旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

年末に思い出す宮崎君の事

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こんにちは。向月です。

早いもので、今年最後のブログとなりました。

来週はもう新しい年になってるんですね。

 

 

年末と言ったら、何を思い浮かべますか??

除夜の鐘、紅白歌合戦、大掃除など色々ありますね。

私は、年越し蕎麦を思い浮かべます。

私の兄は蕎麦アレルギーのため、我が家では「年越し蕎麦」ではなく「年越し焼きソバ」を食べる習慣になっています。

蕎麦の見た目が細く長いことから「健康長寿」「家運長命」などの縁起物として年越し蕎麦を食べるようになったそうです。由来は色々あるようで、私の地元では「一年の悪縁を絶つ」とも言われています。

 

私は、年末になると思い出す友人がいます。

大学時代の友人、宮崎君です。

彼の趣味は、お蕎麦を食べ歩くことでした。しかも駅のホームにあるいわゆる駅蕎麦を食べ歩くのが好きでした。

関東の駅にあるそば屋さんを巡り、どこが美味しいかランキングを付けるほどです。

(当時の彼のランキング1位は、JR我孫子駅弥生軒というところでした。ちなみに、写真はJR立川駅の名物おでん蕎麦です。)

 

宮崎君の得点項目は、美味しさはさることながら、お店の綺麗さや店員さんとの会話まで細かく付けていました。

彼はお店を出てから「ごちそうさまでした。また来ます!」とお店に感謝できるかどうかで点数を付けていました。

 

ある時、宮崎君の駅蕎麦調査に同行したことがありました。

駅蕎麦にはめずらしく、値段がそのままで麺の量を小盛り、中盛り、大盛りと選べる店でした。

私は嬉しくなり大盛りを注文しました。宮崎君は小盛りです。

せっかく同じ値段なんだから、大盛りにすれば良いのにと言ってみたら「大盛りは僕には多すぎるし、お腹いっぱいだと美味しさが半減する」と言いました。自分に見合った分だけをいただくというような事を言っていました。

 

 

 

現在の日本は飽食の時代と言われています。食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べることができる。今の日本では、なかなか飢えるということが少ないと思います。

そんな中で、私たちは(私は)必要以上に食べてしまう。

必要以上に求めることが自分を苦しめているんだと気がついたのは、宮崎君と話なしてからずいぶん後のことでした。

今の自分に必要な分だけをいただく。また、いただいた分量に見合った自分でいるかを自問する。必要以上に求めることをなくしていくことが大切だと思います。

年末になるといつも宮崎君との会話を思い出し、この一年、自分に見合った生き方ができたかを反省しています。

 

 

 

さて、今年7月に始まったこのブログも皆さんのおかげで年を越せそうです。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

新しい年が、読者の皆様にも良い年でありますように。

寒い空と暖かい電車

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 こんにちは、慧州です。突然ですがみなさんは電車に乗る機会は多いでしょうか?車の運転が苦手な私にとって、電車は一番よく使う移動手段となっています。特に平日はお寺の外で勤めているため、毎朝通勤ラッシュの中、満員電車に詰め込まれる日々を過ごしています。電車の中は人だけでなく、日々の疲れからストレスも充満しているように感じられ、皆が到着駅まで堪え忍ぶように乗っているようでした。気づけば私も電車の中では、音楽やスマホ、読書といった自分の世界に没入することでなんとかやり過ごしていました。

 

 12月頭の早朝5時、時計のアラームが鳴り響く部屋の中、眠気と格闘しながら起き上がった私はいつもより早く電車に乗らなければなりませんでした。12月頭は坐禅を集中的に行う摂心という行持があり、私もある高校へ坐禅のお手伝いに行かなければならなかったからです。摂心期間中は朝早くに坐禅を行うため、始発で高校に向かわなければなりません。寒空の中、私は駅へと足早に向かいました。

 

 なんとか電車に間に合うと、そこはいつもと違う景色が広がっていました。当たり前ですが普段と異なり、朝早くの電車はとても空いています。ただそれでも何人か乗客はいます。サラリーマンだけでなく、部活の朝練に向かっている学生達、どこかの工事現場に行く途中の作業服を着た人などなど、様々な境遇の方が乗っています。何人かは音楽を聴いたりスマホをいじったりしていますが、やはり朝ということもあって寝ている方が多いです。足下から包まれる暖かい電車内での睡眠はとても気持ちがよいもので、私もついついウトウトしてしまいました。

