旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

旅する禅

皆様、初めまして。
 
隆宗と申します。
 
私は臨済宗の僧侶ですが、俊哲師のご紹介でこちらでお話しさせて頂くことになりました。
 
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 
 
旅が好きな私はちょうど今年の1月中旬から2月の終わりにかけて、6週間の旅程を組んでインド・ネパールにあるブッダゆかりの聖地を巡礼して参りました。
 
まだ出国した時分は新型コロナウイルスのことも日本ではそれほど騒がれておりませんでした。
 
俊哲師とはこの旅の後半に、ブッダガヤーにある成道の聖地・菩提寺の境内で偶然お会い致しました。
 
そんな私がこの度、恐れ多くも旅する禅僧にてお話しさせて頂く会を賜わりました。
 
そこで、この旅のときのことを少しばかりお話しさせて頂きます。

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バラナシの朝。ガンジス河の向こうから上ってくる朝日。
 
 
 
 
皆様はインドと聞いてどんなイメージが思い浮かびますか。
 
 
 
カレー。
 
牛。
 
汚い。
 
怖い。
 
お腹を壊す。
 
人がたくさんいる。
 
 
 
もしこのイメージが思い浮かびましたらそれはすべて正解だと思います。
 
 
 
インドといえばカレー。
 

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インド2日目のニューデリーで食べたバターチキンカレー。ホテル近くでたまたま見つけた食堂にて。食べられなくはなかったがやっぱり辛かった…。
 
スパイシーな激辛のカレーがどこに行っても楽しめます。
 
辛いのはカレーに限ったことではなく、インドの食べ物の多くは私にとっては激辛なものでした。
 
私は辛いものが大の苦手なので、いつもなるべく辛くないものを探して食べていました。
 
また食事を注文するときには必ず辛くないかどうか確認したり、辛くしないで欲しいとお願いしたりしていました。
 
ただ辛くしないで欲しいとお願いして作ってもらっても私にとってはまだまだ辛いものも多く、インドでもっとも苦労したのは食事だったといっても過言ではありません。
 
ちゃんと辛いものが苦手な人向けに加減して料理を作ってくださるところもあったので、そういうところで食べたカレーはとっても美味しかったです。
 

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帰国3日前に食べたバターチキンカレー。もちろん辛くない。バラナシのゲストハウスのレストランにて。ハーフを注文したら、鶏の半分が入っていた。ハーフってそういう意味だっただのか…。この旅で一番美味しかったカレー。

 
 
インドに行くと車の多さに圧倒されます。
 
そして音が凄い。
 
たくさんの車によって出される音はそれはそれは大きなものです。
 
そんな中、音もなくひっそりとしているにも関わらず、存在感がハンパないのが牛。
 
牛、牛、牛。
 
どの街でも当たり前のように牛が闊歩し、道路に寝そべったりしていました。
 

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アーグラの町中にいた牛。よく見るとかわいい。
牛が街中にいるということはつまり牛たちの排泄物も街中の至るところにおわすということです。
 
牛のための公衆便所はありません。
 
彼らはどこでもしたいときにしたい場所でします。
 
だから歩き回るときは足元にも十分に気を付けなくてはなりません
 
今でも覚えています。
 
踏んだときのあの感触と、ああああという悲しい気持ちを…。
 
 
足元で気を付けなくてはそれだけではありません。
 
道路の穴に溜まった濁った水や道に散乱したゴミなどもよくある光景です。
 
さらには町中を流れる川から漂う凄まじい異臭。
 
汚くて臭い。
 
これもまたインドへ行くと思う正直な感想です。
 

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バラナシの町中にいた牛。食べ物を探してゴミを漁っている。でかい。
インドへ行くという話をするとよく言われるのが、インドは危ないんじゃないか、ということです。
 
