旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

〜旅感〜

 皆さまはじめまして。秀隆(シュウリュウ)と申します。

旅する禅僧執筆メンバーの方とご縁をいただき、今回投稿する運びとなりました。メンバーの皆さまと違い浅学非才の身ですが、有り難きことと思い、書かせていただきます。宜しくお願い致します。

 

 さて、旅する禅僧ということで、「旅」について書きたいと思いますが、皆さまにとって「旅」とはどういったもの(イメージ)でしょうか。現状は新型コロナウイルス感染症の影響により、国内外ともに「旅」することが難しくなっておりますが、私にとって「旅」はとても身近なものでした。

 

というのも、私の師匠が住職になる前、旅行代理店に勤務していたという経緯もあり、毎年家族旅行に連れて行ってもらっておりました。

 

その影響からか、大学に入学してからも旅行サークルに所属していましたし、そして、僧侶になってからは寺社仏閣に興味を持ち、数多くの建物をめぐりました。

 

 「旅」というものは、私のように環境(自分の置かれる立場)によって感覚・景色が異なってくるものと思います。一度訪れたことのある場所なのに、違った場所に見える、もちろんその場所自体が変化していることもありますし、一人で行くのか・誰かと行くのかにもよりますが、それも一つとして新たな“気付き”がある。

そのような体験が皆さまにも一度はあるのではないかと思います。

「旅」は楽しいものでもありつつ、新たな発見をくれる学びでもあると思います。

 

 

 

 私は、昨年・一昨年と仏教の聖地であるインドを訪れることができました。僧侶にならなければ行くことがなかったであろう、という言葉が出てしまうほどインド国内でもかなりの田舎でした。ただ、僧侶として生きさせていただいている今だからこそ訪れてみたいという思いが強くありました。

 

 日頃、お唱えしているお釈迦さまが実在し、どんな道を歩まれたのか身をもって体感できたことは自分にとって大きな財産です。本来、ここでその体験をお話したいのですがうまく言葉に出来ません。自分が浅学非才の身であることに違いないですが。

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ブッダガヤの町を歩く筆者

 各聖地をめぐって、礼拝し、ただ坐る。それは、なんとも言葉にならない安らかで心地の良いものでした。いつかこれを自分の言葉にできるまで、また何度でも訪れたいと思わせてくれる場所でした。


なんだか、歯切れの悪い文章で申し訳ありません。

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釈尊成道の地ブッダガヤ大菩提寺内・初転法輪の地サールナートでの坐禅

 

 最後に余計な話を一つ。

 

 私は先に申した通り、小さい頃から旅が身近であったため乗り物が好きになりました。毎月発行される分厚い辞書のような時刻表は皆さんご存じでしょうか?漫画やゲームではなくそれを、毎月買ってもらうのが秀隆少年の楽しみでありました。インターネットが普及した今、なんでも調べられるのであまり需要はなくなりましたが、今でもたまに購入して眺めています。目的地を定め、どうやって乗り継いで行くか。路線図を見ながら、自分自身で調べて
いく「脳内旅行」を楽しんでいます。

 

コロナ禍で気軽に出掛けることのできない今、皆さまもぜひ一度お試しください。笑

 

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分厚い時刻表。脳内旅行のお供におすすめ。