に弔う期間としての認識であると多くの方に思っていてもらいたところですが、おそらくほとんどの方々は、夏休みとしての認識の方が強いようで、この期間は旅行やレジャーなどで自宅を留守にする人が殆どなのではないでしょうか。しかし、元来お盆の時期とは亡き人が我々のもとに里帰りをする期間と考えられており、精霊棚のようなご先祖さまを迎える場所を自宅の中に設け、それに合わせてお墓参りといった先祖供養をその時期には欠かしませんでした。しかし、現在はそういった風習の多くを残念ながら行っていない家庭が多いように思えます。

 

時代の流れやその時々での状況により、そういった慣習を行わなくなるのは仕方のないことではあるでしょう。しかし、特に神事・仏事に関して古来より行われているものの多くは、むしろ現代の我々にとって非常に意味のある素晴らしいものが多いのです。

 

そもそも神事や仏事には所謂、目には見えないものに焦点を当てて言及している部分に共通点があります。例えば神事では人間には抗えないものや計り知れない事象などを神としてとらえ、それらと向き合っていく術を教え、導くもの。そして仏教とは、生きていくうえでは避けることのできない苦しみや悲しみといった感情にゆらぐ自身の存在や心を見つめる方法を説いたものです。神様にしても自身や他者の心といったものも、物理的に認知することは非常に困難です。しかし、日本の慣習はそのどちらも存在するものとして接してきました。そして目に見えないものであるが故に、時としては自分自身よりも優先してとらえてきたのです。要は自分が一番偉いわけではないのです。特にそんな概念が当たり前のように根付いていたはずの日本ですが、現代ではあまりにも個人という概念が大きすぎるように思えます。自分さえよければといった独りよがりな考えがもととなる悲惨な出来事も、日を追うごとに増えていってるようにすら感じます。今を生きる我々には目には映らないものに目を向ける機会が改めて必要なのではないでしょうか。

 

月並みですが、人は一人では生きていけませんし、この世に生まれ出ることもできません。更に言えば、遡って何万人という御先祖様のどなたが欠けても自分という存在はありえません。確率という点からみても今、自分がここに在るのは殆ど奇跡みたいなものなのです。こうして自分を世に送り出すという奇跡を紡いでくれたご先祖様の方々をどうして蔑ろに出来ようものでしょうか。そういった今は亡き人の存在や人のこころなど、目には見えないものへの感謝・思いやりの大切さを今一度、このお盆の期間を通して再確認していただけたらと思います。そして、そんな目にすら映らないものをも大切にできる心が、皆さんのこれからの人生をもっとより良い素晴らしいものへと導いてくれるはずです。

 

            

 


もし、今まで精霊棚の様なお盆飾りを設けたことのないお宅は、今年からでもこういった形をもって、亡き人を迎えるお盆の時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。