これもまたその通りで、確かに日本では考えられないような危険というものがインドにはあったりします。
 
インドへ行くのはこれが2回目で、初めてのインドでは何度か怖い目に遭いました。
 
怖い目には遭いましたが、それも後から思い返せば防ごうと思えば防げたことがほとんどでした。
 
どのような危険が起こりうるのかということはある程度事前に調べることができますし、調べることで対策を練ることもできます。
 
知らなかったら怖いことでも知ることで怖くなくなることもあります。
 
今回は2回目ということもあり、下調べも入念におこない、1年くらいかけて準備をしました。
 
 
準備の中で今回のインドの旅で前回と最も異なっていた点があります。
 
それはスマートフォンの存在です。
 
前回行ったのは今から15年以上も前の話で、当時はまだスマホという物がありませんでした。
 
地球の歩き方を握りしめてあてにならない地図で右往左往したり、列車のチケットやホテルの予約なども行き当たりばったりでとても大変でした。
 
乗るはずの列車が発車予定時刻になっても到着せず、いつ来るかもわからないまま夜の駅でえんえんと待ち続けた思い出もあります。
 
 
今回は日本でsimフリースマートフォンを準備して持参し、インドに到着してすぐに空港でインドの電話会社のsimカード購入しました。
 
このおかげでWi-Fiがなくても常時通信が可能となり、詳しい地図と位置情報によって今自分がどこにいるのかが間違いなく把握できるようになりました。
 
行きたい場所へのルートも危険そうな場所を迂回するルートも簡単に見つけられました。
 
列車のチケットもアプリで予約ができて、列車の到着予定時刻でさえアプリで確認できてしまい、乗車チケットもeチケットなのでスマホの画面を見せるだけで済むという便利っぷり。
 
さらにはホテルの予約はもちろん、市中の移動のタクシーやバイクタクシーでさえスマホのアプリを使って乗降場所が簡単に指定できてしまいました。
 
恐ろしいほどの便利さでした。
 
 
便利になったということは、怖いと感じることがその分減ったということでもあります。
 
これによってすべての危険がなくなったわけではありませんが、多くのリスクを減らすことができたのでとても旅しやすくなりました。
 
ところがどっこい、そこに油断が生じていたのか、はたまたしかたのないことだったのか。
 
いろいろ調べていても、気を付けていても、高度な文明の利器をもってしても、防ぎたくても防げなかったこともありました。
 
そう。
 
下痢です。
 
インドに来て迎えた3回目の朝から私のお腹の調子は突然おかしくなりだしました。
 
そしてその日の夜。
 
とうとう私のお腹は盛大にぶっ壊れました。
 
 
もともとお腹が弱い私なのですが、あれほどの破壊はいまだかつて経験したことがないものでした。
 
一晩中続いたベッドとトイレの往復。
 
このとき感じた心細さもまたえも言われぬものでした。
 
それでも部屋の中にトイレもシャワーも付いていましたし、シャワーはちゃんと24時間お湯が出ましたので、最悪ではありませんでした。
 
 
またインドでお腹を壊したらどうすると良いかということもインターネットで調べることができました。
 
すぐに目当ての薬を手に入れることができ、幸いなことにこのときは3日ほどでお腹は治りました。
 
原因ははっきりとはわかりませんでしたがおそらくは緊張と疲れと食事が合わなかったのだろうと思われました。
 
その後の旅では食べるものに関してはことさら気を付けるようにしました。
 
それでもその後もたびたび壊れましたが…。
 

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アーグラの町中にあった薬局にて。子供たちがお手伝いしていました。腹痛に喘いでいるところにこの笑顔は眩しすぎる…。
 
行ってみたことでようやくわかるということもありました。
 
それは、インドも場所と時期によっては実はとても寒い、ということです。
 
インドは暑い国というイメージでした。
 
でもインドも寒いときは寒いのです。
 
特に朝晩と太陽が出ない日。
 
今回旅していた期間はずっと普通に寒かったです。
 
予想外の事態ではそのときにできうる対策を講じなくてはなりません。
 
私はすぐに毛布を購入しました。
 
さらに途中でもう1枚買い足しました。
 
衣の上から毛布を巻きつけてお参りに行ってました。
 
列車を待つ朝方の駅のホームでは毛布にくるまってないと寒くて座っていられませんでした。
 
ホテルでは置いてあった毛布以外に調達した毛布も使って寝ていました。
 
 
寒さは危険です。
 
体調を悪くしたり腹痛の原因にもなりますし、低体温症は命にさえ関わります。
 
インドの寒さは予想をはるかに超えていました。
 
行ってみて自分で実際に経験して初めて身に染みてわかったことでした。
 

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朝の6時半頃の駅前。霧がかかり非常に肌寒い。インドの方々もちゃんと防寒着を着ている。
 
