旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

祈りを捧げ、想いを新たに

 

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あけましておめでとうございます。慧州です。まさかの元旦更新となりましたが、今年も楽しくわかりやすくお話ししていきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

 

さて、みなさんは初詣にはもう行かれましたか?テレビでは大勢の方がお寺や神社で手を合わせて祈りを捧げている様子が放映されていますが、祈りが込められるのは初詣だけではありません。おせち料理の一つ一つにも様々な願いが込められ、箱根駅伝を観ればタスキがつながることを祈る。お正月はまさに日本中に祈りが巡る期間となっています。

 

私のお寺でもお正月になると必ず祈る機会があります。それは「転読大般若(てんどくだいはんにゃ)」という法要です。10人以上もの僧侶が600巻もある『大般若経』と呼ばれる経典をまるでアコーディオンのように広げる、「転読(てんどく)」という作法をおこないます。パラパラと広げることでお経を唱えたことになる独特なもので、見た目にもとてもインパクトがある法要です。

 

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転読を終えると、法要の導師(どうし)が参加される方々の一年の願いを言葉にして祈ります。その願いは家内安全、身体堅固、世界平和、心願成就・・・と様々です。法要中、出席している人全員が合掌して祈りを捧げる瞬間があります。幼い子どもであっても隣にいる親の真似をして真剣に祈ります。そして、願いが記された祈祷札を大事そうに持って帰る姿を見ると、ようやく私の一年が始まったという気持ちになるのです。 

 

「祈る」という行為は動物にはなく、人間だけが行っています。たとえ信仰するものがなくとも、「祈る」という行為を誰しもが一度はしたことがあるのではないでしょうか?初詣で賽銭を投げ入れて願う時。まもなくやってくる受験で合格発表を見る時。あるいは大切な人を思う時、様々です。

 

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神様、仏様、ご先祖様。どうかお願いします

 

一見、他力本願のようなこの行為を「人の弱さ」と感じるかもしれません。ですがそうではなく、人は自分の弱さと向き合い、そして強くなれるからこそ祈ることができるのではないでしょうか。誰かに自分の思いを委託して願うことは、自分自身の覚悟につながるからです。

 

例えば、あるドライバーが交通安全という願いをかけたからといって、それに安心して乱暴な運転をするでしょうか。そうではありません。むしろ気持ちを新たにして、慎重に運転するでしょう。そこには安全を守ろうという覚悟があるからです。

 

祈るとは決して他人任せにするものではなく、自分自身の想いを確認して「この想いをどうぞ見守っててほしい」と願うことです。その見守りがあるからこそ、人は安心して歩みを進めることができます。


年が明けた後、私もすぐに本堂にいらっしゃるお釈迦様に向かって祈りを捧げました。目には見えない見守りを背に、今年も精進していきたいと思います。