旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

年のはじまり

みなさんこんにちは!
光彬です!
いかがお過ごしでしょうか?
緊急事態宣言が発令され、心地よい生活が
出来ない中かと思います。ですが、
どうか耐えてください。一人一人の努力と気遣い、
想う気持ちが、知らない誰かを、そして
みなさんの大切な人を救います。

さて!
年が明けて早2週間近くが経過しました。
再びの緊急事態宣言が出てしまいましたが、
私がいる山梨のお寺でも少しずつ、
自粛していた法事をしたいとご連絡をいただいています。

先日、年が明けて最初のご供養の日でした。
その日の本堂は特に冷えきっていて、ご家族が
いらっしゃる2時間前にストーブ4台をフル稼働して
迎える支度をしていました。
25人で来たいと言っていた所を、自粛等もあるからと
10人まで減らして、配慮をしてくれました。
時間の15分前になり、8人が集まりました。
もう来るだろうと、お焼香用の香炉に炭入れをしたり、
蝋燭の火を灯したり、いつ始めても良いように
準備をしていました。

3分前になり、家族もどうしたのだろうと
そわそわしだしました。私は、ちょっと遅れる分には
待っていようと思っていましたが、
なかなか来る気配がありません。
電話も繋がらない、近くまで来たのかも分からない、
そんな状態が続きました。

結局、電話があったのは法要開始予定時刻から
45分経ってからでしたが、
私はその前から少しずつイライラしてきていました。
こっちだって寒いなか、少しでも
ご供養に心が向けられるようにと
暖房を付けたり階段を掃いてキレイにしておいたり、
トイレの掃除をしたり、不快に思わないようにと
支度をしたつもりでした。

法要が開始したのは電話が繋がってから
約2時間経過した頃でした。
ご家族も、先に始めてくださいと言ってくれましたが、
意固地で何とも言えない苛立ちのせいで
待ちましょうと、思ってもない気持ちを口に
していました。


ようやく全員が揃い、無事に17回忌の法要を
済ませることができました。
苛立ちの中でした法要は、自分でもかなり
気持ちの悪いものでした。その時、
遅れてきた人は苦笑いしながら謝ってきましたが、
故人の奥様が涙ぐみながら、
遅れてきた人を待ってから法事をしてくれてありがとうございました。主人とも仲が良かった人でしたから、全員が揃って法事の席にいられて、嬉しい気持ちでした。
と、言ってきてくれました。

その言葉を聞いて、
私の中に、調理器具の焦げのように纏わりついていた
イライラは、一瞬で消えて無くなったようでした。
ご家族をお見送りしてからは、なんで
あんなことでイライラしたのだろう、もしかしたら
昨晩の仕事疲れで寝坊してしまったかもしれない、
ケータイの電波が上手く繋がらないところを
走っている最中だったのかもしれない、
それでも忙しい中来てくれたのに、と
恥ずかしい気持ちになりました。


修証義というお経のなかには
愛語(慈愛に溢れた優しい言葉)がもたらす高徳をお示しになる部分があります。
"人としての善い徳を持っている人は褒めて、
徳の薄い人に対しては憐れみをもって接し、
憎い敵を穏やかに説き伏せ、
権力者同士を和解させて平和へと導く力があるもの、
それが愛語である"

その日、憤りの気持ちに囚われていた私を
穏やかにしてくれたのは、施主さんの優しいお礼の言葉でした。


これは、全てのことに通じることです。
特に今、コロナでたくさんの人が不満を抱き、窮屈な心で
過ごしている時だからこそ、かけられる言葉が
愛語ではないでしょうか?

私自身がまず
相手に優しい言葉を話します。
みなさんも一緒に、実践して貰えると嬉しいです。
素敵な1年にしましょう。

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