こんにちは。俊哲です。今日は東南アジアの国、タイ王国を旅した時のことを記したく思います。
私の周りで『仏教』のイメージを聞くと、オレンジ色の糞掃衣をまとうタイの僧侶の姿を上げる方が少なくありません。実際、タイ王国は13世紀に建国されたスコータイ王国の時より仏教を国政に用い、現在まで多くの仏教徒と共にその歴史を歩んでおります。
タイを訪れたことのある方でしたら、挨拶をする際、される際に両手のひらを合わせた"ワイ"という、日本で言う合掌の姿で迎えられた経験もお有りかと思います。
長い仏教と共に歩んできた歴史がありますから、その文化や慣習には多くの仏陀の教えが影響しており、またタイの仏教には国民性が相互に影響を与え合っているように感じます。そうした彼らの普段の生活に映し出される仏教の影響に触れることができるのも、私がタイという国に魅了された一番の理由です。
ある時、タイの首都バンコクで、街中の食堂へ行くことがありました。私が注文した料理にはスープがついており、店員さんが私の元へお盆に載せて運んできました。すると、そのお盆からスープが滑り落ち、私の足にかかりました。多少熱さがあったとはいえ私は大丈夫でしたから、余計な心配はいらないと思い店員さんにその旨を伝えようとした瞬間でした。店員さんより『マイペンラーイ』と言われました。
このマイペンライという言葉は本当によくタイ人が使う言葉で、タイを旅すると何度も耳にする言葉です。意味は"大丈夫"や、"問題ない"という意味で、英語でno problemと同じように使われます。そんな、『問題ないよ』という言葉を、スープをかけた側である店員さんから先に言われてしまい、私はその時おもわず笑ってしまいました。
おそらく日本で同じようなことが起きたら、店員さんは平謝りを繰り返し、客によっては店員と揉めるといったことが起きかねません。お金を払う客が偉く、お店側は過剰なサービスを供給する。こうした状況は働きづらい環境を生み、時に便利さや快適さが私たち自身を苦しめることもあります。
私はその時おもわず笑ってしまいましたが、その店員さんに言われた心配と励ましのマイペンライは、一呼吸おいた心の余裕を私に教えてくれました。
私の大好きなタイの、大好きな言葉『マイペンライ』。自分の心に余裕がない時こそ、冷静になってこのマイペンライに立ち返る。その先にはいつも笑顔で"ワイ"をする仏様の姿を眺めるのです。