旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

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新年明けましておめでとうございます

 

今年一年の無事とご多幸をお祈りいたします。

 

 

皆さま、どのようなお正月をお迎えましたか?

 

今年は12月に入っても忘年会や年末の旅行がなく、家族と家で過ごした人も

多い事と思います。

 

 

静かな年の終わりに、梵鐘を鳴らし。

1年を振り返りながら「三塗八難 息苦停酸 法界衆生 聞鐘悟道」と

ひと撞きひと撞きに想いを込めます。

 

この「鳴鐘の偈」には、鐘の音を聞いたすべての人の苦しみが除かれてやすらかな生活を過ごせるようにと願いを込めます。

 

 

鐘の音が、静かな夜に響き渡り遠くの町に届いては、夜の静寂に消えゆく情景に

先人たちは「諸行無常」を想い、終わっていく一年に想いを廻らせました。

 

 

平家物語に「ただ春の夜の夢のごとし」とある様に、過ぎてはあっという間の人生ですが。

 

除夜にその一年の人生を振り返り、感謝と反省を抱き鐘を撞くその時間はかけがえのない習慣なのかもしれません。

 

 

 

そして、新年を迎え気持ち新たに一日一日歩みを進めます。

 

「正月」の正の字は「一に止まる」と書くのだと祖父に教えられたことがあります。

 

歳の始まりに一度足を止めて今年の目標を立て自己を見つめ、気持ち新たに新年を迎えます。正月は気持ちの切り替えにも、区切りを作る意味でも何事を始めるにも最適な月です。

 

お釈迦様の教えに触れる時、仏門に入る時、修行に入る時には必ず初心をもって「菩提心を発します」物事の始まりに沸き上がる強い思い、修行を務める時にも最初に念じた強い決意や決心を、一日一日、一瞬一瞬に同じ菩提心を発し生活を務めます。

 

 

 

 

新鮮な気持ちをもって日々の生活を送ることが、修行を務める時に一番大切なことである。そう教えられました。

 

 

人生の大切な一年、他を思いやり、共に協調しあえる日常を送れるように努めたいと思います。

 

 

 

今年も一年よろしくお願いいたします。

 

年末ですね

こんにちは、哲真です。

 

いよいよ年末ですね。今年最後の投稿です。

 

今年一年を振り返ってみるとコロナに始まりコロナに終わったという感じでした。このブログは「旅する禅僧」ですので、旅がキーワードになっていますが、その旅が今年は制限されてしまいました。

 

そんな中でも、お寺にお参りにくる方々は多くいました。これはコロナ禍で何とかしたいという想いや、いつもお参りしていたからなど様々な理由があったはずです。移動が制限されてもお寺にはお参りがあるものだなと気づかされました。そして私が旅をしなくてもみんなが旅して来ることがある場所だということを認識させられました。

 

 

 

吾唯知足という言葉があります。これは「われ、ただ足るを知る」という、簡単に言えば「今あるもので十分であると知ること」です。

 

コロナ禍で外出が制限されたり、飲食店や買い物も自由に行きにくい年でした。それでは生活ができなくなってしまったかといえばそうではありませんでした。また、必要以上に物で溢れかえっているような生活をしていたことに、気づかされた一年でした。マスクなどは買占めも話題になりましたが、皆が購入できようにと買占めを控える人もいました。自分だけ良ければ良いということではなく、皆も良くなるようにと行動される方が多くいたのです。それこそ吾唯知足に繋がるのではないかと思います。何が自分にとって必要で何が不要なのかをきちんと見極めることが大事なのだと思います。

 

また、押印の文化もこのコロナで問われだしております。今自分が必要な物、もしくは世の中に必要な物を見極める力が問われているのかもしれません。

 

世の中いろいろ変化があります。その中で必死に生きて様々な経験をし、成長していきます。それこそが生きるということなのかもしれません。

 

来年はコロナが収束し、もっと経済も含め皆が活発に行動できるようになる事を願っております。

 

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前回の雪が降った時の境内

 

年末は、大雪となるところがあるようです。皆様気を付けてお過ごしください。

そして、よいお年をお迎えください。

今年唯一行った旅のような旅でないような話

こんにちは。向月です。

いよいよ年の瀬。あと1週間で大晦日です。

今年を振り返ると、大変なことばかりでした。

年明けから始まった第一波、やっと乗り越えたかと思えばすぐに二波、

三波と押し寄せてきました。医療現場の方々は、

大変な苦労だったと思います。

世界中で緊急事態宣言が出され、街では人の姿がなくなりました。

沢山の規制の中、皆さんも本当にストレスのたまる1年だったことでしょう。

 

