旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

全部雪のせい?

 みなさんこんにちは尚真です。つい先日、二十四節気の一つである大寒を迎え、暦の上では、まさに今が寒さの一番厳しい時期と言われています。実際は今週になってだんだん暖かくなってきましたが、空気も乾燥していますので、体調管理には十分気を付けて頂きたいと思います。

 

 そんな冬の楽しみと言えば、スキーなどのウィンタースポーツが思い浮かぶ方も多いと思います。寒い冬が苦手な私も、学生時代からつい数年前まで、趣味でスノーボードをやっていました。毎年冬になるとスノーボードをしに東北や信越地方のスキー場に友人達と出掛けていたのを思い出します。

 

 冬の朝は日の出も遅く、出掛ける時間は大抵辺りは真っ暗です。高速道路に乗って雪山に向かう道中でだんだん周辺が明るくなってきて、川端康成の「雪国」の様にトンネルを抜けた途端に辺り一面銀世界になっていった時は、雪が降らない地域出身の人には、何度見ても興奮を覚える光景だと思います。

 

 スノーボードを長年していて思う事は、スキー場は他のリゾート施設に比べて比較的マナーが悪いように感じていました。それは、雪景色から来る非日常感やゴーグル等で顔が見えない事で普段はあまり取らない様な行動を、スキー場ではついしてしまうのでは無いかと実体験から感じます。

 

 そんなスキー場で最も問題となっていたのは、滑走可能エリア以外の滑走禁止エリアでの滑走では無いでしょうか。スキー場は安全に滑走出来るように、オープン前に圧雪と言って軽く雪を固めてあります。その整備されたエリアを滑走可能エリアとしてロープ等で仕切ってあります。

 

 しかし固められていないパウダースノーを求める人、木立の中や複雑な地形などのスリリングな滑走を求める人が、仕切りのロープを潜って滑走禁止エリアに入って行ってしまうのです。誰か一人が入っていくと、雪面についた板の跡を追って次々と人が入って行きます。

 

 滑走禁止エリアは、雪崩の可能性がある、怪我や事故が起こっても発見が遅れて重大な事故に発展する可能性があるなどの理由で、スキー場が危険と判断して滑走禁止としています。もしそこで事故が起きれば多くの人に迷惑が掛かる事は容易に予想できます。

 

 正直に言うと、私も禁止エリアに立ち入ってしまう人の一人でした。当時は雪崩を引き起こしてしまうかもしれない事、怪我をして動けなくなってしまったら誰にも発見されないかもしれない事、多くの人に迷惑を掛けてしまうかも知れない事等を全く考えずに、ただ自分が楽しむ事しか考えていませんでした。

 

 そういった行為が常習化し、どんどんエスカレートして行く事で、年を重ねる毎に小さな怪我をする事が増えて行きました。そんな頃に僧侶になるため修行道場に行く事になり、暫くの間スキー場から足が遠のき、それ以来スノーボードはきっぱり辞めてしまいました。

 

 道元禅師は善い行いも悪い行いも必ず結果として現れるとされています。そしてその結果がすぐに現れなくてもいつか必ず現れるので、日常的に己を律しないといけないと説かれています。

 

 もしあのまま危険な滑走を続けていたら、大きな怪我や事故を起こしていたかも知れない。また誰にも迷惑を掛けていないと、自分勝手で浅はかな考えでルールを破り続けていたかも知れない。そう考えると怖さや恥ずかしさで複雑な気持ちになります。

 

 つい先週、同じような事で大きな失敗がありました。山の草刈りをしたのですが、刈ったゴミの処理について近所の方にお叱りを受けてしまいました。自分勝手な解釈をしてゴミの片付けを怠った為、用水路にゴミが詰まって水が流れなくなってしまったのです。自分の浅はかな考えのせいで、無関係の人に迷惑をかけてしまいました。

 

 自分の都合の良い解釈で、人の迷惑を考えずに行動してしまう事が常習化してしまっているのでしょうか。過去の苦い経験を活かす事が出来ず、人に迷惑を掛けてお叱りを受けると言う悪い結果が現れてしまいました。私自身も行動を顧みつつ、読者の皆さんも私の様な失敗をしない様に思って頂けたら幸いです。

 

 

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雪が全てを隠してくれる訳ではありませんね