ここでふと、ブッダの八大聖地を巡礼するためにインドに行ったのに、その八大聖地の話を一切していないことに気づきました。
 
ま、インドはブッダの聖地が霞んでしまうほどに濃ゆーい国なんだとそうご理解頂けると幸いです。
 
ちょっと歩くだけでその強烈さに目眩を覚えるインド。
 
また行きたいです。
 
聖地の話はしておりませんが旅した話はできましたので、この辺りで終わりにさせて頂きたいと思います。
 
少しと言いながら長くなってしまいました。
 
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
 
 
 
 
旅に出るとそのつど新しい発見があります。
 
新しい発見はいつもとても感動します。
 
私はその感動が大好きで大好きでいつも旅に出ています。
 
自分のすべてを通して感じて体験した感動は私にとって最高のものです。
 
もう少し状況が落ち着いてきたらきっとまた旅に出ようと思います
 
 
 
Instagramにて「#旅する禅」ブッダの聖地の写真も載せております。
 
よろしかったらそちらも合わせてご覧ください。
 
 
 
最後の最後に、皆様のご多幸を心より祈念申し上げます。
 
ありがとうございました。
 
合掌。
 

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バラナシの街並みの向こうへ沈む夕日。ガンジス河を渡った中洲より。

蛙が私に伝えたかったこと

みなさん、こんにちは。慧州です。秋が深まり、寒くなってまいりました。

先日ある生き物との出会いと別れがありました。

ある夜のこと、帰宅した私は自転車を駐輪場で停めようとしました。すると突然足元から「グェ」という声が聞こえてきました。驚いた私は足元をみると、そこには大きなヒキガエルがいました。

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幸いにも自転車で引いた様子はなく蛙は無事でした。しかし、駐輪場のど真ん中にいる蛙からは全く動く気配がありません。ここにいたらまた別の自転車で轢かれるかもしれない。そう思った私は落ちている葉っぱを使って「あっちに行きなさい」と声をかけながら動かしました。

 

蛙は何も言わず、駐輪場の入り口にぴょこぴょこと移動し始めました。ひとまずこれで大丈夫だ、そう思った私は自宅に戻りました。玄関で靴を脱いだ頃には私の頭の中からはすでに蛙の存在は消えていました。

 

明くる朝、外では雨が降っていました。気圧が低いせいかいつもより目覚めが悪く、なんだか嫌な予感がする朝でした。私はゴミを捨てるため、外に出ました。

 

傘をさしながらゴミ捨て場に向かうと、道端に何かが落ちているのを見つけました。それは昨日駐輪場でみかけた蛙でした。おそるおそる近づいてみても、蛙はピクリともせず息を引き取っていました。外傷は見当たらないのでたまたまその場で力尽きたのか、あるいは車や自転車に轢かれたのかわかりません。冷たい雨粒にさらされたその大きな体はどこか寂しげに見えました。

 

死んでいると分かった瞬間、私は思わず目を背けてしまいました。昨日私が蛙を誘導しなければこうはならなかったのではないだろうか。わたしのせいでこの蛙が死んでしまったのではないだろうか。どこか罪悪感のようなものを感じました。

 

僧侶である私は死と出会う機会が多い方だと思います。お葬式では多くのご遺体を目の当たりにし、ご遺族の方々の悲しみを感じてきました。しかし、お葬式で悲しみは感じても、死への恐怖・嫌悪感というものは感じたことはありません。

 

しかし、道端で死んでいる蛙を見ただけで私の心は大きく動揺していました。そのリアルな死を目の前にして、何か見てはいけないような気持ちになりました。それはその蛙の死を受け入れられない、そして死そのものへの恐怖のようなものでした。

 

たまたま前日そのヒキガエルと出会ったから感じたのかもしれません。遅かれ早かれ蛙はどこかで死んでいたかもしれません。今この瞬間ですらどこかで何かが死んでいるかもしれません。でも、私は目の前にある死を見て動揺しているのです。

 

生きている私と死んでいる蛙。何が違うのか。

そんなことを悶々と考えていると、ふとある言葉を思い出しました。

「悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合にも平気で生きている事であった」正岡子規『病牀六尺』(一部、仮名遣い等を修正)

明治期の俳人である正岡子規(1867-1902)が死を目の前にして残したこの言葉。

果たして私は平気で生きているのか。蛙の死はその覚悟を試しているような気がします。

みなさんはどうでしょうか?

