旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

遠回りも悪くない

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こんにちは、拓光です。今年も残すところあと1週間となりました。

旅する禅僧も年内最後の更新となります。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

この一年間を振り返ってみてどのような年だったでしょうか。

実は私自身、今年から始めたことがあります。 それは「日記を付けること」です。 過去の日記を読み返してみると「今年の初めはこんなことを考えていたのか、こんな簡単なことで悩んでいたのか」と自分のことながら随分問題に対して遠回りをしているなと驚きました。

皆さんは幼い頃、学校から自宅へとまっすぐに帰らず、遠回り、回り道をして帰った経験はありませんか。

 

私はよく友人と校舎に残ってサッカーをしたり、公園に立ち寄ったり、ヒーローごっこをして遊んでいました。

子どもにとっては、帰りの道中は宝のようなものでした。特に回り道をすることは様々な出会いや発見があり、多くの学びや気付きなどのかけがえのない体験がありました。

しかし、私達は大人になるにつれて「遠回り、回り道をする」という行為はあまり良い意味では使われなくなり、どちらかといえば逆の、悪い意味となります。

例えば仕事では、やるべきことに対して無駄なことをせずに迅速に最短で行うことが良いとされます。

さらにそれが正確で早ければ早いほど仕事で良い評価を受けます。

 

そのような環境の中で生きている私達は、いつしか人生までもが目標に向かって迅速に無駄のない道を歩むことこそが素晴らしい人生であると思ってはいないでしょうか。

 

私自身のこれまでの33年間を振り返ってみると、小さい頃に思い描いていた大人とは程遠く、失敗や挫折を繰り返しながら、遠回り、回り道をして歩んできた人生だったように思います。

 

しかし自分の思い通りのままの人生を生きてきた人のほうが、世の中には少ないのではないでしょうか。

 

お釈迦様はこの世の中を「一切皆苦」つまり全てのことが苦しみの中にあると言い切られました。

ここでいう苦しみは「自らの思い通りにならないこと」を指します。

 

人生は苦しみしかない。だから諦めなさいと言っているわけではありません。お釈迦様は苦しみから目を背けることなく、しっかりと自覚して生きなさいと説いておられるわけです。そうすることで安楽の道、すなわち心身ともに満たされると言っているのです。

遠回りや回り道をすることを「苦しみ」と置き換え、素晴らしい人生をおくることを「安楽」とするのならば、遠回りや回り道することは大きな意味があるのではないでしょうか。

 

偉大な記録を達成した元メジャーリーガーのイチロー選手も現役時代を振り返ってみてこう語っています。

 

「全くミスなしでそこにたどり付いたとしても、そこに深みは出ない。」

「78年やってみて初めてそれが失敗だと気付いたこともある。」

「遠回りすることが一番の近道だと信じて行ってきた。」 

 

あなたは失敗や挫折をしたいですか?と聞かれると、ほとんどの方が「NO」と答えると思います。

失敗や挫折をすることは出来れば避けて通りたいことですが、それを乗り越えて成長することが出来るのならば、遠回りすることも決して悪いものではありません。

遠回りをしたけれども、とても良い経験をさせてもらった、おかげで素晴らしい人生を生きることが出来たと思えるのならば、それはとても幸せなことだと思います。

皆さんも時には無駄なことだと思わず、遠回りをして歩んでみてはいかがでしょうか。