旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

料理の醍醐味

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みなさん、こんにちは。慧州です。緊急事態宣言が全国で発令されてから早くも約1週間。新型コロナウイルスによって世間では大きな混乱を招いています。私も普段は都内に電車を使って出勤していますが、今は在宅勤務の日々が続いています。

 

自宅にいるせいか、テレビを観る機会が増えました。大抵はコロナ関連のニュースばかりですが、その中でも明るい話題もあります。それは休校中の子どもたちが親と料理をする機会が増えたというニュースです。子どもが料理を学ぶことができるのはもちろんのこと、親子にとって良いコミュニケーションになっているそうです。

 

ニュースを見た私は、久しぶりに料理でもやろうと早速台所に向かいました。普段はあまり自炊をしない私ですが、実はかつて料理に苦い思い出があり、好きではありませんでした。

 

私が高校1年だったとき、家庭科実習がありました。その日のメニューはカレーライス。とても簡単な料理です。当時の私は料理経験が全くなかったのですが、普段の教室での授業と違った雰囲気にいつもよりワクワクしていました。各担当に分かれて、先生の指示で調理が始まります。私は野菜を切る担当になりました。

 

意気揚々と包丁を握る私。しかし、一つ一つ異なる野菜の形に私は四苦八苦しながら切っていました。他の人は既に野菜を切り終えて次の工程に進んでいるのに、私だけはまだ終わっておらず、ますます焦っていました。そんな私をみかねた先生はこう言いました。

 

「君はやる気があるのはいいけど、無理しないでいいからね。他の人に変わってもらいなさい」

 

先生はフォローしたつもりで声かけしたのだと思います。ですが、当時の私は戦力外通告を受けたような気持ちになり、とても落ち込みました。心のどこかで「料理の才能がないんだな」と思い、それ以来料理をする機会がほとんどなくなりました。

 

あれから15年。僧侶として精進料理を作る機会が増えた私は、相変わらず周りの人からは「包丁の使い方、あぶないなぁ」と笑われながらではあるものの、段々と料理に対して抵抗感がなくなってきました。今ではレシピもスマートフォンで簡単に検索でき、いろんな工夫ができるので、私でも美味しく作ることができます。特に残り物の食材だけで計算して作り、冷蔵庫の中が少し綺麗になると、「うまくいったなぁ」なんて思ったりしています。

 

包丁で食材を切る音やフライパンで炒める音、換気扇の音ですら一種のBGMとなって、料理をする贅沢な時間。黙々と料理をしていると、先行きが見えない不安が紛れるような気がします。それは美味しいものをいただくことはもちろん、料理という行為そのものが生きる力なのかもしれません。明日へ生きるため、今日も料理をしたいと思います。

 

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