旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

地下足袋の人生

みなさん、こんにちは。慧州です。

私ごとですが、先日祖母が亡くなりました。

大正5年生まれの祖母は102歳と大往生でした。

祖母と暮らしていた伯父からは、だいぶ前よりもう危ないという知らせもあり、覚悟はしていました。

訃報を聞いて、私は師匠である父とともに、実家のお寺へ車を走らせました。

コロナ禍で久しぶりの遠出、そして2年ぶりの実家への訪問。

運転する機会が減ったこともあり、ハンドルを握る手もどこか緊張感がありました。

 

そんな私を見てか、助手席に座っていた父が祖母との思い出話を語り始めました。

天寿を全うした今では信じられませんが、若い時の祖母は病弱だったそうです。

戦後間もないころのお寺はとても貧乏で、毎日畑を耕し、鶏を飼って卵を集める、自給自足の日々でした。

薬代すらまともに払えず、こっそりお小遣いをせしめようとした父は財布の中身のなさにとても驚いたそうです。

そのような生活でも祖母は何一つ不平不満を漏らすことなく、とても気丈に振る舞っていました。

 

祖母は元々お寺生まれで、縁あって近所にある別のお寺に嫁ぎました。

それが私の父の実家であるお寺です。

そして70年以上お寺を守り続けた祖母は、檀信徒を始め、多くの方々に信頼されていました。

祖母は、いつも孫である私が顔を見せるだけで、手を合わせて「よく来たね。ありがとう」と言うのです。

とても優しく、お寺の庭にあるお地蔵さんのような姿でした。

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それは幼い頃からずっとで、私にだけでなく誰に対しても本当に有り難そうに言うのです。

私は不思議でした。

お礼されるようなことはしていないですし、ましてや孫である私にそこまで恭しくしなくてもいいのにと思いました。

しかし、今ではあれこそ祖母が私に示してくれた生き方だったのだと思えてなりません。

 

法華経』には常不軽(じょうふきょう)菩薩という方が登場します。

常不軽菩薩はどんな相手であろうと、いつも手を合わせて礼拝しました。

人々は気味悪がり、罵倒し、枝や石を投げつけて迫害しました。

それでも常不軽菩薩は礼拝をやめず、言いました。

 

「私はあなた方を尊敬します。決して軽んじることはありません。

なぜなら、あなた方は皆菩薩としての道を歩み、仏になるのだから」

 

常不軽菩薩がどんな人にも手を合わせるように、祖母は孫である私を決して軽んじることはありませんでした。

今となっては祖母が常不軽菩薩のことを知っていたかはわかりませんが、手を合わせている祖母の姿と常不軽菩薩が重なって思い出されるのです。

 

 

葬儀を終えた後、喪主として伯父が挨拶をしました。

そして、祖母の生涯をこう評しました。

「母は地下足袋の人生でした」

90歳を過ぎても地下足袋を履いては草むしりばかりしていた祖母。

何かあると、「地下足袋地下足袋」と探し回っていたそうです。

 

どんなに地道でも、どんなに険しい道でも、地下足袋を履いて歩み続けた祖母の人生。

祖母の姿を思い出すたびに、私は畏敬の念を抱かずにいられない気持ちになると同時に、私自身の人生はどうであろうかとはっとさせられます。

 

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