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亡き人を近くに感じるために

こんにちは。拓光です。

 

秋晴れの爽やかな日が続いております。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

8月、9月は亡き人を偲ぶお盆と秋彼岸が続きましたが、皆さんはどのような時を過ごせたでしょうか。中には亡き人と共に過ごした思い出に、寂しさや懐かしさを感じた人もいたのではないでしょうか。

 

私にも学生時代に祖父を亡くした経験があります。祖父が亡くなったのは高校生の時のことです。

祖父の自宅は我が家から徒歩圏内にあり、幼少期から中学生になるまでは祖父宅に出向いて他愛もない話をして帰るということが私にとっては当たり前の日常でした。

そんな俗に言うおじいちゃん子、おばあちゃん子だった私は祖父を亡くしたことに、とてつもない喪失感を感じ夏休みの間に塞ぎ込みがちになってしまいました。

そんな様子の私を見かねて母は「今からおじいちゃんの家に行って線香でもあげてきなさい。おばあちゃんも最近あんたが来なくて寂しがっているよ」と声を掛けてくれました。


重い腰を上げて祖母に会いに行くと、祖母は温かく向かい入れてくれ、「話相手が来てくれて嬉しい」と喜び、いつものように私の好物のお菓子とお茶を出してくれました。

それを機に次の日から幼少期の頃のように毎日祖父宅へ行き、祖母と祖父の話をして帰るというのが私の日課になりました。

初日に祖母からお菓子を出された時に気付いたのですが、家にいるのは私と祖母の二人だけなのにお菓子とお茶がなぜか一つ余分に多く出されていたのです。

 

その時は育ち盛りの私に二人分食べなさいという意味で出しているのかなと不審に思い手を付けませんでした。

しかしそんな日が何日も何日も続き、流石にひょっとして祖母も祖父を亡くした喪失感からか、寂しくて痴呆が進んでしまったのかなと心配に思い、「ばあちゃん、なんでお菓子とお茶がひとつ多いの?これ俺食べちゃっていいのかな」と聞いてみました。

 

すると祖母は、「おじいちゃんはあんたと話すのが大好きだったからね。おじいちゃんの分も用意したらそこで笑いながら聞いているような気がするんだよ」と照れながら答えました。そしてそっと祖父の位牌の前にお菓子とお茶をお供えしました。

「本当はいつもあんたが帰った後にお供えをしているんだけどね。おじいちゃんが生きていた時もこうやって夫婦で向き合って、孫のあんたの話をよくしてたよ。今もこうやっておじいちゃんを思うといつでも傍にいてくれている気がするよ。」

 

寂しくて痴呆が進んでしまったなんてとんでもない勘違いでした。
祖母は亡くなった今も祖父のことを思い、祖父が喜ぶであろうことを行っていたのです。

生前と変わらず、亡き人の心に寄り添う。僧侶となって改めて実感するのですが、これこそが真の供養であり、亡き人を近くに感じるために必要なことなのではないでしょうか。私達が亡き人のことを思うときには、きっと生前と変わらず私達の傍にいてくださるでしょう。

 

大切な人を亡くされたことは深く悲しいことですが、それ以上に悲しいことは亡くなられた方を過去のものとしてしまうことであると私は思います。

私達は日々の忙しさの中で、亡き人とどのように向き合うのかと考えることを、おろそかにしてしまいがちです。このブログを機会に振り返ってみてはいただければ幸いです。

 

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暑さ寒さも彼岸まで

 皆さんこんにちは尚真です。前回の投稿の頃は梅雨がなかなか明けない等と記していましたが、梅雨明けの後は暑い日が長く続いておりました。コロナ自粛で運動不足になっている方や、長い時間マスクを付ける必要のある方には、今年の夏は特別に暑さが応える夏だったことでしょう。

 

 しかし先日の台風の接近に伴い、冷たい空気を一緒に運んで来たのか、だいぶ日中は過ごしやすくなりました。朝晩は少し肌寒くさえ感じます。『暑さ寒さも彼岸まで』と昔から言いますが、昔の人はよく言ったもので毎年その通りになるので驚かされるばかりです。

 

 コロナの影響で外出する機会がめっきり減ってしまい、最近の休日の楽しみはもっぱら愛犬の散歩に行く事です。田舎に暮らす最大の利点は自然に溢れているという事、のどかな田んぼ道や、木立に囲まれた林道など散歩コースには事欠きません。

 

 どんよりとした雲の多い日には、田んぼの上を手を伸ばせば届きそうな高さで、ツバメが旋回しながら飛んでいく様を良く目にします。『ツバメが低く飛ぶと雨が降る』と昔から言いますが、これは湿度が高い為に餌となる小虫が普段より地面の近くを飛ぶ事で、ツバメも低く飛ぶそうです。