 

 「乗り過ごしたら大変だ。」そう思い目の前を見ると、学生の男の子と隣のサラリーマンが互いに寄りかかって寝ていました。知らない人同士がくっついて寝る姿という不思議な光景に私はすっかり目が覚め、つい微笑んでしまいました。普段乗っている殺伐とした電車内が、こんなにも印象が変わるのかと驚いたからです。ガラガラの電車なのに全く面識のない他人同士が互いに寄りかかる姿は、本人達の意図ではなかったとしても、知らず知らずのうちに互いを支え合っていたのです。

 

 時と場合によって物事の印象が変わることはよくあります。それは電車に乗る時間も同様です。朝早くの電車はいつもよりゆとりがあり、お互いがお互いの存在を認め、許し合うような暖かい空間を生みだしているような気がしました。たまには早起きしての電車通勤も悪くないかもしれません。

登る禅僧 特別編 ~初めての海外にて思う事~

 皆さんこんにちは。尚真です。事前情報では今年の冬は暖冬との事でしたが、朝晩はグッと冷え込むようになってまいりました。皆様も風邪などを引かないようご自愛頂きたい今日この頃です。

 

 去る12月8日はお釈迦様がお悟りを開かれた日でした。それをお祝いするため、宗派に限らず日本中のお寺で成道会という法要が開かれます。

 

 お釈迦様は29歳の時に出家し、7日間の座禅修行の後にお悟りを開かれたと伝えられていますが、お釈迦がお悟りを開かれた時の年齢は35歳でした。私も現在35歳。気持ちを新たにする一日でもありました。

 

 

 さて話は変わりますが、先月初めて海外に行ってきました。行先は常夏の島ハワイです。滞在期間中は好天に恵まれてとてもいい旅となりました。今回はその時の話を少し。

 

 ハワイはアメリカ合衆国の州のひとつですが、実は日本からの移民を明治時代から受け入れていた為、寺院や神社が数多く存在しています。

 

 日本でも有名な出雲大社金刀比羅神社大宰府天満宮などの神社、またハワイ平等院には十円玉に描かれている鳳凰堂の精巧な1/3レプリカもあります。

 

 もちろん私共の曹洞宗のお寺もあります。その名も曹洞宗大本山ハワイ別院正法寺正法寺は今から約100年前の1913年(大正2年)に開山されました。 正法寺の近隣には在ホノルル日本国総領事館、他宗派の寺院が数多く存在し、その地域は別名「寺院通り」とも言われています。

 

 正法寺は、お盆やお彼岸などの年中行事だけでなく、冠婚葬祭や座禅をはじめバザーなどの様々な活動を通して、現地の日系社会のコミュニケーションの場としての大切な役割を果たしています。

 

 正法寺へは帰国の前日に参拝する予定を組んでいました。しかし参拝予定のその日の朝に、フロントからの電話で帰国日を一日勘違いしていた事が発覚、参拝は断念し急いで荷作りをして帰国の途に就きました。

 

 帰りの飛行機には無事間に合いましたが、楽しかった旅行の中で、唯一悔やまれる思い出となりました。残念です。。。

 

 初めて海外に行って感じたことは、『自分が「普通」とか「当たり前」と思って縛られている事は、狭い範囲の中での価値観であって、他の人には余り意味をなさない』と言うことです。

 

 自分と周囲との違いが許容できれば、怒りや妬み、差別や偏見なども無くなる様なそんな気がします。帰国後そのような気持ちで生活していると、ハワイの人達のように明るく、そして優しく暮らせているような気がします。

 

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而今に学ぶ。4

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 こんにちは。俊哲です。この記事を投稿している十二月五日は、朧八摂心という期間中になります。これはお釈迦様が菩提樹下にて瞑想をし、十二月八日の明けの明星を見てお悟りなられたという故事を元に、禅宗寺院では一日から八日の朝まで坐禅を集中的に行う期間のことを言います。

 

 とはいえ、現在副住職として寺におりますと、御本山での修行時代のようにゆっくりと一日坐禅だけをしていることもなかなかできません。まず“坐禅”があって、そこに一日の予定があった御本山での生活と、空いている時間を作り、見つけて坐禅をする現在の立場というのは比べることができません。

