おはようございます、拓光です。
まず初めに台風19号により被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災された皆様の一日も早い復旧を、心よりお祈り申しあげます。
近年の異常気象によるこのような災害が起きるたびに、人間は自然には敵わないのだと思い知らされます。人間は生きているとどうしても欲深くなってしまうものですが、悲しくもこういった災害を通して日常の有り難さを実感する方も多いかと思います。
今日はこのブログを通して、本当の幸せの在り方について考えてみたいと思います。
突然ではございますが、皆さんにお尋ねしたいことがあります。
「あなたは今幸せですか。幸福感を感じていますか。」
いかがでしょうか。
ちなみに国際連合が発表している世界幸福度ランキングでは、日本の幸福度は先進国の中では58位と最下位でした。 このあなたは幸せですか。という質問に、95%以上の国民が「はい」と答えるという国があります。皆さんも一度は聞いたことがあるかと思います。その国の名前はブータンです。
ブータンは何故幸せの国と呼ばれているのでしょうか。
その理由として国民のほとんどが国王の政治の素晴らしさを挙げます。ブータンは衣食住が充実していて医療や教育もすべて無償または格安で受けることが出来ます。 日本人の幸福度は先進国の中で最下位でしたが、今度は質問を変えてみます。
「今、着ている服は自分の服ですか?」
「今日お昼ご飯は食べましたか?」
「昨日は自分の家で寝ましたか?」
ほとんどの人が「はい。」と答えると思います。
つまり、先ほど話した通り私達はブータンの国の人々と同じで、衣食住や医療は足りているのに、幸せを感じられていないのです。
どうしてでしょうか。私達が求める幸せとは一体何なのでしょうか。そしてどうしたら私達は幸せを感じることができるのでしょうか。
今日、世界中の政治家や経済学者の間では、人間が幸せになる為には経済の発展と物質的に満たされることが必要不可欠であると考えてきました。 経済の発展、例えば今で言えばAI、人工知能による簡略化です。簡単に言いますと、車のハンドルを握らなくても自動で運転をしてくれたり、人がいないレジで携帯をかざすだけで会計が出来たりなどの、便利で物に満たされれば私達人間は幸せになれると言っているのです。
しかしブータンはそれに反して、経済や物質的な満足が必ずしも幸せにつながらないと考えてきました。 ブータンの人々は経済の発展や物質的な満足によって幸せを求めるのではなくて必要最低限の生活をおくり、そのことで得る感謝の心、つまり精神的な豊かさによって幸せを求めたのです。
「感謝の心によって得る精神的豊かさ」とは、今私達が当たり前に持っているもの、当たり前に与えられているものに感謝をするということです。これこそが私達が経済などが発展することによって失ってしまったものであり、幸福感を得るために必要なものだと私は思います。
当たり前に持っているものに感謝をする。私達が当たり前に持ってるもので1番最初に挙げられるのが私達の身体だと思います。
曹洞宗の経典にある修証義というお経の中には「人身得ること難し、仏法おうこと稀なり」という一文があります。 「人身得ること難し、仏法おうこと稀なり」これは生きとし生けるものの多い中で、人間として生を受けるということは大変稀なことで、その中でも仏法、お釈迦様の教えに出会えることは更に稀なんですよという意味です。
お釈迦様は、「人間に生まれるということは、非常に有り難いことで幸せなことなんですよ」と言っておられるわけです。
さらに私達の命には限りがあります。今は平均寿命が延びて「人生百年時代」といわれていますが、いつか必ず死がおとずれます。そのやがて死すべき命が、今日もまだ亡くならずに、こうしてここで皆さんとブログを通して御縁を結ぶことができている。これもまた大変に幸せなことです。
次に私達の心の在り方についてお話致します。
私達が持っている煩悩、欲望は満たせば必ず次の欲望を生みます。私達はこの果てしない欲望とどのようにして向き合っていくか、付き合っていくかが問題になります。
お釈迦様の教えには「少欲知足」という言葉があります。
「少欲知足」とは、読んで字のごとく、「欲する気持ちを少なくして、足りることを知る」ということです。よく仏教は、無欲、つまり欲をなくすことを説いていると思われがちですがそうではありません。 お釈迦様は欲望を満たすことが悪いことだとは言っていません。そもそも欲を全くなくすということは不可能なことです。
実際、人間の三大欲求でもある食欲、性欲、睡眠欲を全てなくすことなど不可能です。お釈迦さまは欲にとらわれ、際限なく貪ることがよくないといっているのです。
極端な節約家やケチになるということではなく、「少欲知足」、必要最低限で満足する心を養いましょうということです。小さなことでもそこに喜びを見出し、感謝できることはきっと私達の心を豊かにしてくれるでしょう。 常に自分の心が喜びと感謝に満ちていることで、いつでも「幸せである」と実感が出来るのです。
つまり幸せになる為には、いかに日常の生活にある当たり前のことに感謝を出来るかということです。
人間として生まれてきたこと、衣食住が満たされていること以外で当たり前にある幸せを少し一緒に探してみましょう。
「 皆さんは自分の足に感謝をしたことがありますか?」
「 今日、仕事や買い物などの用事で外出をしましたか?」
外出する為には健康な足がなければできません。
普段は意識していないかもしれませんが、当たり前にある幸せはこのように様々な所に散らばっています。それを意識するだけで、今目の前にある当たり前の幸せにもっともっと気付くことが出来ると思います。
最後に詩人の相田みつをさんの詩に「しあわせはいつも自分のこころがきめる」というものがあります。
「しあわせはいつも自分のこころがきめる」まさにその通りです。幸せの形は人それぞれです。例えば立派な家に住んでいても幸せと思わない人もいます。逆に小さな家に住むことで幸せを感じる人もいます。
質素な生活だとしても心に感謝の喜びがあれば幸せです。 経済的にも社会的にもどれだけ恵まれていても、それを当たり前と思ってしまい心に感謝の喜びがなければ幸せとは感じられないでしょう。
つまり幸せを感じさせるものは、他者より大きく、より多いから幸せというのではなく、自分なりの人生、あくまでも自分の心に安らぎと豊かな喜びがあるかどうかだと思います。
最後におさらいさせていただきます。今回は「私達が幸せになる為にはどうしたらよいか」ということについて綴らせていただきました。
幸せを感じるためには2つポイントがありました。
1つ目は、今日も一日をつつがなく迎えられる幸せ、例えば朝ご飯がおいしいと感じることが出来るなどの、自分の周りに当たり前に存在する幸せに気づいているかということ。
2つ目は、幸せという価値観は他者と比べるものではなく、人それぞれであるということです。
私達は少し見方を変えるだけでいくらでも幸せになれるのです。
皆さんが毎日を幸せに笑顔で過ごされますよう、心より御祈念申し上げます。