このブログも『旅する禅僧』というタイトルの通り、

メンバーが旅してきたことやその途中で考えたこと。

また日常生活の中で感じる旅への思い。旅から見た仏教、

仏教から見た旅の話などを書いております。

規制の多い中で旅にでれず、みんな何を書いたら良いかと悩んでおりました。

それでも、毎週欠かさずブログを更新してくれたメンバーにも感謝しております。

 

 

私も今年は旅らしい旅はできなかったのですが、

唯一それらしいことと言えば岡山と香川に行ったことです。

10月のはじめに行った、半分仕事のような旅でした。

その途中、岡山県倉敷市玉島にある円通寺というお寺に立ち寄りました。

このお寺は曹洞宗の禅僧、良寛さん(1758年~1831年)ゆかりのお寺です。

望む小高い丘の上に有り、瀬戸内海を望むように静かに建っています。

 

 

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良寛さんは「子供の純粋な心こそが真の仏法」と言われ、

子供たちとよく遊ばれていたようです。

また、教養のある大人たちとは和歌や詩などを交わす

文化人の一面ももたれていました。

そんな良寛さんの最期の一句は

 

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」

 

と言われています。

人間は良い面(表)と悪い面(裏)があるけど、

人生では結局全部見せながら生きていく(死んでいく)

と言うような意味にとれます。

 

人間も自然の一部。ありのままで生きていくしかないと

言われているように思います。

この句はこの円通寺で詠まれたものではありませんが、

瀬戸内の海を眺めながら修行された良寛さんの飾り気のない、

暖かい人柄を表しているように感じます。

私も良寛さんに習って瀬戸内海を眺めながら一句詠んでみようと

思案したのですが、さすがに思いつきませんでした。

もう少し長旅ができるようになったら、ゆっくり考えて

渾身の一句を詠みたいものです。

 

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円通寺の建つ丘から眺めた瀬戸内海)

 

 

さて、「旅する禅僧」も来週の投稿が年内最後となります。

大変な1年でしたが、ご愛読いただいた皆様には大変感謝しております。

旅するメンバー一同、今後も精進していきたいと思いますので

これからもぞうぞよろしくお願い致します。

ブッダとウサギと私

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みなさん、こんにちは。慧州です。気がつけばあっという間に12月を迎え、年末の慌ただしさを感じる季節になってきました。

 

先日街中で買い物していた時、駅前である声が聞こえてきました。

「O型の方の血液が足りていません!みなさまのご協力をお願いいたします!」

それは献血の呼びかけでした。O型の私はまるで自分に声かけられているような気持ちになっていました。O型は万能輸血として知られ、他の型にも利用できるため慢性的に足りないそうで、さらには新型コロナウイルスの影響で学校等の集団献血ができず、全く足りていないとのことでした。

実は生まれて30年以上、一度も献血をやったことがありません。血を抜くということへの単純な不安もありますが、それ以上に周りで献血をやっている人がおらず、一体どんなものなのか知らなかったからです。

その時は急ぎの用事があったので、その場をすぐ立ち去りました。しかし、いつもだったら素通りしていたであろうその声が、なぜか耳から離れませんでした。

どこか罪悪感を感じながら歩いていると、ふとこのコロナ禍で生きている自分とは何かを考えていました。いつもクヨクヨしてしまう私の悪い癖です。

 

今年の3月、イタリアでは教会の司祭の方々が大勢亡くなるニュースが日本でも流れました。患者の臨終に立ち会い、その結果コロナに感染してしまう。それでも祝福を与え続けた彼らの行動に私だけでなく多くの方が驚いたことだと思います。

彼らをそこまで突き動かしたもの、それはただ目の前の人の苦しみを救いたいという思いでした。

 

それは仏教でも同様です。釈尊の前世である『ジャータカ』には「捨身飼虎」というお話があります。お腹を空かせた親子の虎を見た前世の釈尊が、我が身を崖から投げ出し、虎に食わせたというこのお話。法隆寺に所蔵される「玉虫厨子」という工芸品にもその様子が描かれていることでも有名です。

 