 

 また地域によって様々な言われ方をしていると思いますが、『○○山に雲が掛かると雨が降る』とか『○○湖に霧が出ると雨が降る』とか、雨を予想する古くからの言い伝えがどの地域にも必ずあると思います。

 

 昔は農業を生業としている人が当然今より多かったでしょうし、建物も現代より簡素で、車も無い時代には、今よりも雨が降る影響が断然大きかった事と思います。私たちがスマホの天気予報アプリでポチポチと調べるように、昔の人は周囲の景色や生き物を見て天気を調べていたのですね。

 

 天気にまつわるものだけでは無く、例えば『食べてすぐ横になると牛になる』とか、『夜爪を切ると親の死に目に会えない』なども昔から良く言う言葉だと思います。『夜爪を切ると・・・』は妙に信じ込んでいて、子供の頃は必ず昼間に切るようにしていました。これは昔の行灯の灯りが暗かった為に、夜切ってはいけないと言われていたものだそうです。

 

 妻にも何か思いつくものがあるか聞いてみたところ、『秋茄子は嫁に食わすな』が真っ先に出てきました。姑である私の母に普段いじめられているかのようで、それを聞いて少し心配になりましが、お嫁さんを気遣う、『茄子は美味しいけど毒性があるので食べ過ぎないように注意しなさい』のような意味もあるそうです。

 

 このように皆さんの生活に浸透している古くからの言い伝えやことわざも、先人の教えのような物だと思います。私たち僧侶も、お釈迦様の御教えや道元禅師を始めとしたお祖師様方の御教えを学び、実践し、皆様にお伝えするのがあるべき姿であり、それを目指して日々精進して生活しています。

 

 そう聞くと様々な事を我慢したり、無理をして生活しないといけないのではと敬遠してしまう人もいるかもしれません。しかし、仏様の御教えはよりよく生きるための智慧であり、苦労をする為の教えでは全くありません。皆さんの暮らしがより良いものになるように、仏様の御教えがもっと皆さんの生活の中に浸透していくように、今後より精進していこうと思います。

 

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すっかり秋らしくなって来ました

 

而今に学ぶ。17

 こんにちは。俊哲です。お彼岸もお中日を過ぎました。皆様はお墓参りには行かれましたか?テレビなどでGo Toトラベルでの高速道路の渋滞や、観光地の混雑の様子が放映されておりました。コロナ禍による閉塞的な生活が続き、リフレッシュのための旅行でしょうか、故郷への墓参の車もあったのでしょうか。

 

〝自分の来たところであり〟、〝自分の行くところ〟にお参りする生活を大事にして欲しいものだと思っております。

 

とは言え、私も頃合いを見て、少しは旅に出たいなと思うようになりました。海外からの観光客が少ないという現在、常に混雑していた京都をまた訪ねたいなぁと思うのです。

 

 以前、京都へ旅した際私は、ある臨済宗のお寺に立ち寄りました。周囲には修行道場となるお寺や塔頭寺院があり、その日は数ヶ寺ほどお庭の拝観が可能でした。

 「禅の庭」は枯山水と呼ばれ、砂利に付けられた熊手の跡や並べられた岩によって水の流れを表します。門を抜けた先、寺院の前に広がる庭に、細やかな人の手と、自然との調和を感じ、ずっとその場で見ていられるほどの心地よさを感じます。

 

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苔むした禅の庭園

 そのお寺のお庭でカメラを出し、その美しさを写真に収めようと努めましたが、思うように上手く行きません。諦めて、しばらく庭を前に腰を下ろし、静かに座っておりました。しばらくして、そのお寺の御住職さんが現れ、私が僧侶だと気付き声をかけてくださいました。同じ禅宗の僧侶と分かると、こんな若僧にも貴重なお話を聞かせてくれました。

 

 「禅の庭は見て楽しむものではなく、味わうもの」

「携帯電話片手に写真を撮りに来る人は増えたけど、そのレンズに何がおさまるのかな」と。

 

 私はハッとするところがあり、私もカメラでの撮影を諦めたことを伝えました。お話に聞いたように、ある部分だけを切り取って伝えることはできても、このお庭が持つ全体性を私には写真で表現できないことを伝えました。

「それで良いのですよ」と一言告げ、御住職さんは奥のお部屋に入っていかれました。

それは、仏法に通じる非常に大事なことであり、その後の私の人生に大きく影響を受けた気がします。

 

