旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

而今に学ぶ。14

 こんにちは。俊哲です。前回私がこちらで投稿をしてからおよそ2ヶ月の間に、COVID -19(新型コロナウイルス)によって世界は大きな動きを見せています。各地で行われるロックダウン(都市封鎖)や外出自粛、感染者数の増加を連日メディアが報じております。

 

 私たちがこの世のすべてと認識していた『世界』が、たった1ヶ月、2ヶ月でグラグラと揺らぎ始めました。世界をリードしてきた大企業の株価の暴落、身近なところでも買い占め行為によって店舗から商品が消え、最新の医療を受けても数日で死にいたらしむ未知の病は、東日本大震災の時ともまた違います。被災地域以外に目を向ければ当たり前の生活があり、震災以前のようにと復興の道を歩んできた自然災害とは違い、どの場所にいても安心とは言えないこの未知の病の恐怖に苛まれております。

 

        私たちが『世界』と思ってきたものは、こんなに脆かったのだ。

 これが、一番に私が感じていることです。

これまでの当たり前が、当たり前ではなく、とてもありがたいことだったと感じている人も、きっと私だけではないはずです。

 

 以前、大きな手術を乗り越えたプロ野球選手のインタビューを目にしました。その内容は手術を前に、同じように大きな手術を乗り越えた先輩の選手に言われた言葉を紹介しておりました。

「手術をしたら、痛みはなくなる。けれど、手術前と同じようにはボールを投げられない。手術前の感覚を取り戻すための努力をしても、全く同じ感覚を取り戻すことは叶わず、焦り苦しむだろう。けれで、手術を終えた事実を受け入れ、手術を終えた今の腕でできる最高ピッチングのための努力をすれば、君ならまた戻ってこられるよ」そんな内容でした。

  

 起こったこと、今起こっていること。事実は事実として受け入れる。そして、その事実があっても続く生をどう生きるか。時間は刻一刻と過ぎ、二度と今この瞬間がもどってくることはありません。

 

 今、COVID-19が世界を激変させました。この騒ぎの中メディアを見ていると「補償はどうなる、学校を休みにさせられ困る、国が悪い、〇〇のせいだ」といった自分の生活が変わらないように、そして自分の生活が変わるかもしれないという不安から、自分より大きい媒体に向けた不満の声で溢れております。

しかし、今このCOVID-19が起こっているという事実があります。 COVID-19が発生する前とは違う世界なのだと受容することの重要性を強く感じるのです。

 

 この世界との関わり方、いや、各人の世界は10人いれば10通りあります。100人いれば100通りです。他人のそれと比べることはできず、また、そこに正解は存在しません。でも、イライラし、不満に感じ、その感情に振り回され誰かのせいにしたり、怒りの感情を大きくさせることは全く愚かなことです。

イライラや怒りが、笑顔や幸せな気持ちを導いた経験がありますか?

 

 刺激から快楽を感じていた人たちには、家から出ずに閉鎖的な日々を過ごすことは退屈に感じるでしょう。

 でも、不安に感じる私とは何で、不安に思う気持ちとは何で、なぜ不安に思うのか。退屈に感じ、不満に感じるのは誰で、なぜそのように感じ、感じているものとは何なのか。そんな大きな宿題があります。

 

 COVID-19が発生する以前と以後を比べたら不満が生じるかもしれませんが、もう発生してしまった今、私たちは何をすべきか、今一度冷静になりましょう。

いつかこのコロナの騒ぎが落ち着いた時に、コロナの騒ぎを共に乗り越えた者の一人として笑い合える日がくることを今はただ願っております。

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いつかまた笑って過ごせる日のために。今は人のため、自分のために行動しましょう。