私が初めてこのお話を知ったのは幼いころに読んだ手塚治虫の『ブッダ 』。冒頭のエピソードであるクマとキツネとウサギの三匹の動物が雪上で倒れている老人を助けるために食べ物を探すお話です。クマは川で魚を捕まえ、キツネは土の中から何かの実を持ってきました。しかし、ウサギだけは何も見つけられませんでした。

するとウサギは老人に火をつけるよう頼みました。なぜそんなことをするのだろうか、クマとキツネは不思議でした。すると突然ウサギは火の中に飛び込んだのです。

自らを焼けば老人に食べてもらえるからです。老人とクマ、キツネは嘆き悲しみながら、ウサギに祈りを捧げます。これが冒頭のエピソードです。

「見ず知らずの人にそこまでできるのか」

幼い私にとって衝撃的な始まりでした。

 

振り返って今の私はどうだろうか。全く変わっていないんじゃないだろうか。「自未得度先度他(自分よりもまずは他人を先に救いたい)」という誓いを出家した時にたてたのではないか。へこんでいる場合じゃないだろう。そんな声が頭の中を巡るのです。

 

そんなことを考えながら買い物を終え、再び駅前に戻った私は気がつけば献血会場へ足を運んでいました。迷いがかえって私の背中を押してくれるようでした。

今出来ないことばかりを考えてしまう私。でも出来ることは目の前にあるかもしれません。釈尊やウサギのようにこの身を投げ入れることはできないかもしれません。たかが献血じゃないかと笑われるかもしれません。

それでもあの日「献血に行こう」と思えた気持ちを、私は忘れないようにしたいと思います。

発想の転換

こんにちは。拓光です。早いもので今年も残すところあとわずかとなってしまいました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

先日、ふとテレビを見ているとニュースで児童虐待に関しての報道がされていました。内容は29年連続で児童虐待の件数が増加しているとのことでした。

私は大学時代に「児童虐待防止」をテーマに卒業論文を書いた経験があるのですが、児童虐待が発生する際にはいくつかの要因が存在し発生すると言われています。

その中には親の生育歴などの親自身の要因がありますが、他にも「子どもが言う事を聞いてくれない」などのいわゆる育てにくい気質があるなどの子ども自身の問題もあります。

 

私自身も娘と共に過ごす上で、娘に対してなぜこんなに厳しく叱っているのに、どうして言うことを聞いてくれない、なぜ気持ちを理解してもらえないのだろうと悪戦苦闘することが多々あります。

しかし肝心の怒られた娘はどうかというと、親の気持ちも知らず無邪気に満面の笑みを向けてくれます。

 

子どもが生まれた時は「笑顔で元気にいてくれさえいればそれだけでいい」と思っていたことが、いつの間にか「自分の言うことを聞く都合のいい子どもに育ってほしい」と考えるようになっていたようです。自分の都合ばかりを優先し、子どもに対して身勝手な感情をぶつけていたことに気付かされます。

 

以前、このブログ内でも取り上げましたが、お釈迦様は私達に「この世の中の全ては苦しみの中にある、自分の思い通りにならない」という意味である一切皆苦という教えをお残しになられました。

皆さんもこのコロナ禍で日常生活がガラリと変わり、自分の思い通りの生活が送れていないということが多々あるかと思います。

 

例えば、ちょっと近所へ外出する際もマスクをしなくてはならなかったり、親しい人と話すときにもソーシャルディスタンスを気にしたりと以前と比べ、大変過ごしづらい思いをされているかと思います。

 

俳優の小栗旬さんがこの自粛が続くコロナ禍に対してこのようなことを仰っていました。 

「今このコロナ禍で私達は大きく変われるチャンスがきている。」

「思うように上手く身動きが取れなくなって、この過ごしにくい世の中がどうしたら面白く(良く)なるのだろう。今私達には何が出来るのだろう。コロナ禍でつらいつらいと思うことも大切だけど、問題に対して一所懸命摸索すること、行動すること。今はそれが出来るチャンスの時でもあるのではないか」と述べていました。

 

本当にその通りだなと実感します。私達は今まで思い通りになっていることを「当たり前」と考え、逆に思い通りにならないことを「苦しみ」と考えていたからこそ、思い通りにならないことが起こると過ごしにくいと感じてしまうのではないでしょうか。

 

そう考えるのではなくお釈迦様が示しているように「一切皆苦、思い通りにならないことが当たり前」と考えてみればどうでしょうか。

「苦しいこと」を「当たり前のこと」と捉えることによって、苦しみに対して考え方や感じ方が少し変わるのではないでしょうか。

小栗さんが仰っていたように、思い通りにいかないことについて悩んだり、考えたりと試行錯誤するからこそ、その過程の中で人は成長し、問題が解決したときには大きな喜びを感じることが出来るのだと思います。

