旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

消える風景、気づく今

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みなさん、こんにちは。慧州です。先日、少し悲しい別れがありました。地元を歩いていた時、近所の商店街にあるスーパーがなんと閉店していたのです。外には在庫処分しきれなかった大量の段ボール箱が積まれていて、スーパーの扉は少しだけ半開きでした。中を少しだけ覗いて見ると、すでに陳列棚には何もなく、ガランとしていました。

 

何の前触れもない閉店でしたのでとても驚きました。ただ、よくよく考えてみれば最近は新しい大型スーパーが近くで開店した影響で価格競争が激しくなっていましたし、私自身もスーパーに行かなくてもよい買い物はネット通販で済ませることが多くなっていました。さまざまな事情が重なっての閉店だったのかもしれません。

 

40年以上ずっと続いていたそのスーパーは、この町で住民の生活を支えてくれました。私もよく子供の頃は親と一緒に買い物にきました。レジ前にあるお菓子売り場で好きなお菓子を勝手に取ってきて、親にねだった思い出が懐かしく感じます。そんな当たり前の風景がこうも簡単になくなってしまうなんて、もっとスーパーを利用していれば良かったと少し後悔もしています。

 

諸行無常(しょぎょうむじょう)」という仏教の教えがあります。「全ての存在は常に変わりうるもの」と説かれたこの教えは、頭では分かっていても実感しづらいものだと思います。近所の風景であっても、過去の栄光であっても、大切な人であっても、いずれは目の前から消えてしまう。そして、自分自身ですら、いずれは変わって消えてしまうことを私たちは忘れがちなのかもしれません。

 

仏教を説いた釈尊はこんな言葉を残されています。

 

 過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられ、未来はいまだ来ていない。

 ただ、今おこっている事象をその時その時に観察し、ゆらぐことなく、動ずること 

 なく、よく見つめて、それを修すべきである。今日なすべきことのみを熱心になせ。

 死は明日にも来るかもしれないのに、誰もこれを知る者はいない (『中部経典』)

 

いつどうなるかなんて誰もわからない。だからこそ今を生きなさいと説かれたこの教えは、とても大事な言葉だと思います。今なすべきことは人それぞれで、これだというものはなかなかわからないでしょう。私自身もスーパーひとつなくなるだけで動揺をしているように、不安の中に生きていると思います。

 

だからこそ、忙しなく不安な毎日だからこそ、時には立ち止まって目の前のことに気づき、時間をかけて受け入れることが必要なのでしょう。当たり前と思っている存在は当たり前ではないと気づいて生きること。そして、今を生きているこの自分を含めた全ての存在が「有り難い」存在と感謝することが私が今なすべきことだと改めて思います。