旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

而今に学ぶ。15

 こんにちは。俊哲です。皆様いかがお過ごしでしょうか。緊急事態宣言が解除され、いくらかなりの開放感と、まだ解決したわけではない恐怖心を抱きながらの日々が続いております。

 

自粛が叫ばれ、私も基本的にはお寺の外に出ることなく日々を過ごしておりました。緊急事態宣言が出てからはお寺にお参りに来る人の数も減ったので、そのぶんその毎日は坐禅をしたり、経を詠んだり、祖録を読むということに時間を使っておりました。

 

 その中で、ジャンブーの樹について仏典を調べておりました。このジャンブーという植物は、ムラサキフトモモと言う植物で、別名アマゾンオリーブとも呼ばれます。お釈迦様が初めて瞑想・坐禅をしたのがその樹の下だと聞いたことがありました。原産はインドや東南アジアで、観賞用として日本でも流通しております。私も南アジアの国々を旅した時には、このジャンブーの実をよく食します。非常に渋みのある紫の色をした実で、塩とチリスパイスを共に袋に入れて混ぜ合わせて食べます。古くから、そうした国々では成人病の薬としても食されております。

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ジャンブーの実を販売する男性。手前の黒っぽい実がジャンブー。(🇧🇩Bangladeshにて)

そのジャンブー樹を私は育てていて、冬の間は小さい温室で越冬させているのですが、この時期に温室から出してあげるので、合わせてその樹がどのようにお釈迦様に関係があるのか調べ直しておりました。

 

お釈迦様が初めて瞑想坐禅をされたのは幼少期のことで、お父様浄飯王に城の外に連れ出された時のことでした。

お釈迦様は、釈迦族の王子として育ち、お城の外のことを全く知らずに育ちました。それゆえに、城の外でみた光景があまりにショックだったのです。

仏典ではその様子を「田植えの時期に、王が側を通るのにも気づかず働く。流れる汗が乾き白く塩を噴き、働きづめの牛は足を止めそうで、それを追い立てる人間も牛と劣らず疲れ切っている。それでも休もうとせずに少しでも耕そうと働き、その掘り返された土には虫たちが顔を出す。その虫達を狙い鳥達が群がり、我先にと必死に取り合いついばんでいた。」と伝えています。

 

若き日のお釈迦様は「鳥達は同じ仲間であるのに争い、強いものが弱いものを押し退け、逃げることのできない虫を啄んでいる、人々は疲れ果てているが、同じように疲れ果てている牛に鞭を打ち、追い立てるように働いている。この世は苦しみに満ちている」と思われたそうです。

王子として城内で不自由なく暮らす自分の存在と、城の外の世界に混乱し、お釈迦様はお父様の元を離れ、ひとり静かに座られたのがこのジャンブーの樹下でした。

 

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若き日のお釈迦様が王子として暮らしたとされるカピラ城の様子。現在未だ発掘途中。写真はお釈迦様が出家された時に城外に出られたとされる東門から城内を見た様子。(🇳🇵Nepal)

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カピラ城周辺の現代の様子。

 私のいる寺では、生ゴミや痛んでしまった果物はまとめて境内の奥にある雑木林に撒きます。周りの植物の栄養になるほか、それらを当てにした動物達の餌となるからです。いつも決まって母がそれらを台車に乗せ雑木林に向かうのですが、周りの木の上からカラスがその様子を伺います。賢く、人間と生活が近いカラスは母が台車を用意する頃から、遠くのカラスにもそのことを伝え鳴き始めます。

 そして撒いて帰ってくる頃にはカラス達がついばみ始めるのですが、決まって喧嘩をするのです。時には、食べものではなく、境内の掃除した枝葉を集め台車に乗せて運んでいても、いつもの場所に餌を運んでいると思いカラス達はその場を探し始め、終いにはそこに餌がないのに探す優先権をかけて争いを始めます。

母は、餌となるものを撒く時にはカラス達に「喧嘩しないでね」と声をかけるんだと言っておりましたが、思い虚しくカラス達は喧嘩をし、また他の動物達も縄張り争いを行います。

 

 

 若き日のお釈迦様は、このカラス達のことを見ても同じように苦しく感じられたのだろうと思います。

お釈迦様は『鳥達は馬鹿だなぁ』と自分と比較をするのではなく、その光景を見た自分に思いを向けられたのです。

 

世界とはそういうものです。動物は馬鹿だと思った人間も、お金を求め、利権や優先権を求め、最近だとこのコロナの影響でトイレットペーパーやマスクを求めて我先にと争い合っておりました。

 

醜く、苦しいのです。でも、そう感じるのは、感じることができるのは「私」自身に他なりません。

お釈迦様も感じられたこうした出来事を通し、ではどのように行動するのか、自分の生活はどうしたら良いのかと疑問を持つことが、この世界を苦しむことなく生きるための第一歩となります。

 

若き日のお釈迦様の苦悩する姿に寄り添ったように、私がそんなことを考える日々もまた、ジャンブー樹に見られているようでした。

 

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写真中央に生える木がジャンブー