 

まだしばらくコロナ禍という苦しみは続くかとは思いますが、どうか気を落とさずこれも困難を乗り越えるために与えられたチャンスなのだと前向きに考えて、共に乗り越えていければと思います。一緒に頑張りましょう。

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紅葉狩り

 みなさんこんにちは尚真です。気が付けばもう12月、今年も残すところ1ヶ月を切りました。あとひと月も無いなんて、振り返って見ると今年はあっという間の1年だったと感じます。私だけでなく、多くの方がそのように感じている事でしょう。

 

 今年はやはり新型コロナウィルスの影響で、残念ながら毎年恒例の行事が数多く中止となってしまいましたね。お寺の年中行持もコロナ以降は中止、もしくは大幅に規模を縮小して執り行われる事がほとんどでした。やはり恒例行事が無いと、一年が過ぎるのが早く感じてしまいますね。

 

 12月に入り気温もだいぶ下がってきて、1日あたりの新型コロナウィルスの感染者数が最多だった等とよくニュースで耳にします。世間では様々な「Go To ○○」が盛り上がっていた矢先ですので、旅行や外食の計画の見直しを迫られている方もいらっしゃる事と思います。

 

 私も先週末は、本来ならちょっとした1泊旅行に行く予定でしたが、この状況を踏まえて早々に中止としました。コロナ禍では県境をまたぐような遠出はせずに、外食もなるべく控えるようにしておりましたので、久しぶりの遠出に家族一同楽しみにしておりましたが、こればかりは止むを得ません。 

 

 代わりに車で1時間程のところにある山に紅葉を見にがてらドライブに行ってきました。現地に着くと、天気が良かった事もあり駐車場周辺は多くの人が見受けられました。本来ならば車を止めて周囲を散策したり、記念写真を撮ったりしたい所ですが、人との接触を避けるため、車の中から眺めると言う何とも味気ない紅葉狩りとなってしまいました。

 

 折角来たのに車からも降りずに、ただ来た道を引き返してはあまりにつまらないので、帰り道は登ってきた道とは別の、山の反対側の車通りの少ないルートから降りることにしました。

 

 そちらのルートは山の北側を降りるルートで、日当たりが悪くいつ通っても薄暗い道です。また降りた先の交通の便が悪い為かそちらのルートを通る人は地元の人でもあまりいません。そんな道なので昼間でも少し不気味な感じすらします。

 

 しかし山道を下り出してすぐに、助手席の妻が行きのルートと帰りのルートでは紅葉具合が全く違うと言うのです。運転している私はじっくり見る訳にはいきませんので、安全そうなタイミングで見てみると、パッと見でも分かるくらい、確かにこちら側の方が綺麗に色付いているようです。

 

 不思議に思い家に帰ってから調べてみると、紅葉は気温が下がり日照時間が短くなると葉が色付いてくるとの事。なるほど山の北側の方が日当たりが悪くて薄暗い分、気温も低く日照時間も短いので、より紅葉が綺麗に色付いていたのでした。

 

 毎年私達の目を楽しませ、四季を代表する風景である紅葉ですが、実は寒さに耐えながら懸命に色付いているという事が分かりました。私は寒いのが苦手ですので、寒さに耐えるどころかすぐに背中を丸め、ポケットに手を入れて縮こまってしまいます。紅葉している木々を見習いたいところです。

 

 車から降りるのを我慢した分、みんなが見ている紅葉よりもより鮮やかに色付いているものを見る事が出来て、ちょっと得した気分になりました。冬も本格化し、コロナもますます厳しい時期となりますが、無事に新年を迎えらるように、健康には十分注意して寒さを乗り切りましょう。

而今に学ぶ。18

 こんにちは。俊哲です。

秋も深まり、冬の足音が身近に迫ってまいりました。記事の執筆中、世間では新型コロナの感染者も第3波と呼ばれる増加傾向にあります。そんな最中ですが、皆様はどんな日々を過ごされておりますでしょうか。

 

 

 今回は東南アジアの国、ラオスを旅した時のことを記そうと思います。私がラオスを訪れたことは2度あり、初めは日本人僧侶の友人と、2度目はラオス人僧侶の友人と旅をしました。


