こんにちは。俊哲です。本年も旅する禅僧ともども、どうぞよろしくお付き合いくださいませ。
令和5年、私の最初の投稿は何を書こうか考えたのですが、前回の禅信さんの投稿にもありましたが、『お正月』にちなみ、一に止まるという意味でも原点に戻ってブログタイトル「旅」の話をしたく思います。
国内で最初の新型コロナ感染者が出てから、先日で丸3年が経ちました。私も以来、海外へ行くこともなかったのですが、昨年10月末に実に2年半ぶりとなる南米ブラジル・パラグアイへの海外渡航をしてまいりました。
両国とも、目的は知人や後輩の僧侶が新しく住職となる式(晋山式)に立ち会うためで、プライベートな旅とは違ってはなかなかハードな旅でした。ですが、久しぶりの海外への旅は不思議な緊張感と懐かしさが入り混じる、すごく刺激的なものでした。
特に、今回初めて足を踏み入れたパラグアイでの経験はいろいろな困難もありましたが、今振り返ると本当に良い経験をさせてもらいました。
赴いた場所は、パラグアイにあるコロニアル・イグアス。そこにはパラグアイ国内で最大の日系人のコミュニティがあり、曹洞宗大本山總持寺のお直末(親子のような付属関係を持つ寺)である拓恩寺というお寺があります。
日本からは、まずブラジルまで行き、国内線の飛行機でフォスドイグアスという町へ行きます。そこから今度は陸路にて国境を越え、およそ40キロほど走ったところにあり、単純計算すると片道38時間くらいかかります。
他の南米の日系人コミュニティと比較すると、未だ日系1世、2世の方が多い印象を受け、実際日本語で会話することの多い地域でした。
とはいえ、お店などで食事をする時は当然スペイン語しか通じず、日本人のコミュニティがあっても日本のもの全てが揃うわけではありません。
また、拓恩寺さんは開山してからの歴史は浅く、未だ現地の方達に馴染み深いという感じとも違い、お寺の建設に携わった方達やそのご子息さんたちが一生懸命に支えているという印象を受けました。
私は法要が行われるより数日前にパラグアイ拓恩寺さんに入り、法要の準備や南米各地から集まる僧侶、また日本からも来られる一団を迎える手伝いをしておりました。
実際私がパラグアイについた時、拓恩寺さんの法要の準備はほとんどできていなかったと言って良いと思います。晋山式を経験した南米の僧侶という方も多くはおらず、法要の勝手がわかる方も少ないため、新しく住職となる後輩僧侶と急いで準備を致しました。
「あれがない、これがない」そんなことばかりで、日本じゃないのだから必要なものが揃わないのは仕方がないと思いながらおりました。
夕暮れ時になると境内で飼育されている犬を、お寺の外に散歩に連れ出します。気分転換にと私も同行し、通りを歩いていると商店の前に差し掛かったところで呼び止められました。
声の主は先ほどまで共に準備をしてくれた檀信徒の方達で、お店で晩御飯を食べながら晩酌をされておられました。
私たちも晩御飯のお誘いを受け、ご供養に預かりました。
会話の中で度々礼を申され、彼らの酔いが深まってくると、普段聞くことのできないような興味深いお話をたくさん聞かせてもらいました。(それはまたの機会に)
いよいよお開きというタイミングで再び呼び止められました。
「あのさ、出来る出来ないは別にして、足りないことや準備しなきゃならないこと、全部言ってください。このお寺ってパラグアイ初の仏教寺院なんです。しかも日本のお寺。ここで足りないことや不備があれば、この土地の、パラグアイの恥になるなんです。それは、せっかく入ってくれる新しい住職さんにも失礼になってしまう。俺たちにも責任がありますから。」と。
その時の皆さんの顔が今でも鮮明に思い出されます。先ほどまで、あぁでもない、こうでもないと笑い合っていた皆さんの目が変わったのがわかりました。
私は正直に「日本から遠いパラグアイだから仕方がない」と諦めて準備をしていたことを伝え、お詫びしました。そして、「では…」と切り出し、さまざま注文をさせていただきましました。
もちろん準備が不十分だったものもありましたが、終わってから振り返ると、パラグアイの皆様の「おもてなし」を感じる法要が執り行えたと思っております。
どこかで勝手に枠を決め、制限を設けていた自分を恥じました。
個人の想いだけでこうした宗教的な儀礼は営まれません。多くの人たちの思い、そして多くの人たちの手を借りて営まれていくということを再確認致しました。
さらに、過去・現在・未来という時間軸がつながっていくことを身をもって感じることができました。命懸けで入植し、まさに人生をかけて開拓してきた方達の想いと、そこで生まれ育った人たちと、これからその縁を受けて生まれてくる方達と、繋がっていくことの尊さを。その一部分に携わることができた喜びは、何事にも変えられません。行ってよかった。心からそう思いました。
可愛い子には旅をさせろ。多少の苦労は買ってでもしたほうが良いとは言いますが、何よりも異国という環境に身を投じることは、馴染みのある日常生活で感じる気づきより、明らかに反応速度が違っていることを久しぶりに感じた旅になりました。