旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

而今に学ぶ。18

 こんにちは。俊哲です。

秋も深まり、冬の足音が身近に迫ってまいりました。記事の執筆中、世間では新型コロナの感染者も第3波と呼ばれる増加傾向にあります。そんな最中ですが、皆様はどんな日々を過ごされておりますでしょうか。

 

 

 今回は東南アジアの国、ラオスを旅した時のことを記そうと思います。私がラオスを訪れたことは2度あり、初めは日本人僧侶の友人と、2度目はラオス人僧侶の友人と旅をしました。


ラオスの首都はビエンチャンという町で、第2の都市はルアンパバーンという町です。

この第2の都市、ルアンパバーンユネスコ世界文化遺産に登録されております。メコン川とナムカン川の合流点にあるこの町は、かつてラーンサーン王国という国がありました。その時代の建物や文化と、またフランスの植民地時代のコロニアル文化が融合した町として世界遺産になりました。

 

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ルアンパバーンの街並み

 

この町で有名なのは、多くの僧侶達による托鉢です。まだ、朝日が昇る前、オレンジの袈裟を纏った僧侶達が列になり、通りを托鉢して町を歩きます。

 

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朝の托鉢風景

特に、ルアンパバーン旧市街には多くの僧院があり、明け方、寺院から鳴り響く太鼓の音を合図に僧侶達が姿を表します。通りの数も少ないため、大通りではいくつもの僧侶の隊列が合流し、長い列となります。

 

数年前、日本人僧侶と旅をした時には、通りに茣蓙を敷き、膝をついて食べ物を供養する人の姿を見て感動しました。

 

再訪した際は、大通りに近いところに泊まっていたこともあってか、観光客の姿も以前より多く見受けられました。その折、前回と全く違ったのは中国からの観光客の増加によって、托鉢のセットや場所を売る人達の姿がとても増えていたことです。

托鉢を観にくる観光客を乗せたバンが乗り入れないようにと車止めが置かれ、観光客には明け方暗いことから、僧侶に向けフラッシュを用いた写真撮影の禁止が訴えられます。また、寺院には、以前にはなかった寺院の参拝時の注意点や衣服に関する決まりを告示した看板が見受けられるようになりました。

 

時代の流れとはいえ、わずか数年で大きく変化した光景に驚きました。

 

托鉢が始まると、多くの観光客から食べ物等のお布施を受け、僧侶達は肩から下げた鉢に供物を入れ通り過ぎて行きます。

 

このルアンパバーンの僧院の特徴に、地方出身の子供の僧侶が多いことがあげられます。それは、僧侶となれば、こうして托鉢などにより僧院にて衣食住が保障され、また第2の都市ルアンパバーンには若い僧侶達のための無償の学校が多くあることから、教育を受けさせるため僧院に預けられる子供達が多いのです。

 

そんな若い僧侶達が、観光客で溢れたこの町で托鉢をすると、僧侶達の需要より観光客からのお布施が多く、供物が供給過多となり、持っている鉢がすぐいっぱいになってしまうということが起きていました。

 

托鉢をする僧侶達を見ていると、通りに置かれている籠や箱に、いただいた食事を掻き出している若い僧侶の姿がありました。その光景が、まるでゴミ箱に捨てているように見え、私は非常にショックを受けました。

お布施を受けるという修行のために、観光資源として消費されることに胸が痛みました。この町も変わってしまったなぁと思い、少し寂しく裏の通りに引き上げると、そこには痩せ細った子供や身体に不自由があると見受けられる老人達が路に座る姿がありました。しばらくすると、先ほど大通りを歩いていた僧侶達の列が通りかかり、僧侶達は自分の鉢からその子供や老人達にいただいた供物を分け与えて通り過ぎて行きました。

 

大通りに戻ると、そこに置かれた先ほど供物を掻き出した籠や箱を回収する人が現れました。聞けば彼らは僧院の関係者で、いただいた供物を貧しい家庭や労働ができない家庭に届けに行くとのことでした。

 

“もらい過ぎて捨てた”というのは誤解で、自分の必要以上には持ち帰らず、困っている人たちに分け与えるというということだったのです。

 

一度は、「これが世界遺産の町なのか」と失望しかかっておりました。しかしそれは私の思い違いで、実際は仏教の教えが生きている町なのだと知り、改めて感動する出来事でした。

 

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もらい過ぎた供物を分け与える僧侶達

社会の動きと共に慣習を維持してゆくことはとても難しく、取り巻く環境の変化によってルアンパバーンの托鉢のように少しずつ変化してゆかねばなりません。旅をして、見てきた景色が時間の経過と共に失われてゆくことは残念でありながらも、それこそが人の営みであり、それこそが仏教の説くところの諸行無常なのでもあります。

 

「時代の流れ」という言葉は便利ですが、自分の都合よく言い訳にして使うのではなく、時代の流れと共に私がどう生きて行くのかということを、立ち止まり、今一度考えてみる機会になりました。

 

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ルアンパバーンを流れるメコン川。この流れが、いつの時代も多くの人を潤している。