  そうして考えてみると、大変なことも多く慌ただしいように感じていた御本山での日々は、実際は恵まれていた時間だったと今になって感じております。その修行時代の坐禅一つにせよ、ただ坐っていられたのも食事を用意してくれる者、配膳してくれる者、その間も電話番をしてくれる者がいて、その坐禅は成り立っていたのです。自分の考えが及ぶ範囲でもたくさんの方が支えてくれたのですから、自分が直接支えてもらったという思いが及ばないところの方達の支えがあったことも言うまでもありません。

 

 曹洞宗を日本でお開きになられた道元禅師が坐禅の要項を記された書物の中に、『回向返照の退歩を学すべし』という一文があります。「学びたい」という欲があって坐禅に出会うことは悪いことではありません。ただ、その探求を私たちは外に、外に求めてしまいがちです。その外に求める強い光を内側に向け、しっかり自分を返し照らしなさいというのが、このお言葉です。退歩というのは根本に立ち返るということを意味しております。外の世界があることを知りながらも、その世界と関わる私を知ること。これが世界をありのままに見る第一歩です。

  何度か寄稿させていただいているように、私も外国を旅することが多く、また周りから“外を知ることは良いことだ”と声をかけてもらうことが多くあります。私の旅に出始めたきっかけも、外に答えを探しに出たのがきっかけです。しかし旅を続けているうちに実はそれらは“私”を介して見ることしかできず、まさにこの回向返照の言葉のごとく、私を明らかにしていかねば、世界の本質が見えてこないことが分かりました。

 

 朧八摂心に際して改めて自分とは何なのか向き合ってみると、修行時代のことが思い出される。修行時代のそれも今になり恵まれていたことに気づき“感謝”の思いが湧いてくる。そしてそれは今この瞬間も未来には過去となり、その時には恵まれていたのだと思い返すのでしょう。そして新たに未来に光を求めてしまう。実際は多くの支えによって今この瞬間も生かされた、守られた時間なのです。そのことに気づき、今この時に満足できなければ、いつまでも外に、外に光を求めるのと同じことなのです。

 

私から世界を見ていたものを、世界から私を見ていく

 

皆さんの中にある、仏心がますます輝かれますことを願っております。

自他一如

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こんにちは!光彬です!
鮮やかであった木々の葉は少しずつ落ち続け、
冬に向かっていることを感じさせます。
いかがお過ごしでしょうか?

先日目にした、心がほっこりした出来事を
少し綴らせて頂きます。

東京に出掛けていた時の事です。
近所のバス亭から新宿駅行きのバスにのり
三時間の道を揺られていました。
新宿駅に到着すると、人の山。
眠っていたので、少しクラクラする足を
なんとか進め、駒澤大学駅を目指しました。

目的地に向かうまで何となく
ふらふら、うつらうつらしておりました。
この日は渋谷から世田谷の深沢まで
バスを使って移動することにしました。

バスに乗り15分くらいすると、
お腹の大きな女性が1人で
乗り込んできました。その後ろには、
通学帽を被った小学校低学年らしき子供達が四人。
その小学生の中の1人は松葉づえを片手に歩いていました。

すると、私の目の前にいた若者男性が松葉づえの女の子に、どうぞ座って!と席を譲りました。
他の3人もどうぞどうぞ!と、ダチョ●倶楽部の
真似事をしながら座ることを促していました。

ですが、その女の子は、お腹の大きな女性に
席どうぞ!と譲りました。
女性は申し訳ないと思ったのか、少し座るか迷っている様子でした。1人の男の子が、お前が座ればいいじゃん!と言いましたが、女の子は、
私もいつか子供が出来たら譲って貰えるから
今は大丈夫!と言いました。
女性は笑って、ありがとうと言って
席に着きました。

修行時代に、人は自分が一番かわいく思ってしまう。だけど、そんな中で相手の事を思いやって過ごすことが生きる上では大切だ、と言われたことを思い出しました。

松葉づえの女の子が放った言葉は
世界を少しだけ平和に優しいものに
変えました。


まだまだ修行が足りないと
痛感いたしました*

旅して・・・きた?