ラオスの首都はビエンチャンという町で、第2の都市はルアンパバーンという町です。

この第2の都市、ルアンパバーンユネスコ世界文化遺産に登録されております。メコン川とナムカン川の合流点にあるこの町は、かつてラーンサーン王国という国がありました。その時代の建物や文化と、またフランスの植民地時代のコロニアル文化が融合した町として世界遺産になりました。

 

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ルアンパバーンの街並み

 

この町で有名なのは、多くの僧侶達による托鉢です。まだ、朝日が昇る前、オレンジの袈裟を纏った僧侶達が列になり、通りを托鉢して町を歩きます。

 

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朝の托鉢風景

特に、ルアンパバーン旧市街には多くの僧院があり、明け方、寺院から鳴り響く太鼓の音を合図に僧侶達が姿を表します。通りの数も少ないため、大通りではいくつもの僧侶の隊列が合流し、長い列となります。

 

数年前、日本人僧侶と旅をした時には、通りに茣蓙を敷き、膝をついて食べ物を供養する人の姿を見て感動しました。

 

再訪した際は、大通りに近いところに泊まっていたこともあってか、観光客の姿も以前より多く見受けられました。その折、前回と全く違ったのは中国からの観光客の増加によって、托鉢のセットや場所を売る人達の姿がとても増えていたことです。

托鉢を観にくる観光客を乗せたバンが乗り入れないようにと車止めが置かれ、観光客には明け方暗いことから、僧侶に向けフラッシュを用いた写真撮影の禁止が訴えられます。また、寺院には、以前にはなかった寺院の参拝時の注意点や衣服に関する決まりを告示した看板が見受けられるようになりました。

 

時代の流れとはいえ、わずか数年で大きく変化した光景に驚きました。

 

托鉢が始まると、多くの観光客から食べ物等のお布施を受け、僧侶達は肩から下げた鉢に供物を入れ通り過ぎて行きます。

 

このルアンパバーンの僧院の特徴に、地方出身の子供の僧侶が多いことがあげられます。それは、僧侶となれば、こうして托鉢などにより僧院にて衣食住が保障され、また第2の都市ルアンパバーンには若い僧侶達のための無償の学校が多くあることから、教育を受けさせるため僧院に預けられる子供達が多いのです。

 

そんな若い僧侶達が、観光客で溢れたこの町で托鉢をすると、僧侶達の需要より観光客からのお布施が多く、供物が供給過多となり、持っている鉢がすぐいっぱいになってしまうということが起きていました。

 

托鉢をする僧侶達を見ていると、通りに置かれている籠や箱に、いただいた食事を掻き出している若い僧侶の姿がありました。その光景が、まるでゴミ箱に捨てているように見え、私は非常にショックを受けました。

お布施を受けるという修行のために、観光資源として消費されることに胸が痛みました。この町も変わってしまったなぁと思い、少し寂しく裏の通りに引き上げると、そこには痩せ細った子供や身体に不自由があると見受けられる老人達が路に座る姿がありました。しばらくすると、先ほど大通りを歩いていた僧侶達の列が通りかかり、僧侶達は自分の鉢からその子供や老人達にいただいた供物を分け与えて通り過ぎて行きました。

 

大通りに戻ると、そこに置かれた先ほど供物を掻き出した籠や箱を回収する人が現れました。聞けば彼らは僧院の関係者で、いただいた供物を貧しい家庭や労働ができない家庭に届けに行くとのことでした。

 

“もらい過ぎて捨てた”というのは誤解で、自分の必要以上には持ち帰らず、困っている人たちに分け与えるというということだったのです。

 

一度は、「これが世界遺産の町なのか」と失望しかかっておりました。しかしそれは私の思い違いで、実際は仏教の教えが生きている町なのだと知り、改めて感動する出来事でした。

 

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もらい過ぎた供物を分け与える僧侶達

社会の動きと共に慣習を維持してゆくことはとても難しく、取り巻く環境の変化によってルアンパバーンの托鉢のように少しずつ変化してゆかねばなりません。旅をして、見てきた景色が時間の経過と共に失われてゆくことは残念でありながらも、それこそが人の営みであり、それこそが仏教の説くところの諸行無常なのでもあります。

 

「時代の流れ」という言葉は便利ですが、自分の都合よく言い訳にして使うのではなく、時代の流れと共に私がどう生きて行くのかということを、立ち止まり、今一度考えてみる機会になりました。

 

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ルアンパバーンを流れるメコン川。この流れが、いつの時代も多くの人を潤している。