旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

結果にこだわるという事

みなさんこんにちは尚真です。3月になり日差しも暖かくなり、すっかり春らしくなってきました。

 

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ウメのつぼみが膨らんできました

 

つい先日まで中国の北京で冬季オリンピックが開催されていました。そして3月4日にはパラリンピックが始まります。東京オリンピックパラリンピックもついこの間のようですが、もう冬のオリンピックかという感じです。

 

これもコロナウィルスの影響で東京オリンピックが延期となったためですが、見る側としては楽しみが増えたような気になり、今となっては、これはこれで良かったのかもしれません。

 

選手やスタッフ、関係者の方々の気持ちを思いやると、様々な苦労の中で延期することなく開催されたことに安どされた事と思います。

 

さて冬のオリンピックの種目の中で皆さんはどの競技をご覧になったでしょうか?メダルの結果も影響しているかもしれませんが、視聴率の高かった競技は1位と2位がカーリング女子(決勝と準決勝)、3位がフィギュアスケート男子シングルだそうです。

 

そんな中、我が家での注目度が高かった競技はスキージャンプとスノーボードハーフパイプです。どちらの競技も前評判通りの活躍で日本人選手が見事金メダルを獲得しました。

 

日本人選手の活躍もさることながら、見ていて惹きつけられたのはやはり競技自体が持つ迫力だったかと思います。

 

スキージャンプの100mを超す大ジャンプや、ハーフパイプの縦横に何回転もするトリックなど、あの大迫力は夏のオリンピックでもなかなか見られるものではありません。

 

そもそも冬季オリンピックの種目は高スピードの競技や、高速で回転するような競技が多いように思います。氷や固められた雪の上での競技ですので、選手が失敗して転倒などしようものなら、見ているこちらまで痛くなる気がします。

 

ましてスキーのジャンプやハーフパイプは痛そう度合は金メダル級です。自分には到底出来そうもありませんがそういった側面も見ているものを惹きつける理由かも知れません。

 

中継の中でハーフパイプの選手のコメントが紹介されていましたが、「命懸けて競技に取り組んでいる中で、心の中では空を飛んでみたいという想いがある」とのことでした。

 

選手達は恐怖心と闘いながら、技や飛距離などの自分の限界に挑んでいるだけでなく、もしかしたら人類の限界にも挑戦し続けているのかもしれません。

 

このように自分の目標を目指して、技の完成度や順位などの結果に強くこだわることは、見方を変えると「執着」に似ています。

 

四苦八苦という言葉は皆さんにもおなじみの言葉ですがもとは仏教の言葉で苦しみの種類を表しています。この中に「求不得苦」という苦しみがあります。

 

これは求めるものが手に入らない事での苦しみを指します。求めるものとは物質的な物だけでなく、地位や名誉など欲望が満たされない苦しみも含みます。ですので私たちは執着を離れることで、苦しみから逃れることが出来るのです。

 

きっと選手の皆さんも思うような結果が出ない時期には、苦しみを抱えている事でしょう。周囲からのプレッシャーやトレーニングも重なって、さまざまに苦しんでしまいそうです。

 

そう考えると、選手の皆さんは執着を捨てる事とは真逆のように感じてしまいます。しかしそのような苦しみを隠しながら直向きに競技に打ち込む姿が、見ている人に感動を与えるのでしょうか。

 

普段の生活の中で、結果に強くこだわってしまう場面があるかと思います。そんな時には執着は捨てるばかりでなく、良い結果を生む執着もあるのだなと感じた北京オリンピックでした。

 

そしてそんな平和の祭典であるオリンピック直後に、残念なことに新たな戦火が生まれてしまいました。犠牲になられた方のご冥福を祈るとともに、一刻も早く停戦交渉がまとまり、被害が拡大しないことを祈ります。

 

遠い国で戦火に合われている方々に、私たちがしてあげられる事があるのでしょうか。私たちが今できる事は、もしかしたらただ祈る事しか出来ないのかも知れません。

 

せめて自分たちの周りで、どんなに小さな争いだとしても、これ以上争いを起こさないようにする事はすぐにでも出来ることだと思います。

 

このブログでも今まで色んな方が「同事」の記事を書かれてきました。どんなに意見や価値観が異なる人でも、今こそ「同事」の気持ちを大切にして、争いごとの無い生活にしたいと思います。