 見て楽しむのではなく、味わうもの

 

カメラや携帯電話を庭に向け、その時『私』と『庭』を隔てていたことに気がつきました。レンズを向けた時に、庭全体がもつ美しさ、複雑に、そして単純に織り成される全体性に『私』の存在が欠けていたのでした。目の前に広がる美しい景色を『私』と別物と考えるのではなく、そこにいる『私』の存在も含めた環境で、私はどのようにその環境に関わることができるのかというのを問われているのです。つまり、〝私も含めた庭である〟ということです。

 

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禅の庭に居心地の良さを感じるのは、「環境」があなたを拒まないから

 

 私は写真を撮ることが好きで、少ない荷物の中にカメラを携えて旅をします。

特にスナップショットと呼ばれる、日常のふとした瞬間を好んで収めます。もちろんカメラは趣味に過ぎませんが、レンズを向ける時、目の前に広がる景色といかに私が調和しているのか、この出来事以降よく考えるようになりました。

 

 目の前に広がる世界に、皆さんはどのように関わっておられますか?

目の前の世界を、現実の全てと思うならば、その世界や現実にあなた自身が深く関与していることをまずは知らなくてはいけませんね。

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世界との関わり合い、筆者の旅は続く。写真はスリランカコロンボの街並み。

 

好きの中の嫌い 嫌いの中の好き

みなさまこんにちは!
光彬です!
少しずつ涼しくなり秋の予感がして参りました*
私は金木犀の香りがとても好きなので
待ち遠しい気持ちです!

本日修行道場において転役(てんやく)という、
部署異動があり、約1年半お世話になった
調理場を出ることになりました!
今度はお寺の入り口で様々な受付をする、
受処(うけしょ)に配属されることになりました!
また気持ちを新たに頑張ります!

つい先日の話、
まだ調理場で寺内の食事を支度していた時のことです。

私は昔から偏食家で、とにかく気に入ったものはたくさん食べ、嫌いなもの、特に、食べてもいないのに匂いや見た目が気に入らないという理由ですら、食べたくない!と
頑なに拒んできました。
とくに、ここには多過ぎて書ききれませんが
野菜は大の苦手でした。
大学生の時にアルバイト先のファストフードの飲食店では
賄いがでたので、そこで色々食べれるようになりましたが、それでも食べたくないものはまだまだありました。

卒業後は修行に行き、そこでは私の食べたいものなど
個別では出てきません。その中の大勢の修行者と指導役はみんなで同じものを頂きます。初めて味わう空腹感からか、修行中には野菜嫌いなど無くなったのかと思うほど食べられるようになりました。それに、美味しいとすら感じていたのです。これには自分でも驚きました(笑)

美味しいものがたくさんあるんだと気が付かせて頂いた修行期間でしたが、その後、指導役として再び調理場で修行させて頂くことになりました。
2年目のついこの間の9月初頭、いつものように
寺内の食事を作っていました。その日は他見から
色々頂きものをしていて、何種類かの野菜が調理場に
集められていました。その中に、私があまり好きではない野菜、ズッキーニが見えました(*_*)
これは。。と思い、どんなメニューにするか
調べたりしましたが、気持ちは既に離れていました。
私は食べなくても良いから他の人が食べてくれるだろうとまで考え、簡単によくあるメニューにして提供しました。
思いの外美味しく出来たようで、みんな喜んでくれました。ですがここでピンチが訪れます。
見落としていた未使用のズッキーニがもう1つ
箱から出てきたのです。中途半端に余ってしまったので
どうしようかと思っていました。すると、1人の修行僧が
ちょっと作ってみたい物があるんですがよろしいですか?と使用許可をとってきたので、私はラッキーと思い
何でも良いから作ってみて良いですよ*と半分安心した気持ちで答えました。

何分かして、 出来上がった!と声がしました。
品物を見る気もありませんでしたが、どうでしょうか?と聞いてきたので一応確認しました。
修行僧全員の分は無いけれど、中ぐらいの丼に
8分目くらいに出来あがった料理がありました。
良かったら味見をお願いします!と言われましたが
乗り気ではありませんでした。ですが
不思議となんとも良い香りがしていたのです。