こんにちは、哲真です。

私の住む宮城県は朝晩は寒いくらいになりました。

朝課では寒さに身が堪えます。

 

私がいるお寺では、一年を通して様々な動物がやってきます。

犬やネコは当たり前で、タヌキやシカ、カモシカなどが餌を求めて出没します。

(田舎のお寺では結構な「お寺あるある」だと思います)

また、イノシシや熊は出没していないのですが、近くまで熊はやってきてるとのこと。

ちょっと心配ですね。

 

お寺ではネコを一匹飼っているのですが、先日、黒ネコがお寺にやってきました。

旅してきたのか、または捨てられたのかは定かではありません。

 

黒ネコと仲良くできるのか見ていたら、しばらく、特有の「シャー」「シャー」と威嚇し合い、その3分後には、「ニャー」「ニャー」となき合い、二人とも寝る。

そして、30分ほど寝た後に、お寺で飼っているネコが歩き始め、太陽があたり暖かい場所に移動し、日向ぼっこを始めました。

黒ネコはどこかへ行ってしまい、その後は姿を見ることはできなくなりました。

 

この二匹のネコの中に何があったのか、またどうなやり取りをしたかはわかりませんが、今は平穏にのんびり過ごしています。

 

気になるのは黒ネコのその後なのですが、ネコの縄張り争いに負けどこかに去っていったと思われます。

 

人が手を出し、救うこともできますが、

「人が勝手にそれをしていいものかどうか。」

「ネコ同士でのやり取りで決まったことなら受け入れることが必要なのではないか。」

と様々はことを考えながら、どうすれば良かったのかは結論がでませんでしたが、「一期一会」という言葉を強く感じる出来事でした。

 

 

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先週は、近くのお寺での大きな法要に随喜させていただきました。

そこで、多くの方々にお世話になり、またお会いする機会を得られました。

 

これらの「ご縁」に感謝が必要ですね。

 

 

いつの世も

こんにちは。向月です。

朝晩、ずいぶんと冷え込む季節となってきましたね。

風邪などひかぬようご自愛ください。

 

沖縄によく行っていたのは以前話しましたが、今回は八重山地方の伝統工芸品についてのお話しです。

ずいぶん前、友人の結婚式に出席するため石垣島に行ったことがあります。

沖縄の結婚式は私の想像していた結婚式とは違いました。

披露宴会場には大きな舞台が有り、友人知人親戚などがそこで余興をするのです。

学芸会(文化祭?)のような雰囲気です。

歌に踊り、演劇なんかもやってました。4時間近くです。

まさに人生の一大イベントです。最後はみんなでカチャーシー踊ってお開き。それから二次会となるのです。

 

そんな披露宴会場にご両家の結納品や記念品が並べて展示してありました。

その中に八重山地方の伝統工芸品であるミンサー帯というものが有りました。

綺麗な藍色に染められたモノで、五つと四つの柄が交互に織り込まれています。

帯の両脇にはムカデの足のような柄が付けられています。

石垣出身の友人に聞いてみると「琉球時代の通い婚だったころからの風習」だと教えてくれました。

女性から男性に送られるもので五つと四つには「いつ(五)の世(四)までも、いつまでも(五)寄り添って(四)」という意味があるそうです。

また、ムカデの足柄には「足繁くお越しください(通い婚だったので)」という思いが込められているそうです。

いってみれば、女性からのプロポーズのようなモノだったらしいです。

(諸説有るようで、実際にはどうだったかは定かでありません)

なんて素敵な贈り物なんだと感心したのを覚えています。

 

結婚式の翌日、東京へ戻る飛行機の中から沖縄の海を眺めてこんな事を思いました。

自分たちの時代で作ったモノや起きてしまった戦争が、自分たちの子孫の時代になって事故や別の争いごとを引き起こしてしまう。

いつまでも、こんな事を繰り返してはいけないんだ。

友人夫婦やその子孫がいつまでも寄り添っていられるように、この綺麗な海(自然)を守らなければいけない。

私たちの時代で良い行動を起こせば、いずれ子孫の時代に良い結果として出てくるはず。

そのために、自然に優しく、争いごとのない生活を心掛けねばと。

 

また別の旅先で「伝統的な芋煮」をいただいたのですが、その話はまた今度。

 

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(私の三線もミンサー柄です。)