一欠片をさらに半分にして恐る恐る頂きました。
飲み込んでしまえと思いましたが、うっかり噛んでしまいました。するとどうでしょう、美味しかったのです。
平静を装い、美味しいねと、もう一欠片を食べてみましたがやはり美味しかったです。
私は今まで何を怖がってこれを見てきたのか、
一瞬にして分からなくなってしまいました。


曹洞宗 大本山永平寺を開かれた道元禅師様の書き示された教えに『典座教訓』という出典があります。
その中に
「比丘の口、竈の如し。(びくのくち、かまどのごとし)」という言葉が出て来ます。続きがありますが、
仏道修行者というのは、好き嫌いせずどんな食べ物でも同じように有り難く頂くのである。
続き→[この事をよく理解すべきだ。粗末な野菜が修行者の尊い身心を養い育むのだ。賎しいとかつまらないと思って支度してはいけない。仏同を説く修行者は、粗末なものを修行者が食べて力が湧くように工夫して作らなくてはいけない。]と。

私は食べてすらいないものを嫌いだからと遠ざけ、他の方が頑張って修行して頂くためにより美味しくしようとする努力も怠っていました。それはもはや仏道修行を怠っていることと同じです。お経を読む法要は好きだけれど、座禅は苦手だからしない、そんなことは言えません。ですがそう言っている事と同じなのです。

人は好きの中にも嫌いがあって、嫌いの中にも好きがある。誰しもがそうだ。嫌いな食べ物も調理法によっては食べられたり、嫌いな人がいてもその人の中に良いなと思えたりする部分があったりする。
宗教、また仏教において、その教えは生き方を豊かにしてくれる。修行も、嫌なことを少しでも楽しとか良いとか思えるよう工夫して臨めばそれは素晴らしいことに繋がる。あるご老僧からの言葉です。

調理場で怠慢になっていた私への最後の警告か、激励か。
これからまた一から色々なことを覚えていくわけですが、
嫌な仕事を進んでやり、得意な事に変えてより良い修行にしていこうと思います。f:id:tabisuruzensou:20200915225558j:plain

一期一会

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無防備な昼寝


こんばんは、禅信です。

 

毎日夕方に散歩に出かけますが、18時にお寺の鐘を鳴らしてから

犬を連れて走り出すと橋を超えて10分ほど経つ頃には空も薄暗くなり

雷雲と共に風が運ぶ雨の匂いに夏の終わりを感じる時節となりました。

 

 

今年もうだるような暑さが連日続き、日中は外に

出るのも躊躇するような夏でしたが、

8月のお盆には提灯片手に沢山の人たちがお墓参りをされてました。

 

 

今年は例年とは違い、お盆の棚経も初盆を迎えるお檀家さんの家だけ

お参りさせていただいたので、私も13日の昼間は時間があり

衣を着てお墓を回って読経を務めた後に、

提灯をもってお迎えに行ってまいりました。

 

 

恥ずかしいことですが、お寺に住んでいながら忙しさにかまかけて

お盆様のお迎えは里帰りをした叔母や兄弟に任せていた為に

思い返せば小学生の時依頼行っておりませんでした。

 

お寺の歴代住職のお墓、お祖母ちゃん達のお墓、お殿様のお墓、と順に周り

お花、お線香を供え手を合わせます。

 

 

提灯を持って帰ろうとすると、

 

「お盆にお墓で会うなんて珍しいなぁ!

うちの息子は東京だからことしはかえってこれねぇんだよぉ」

 

同級生のお父さんから声をかけられました。

その時は世間話をして別れたのですが、

 

 

棚経で初盆のお宅にお伺いした際にも皆さん口々に

「今年は親戚のひとはこれなくってねぇ」

「今年は子供には帰ってくるなよぉって言ったんだ」

と、寂しそうに話していました。

 

 

 

お盆休みを使って里帰りをする人、またそれを楽しみに待つ家族にも

今年はつらい決断せざるを得ない環境であったことは確かです。

 

 

私は年に一度、2月に鳥取のお寺で開催される摂心会(坐禅修行)に

随喜して、参加者の皆さんと坐禅、食事、読経を3日間修行します。

 

夜の坐禅の後、住職さんの部屋に行き一日の疲れを労いながら雑談を

楽しんでいる中で、

 

「一年に一度、あと何年続くかわからない、あと何回会えるかわからない、

 毎回とても楽しみであり、毎回寂しく、毎回真剣に勤めたい」

 

そんな言葉を言われたことを思い出しました。

 

 

大切な家族、友人、一つ一つの再会を大切にそう感じたお盆でもありました。