旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

想いを込めて

f:id:tabisuruzensou:20190515220257j:plainこんにちは!光彬です!
回りの友人が揃って末期の五月病だぁ~と
言っておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
新緑が芽吹き命の萌える五月であるはすが、
このような使われ方をされて不憫でなりません( ´`)

さて、只今私は、
東京都西麻布にありますお寺で
典座(てんぞ)という、食事を司る部署におりまして、
看糧(かんりょう)という、食料庫の在庫管理や調理、食費管理をするお役目を頂いて日夜、上司・修行僧と共に美味しい精進料理を作れるよう修行させて頂いております。
毎日三食、約四十人分の食事を用意し、献立を決めたり書き出しに行ったりと、バタバタした日々を送っています。
このお役目を頂いて、約二か月半が経ちましたが、
まだまだ要領も悪くあたふたしております。

そんな先々週のことです。
そのお寺での少し大きな行持が終わり、
ホッとするのも束の間。また次の日の食事の
切り込みや仕込みに勤しんでおりました。

次の日の朝のお漬物の沢庵を切っておりました私は、
疲れからか、なるべく薄く、切ったときに向こう側が見えるくらい薄く切らなくてはならない沢庵を、普段よりも厚く切ってしまいました。僧堂という静かな場所で食事を頂く我々僧侶にとって、大きな音がしてしまうものは避けなくてはなりませんが、その日は、まぁこのくらい変わらないだろうと、そのまま出してしまいました。

すると、僧堂の中ではボリボリ、ボリボリと
大きな音が鳴ってしまいました。どれだけ音を殺そうと
すりつぶそうとしても音が止まりません。

朝の食事が終わった後、今日のお漬物は食べにくかったと言われてしまいました。

典座の料理に対する心持ちを記した本がありますが、
その中に、老心(ろうしん)というものが出て参ります。
老婆親切の心のことで、相手が食べやすいように、美味しく食べられるように、、相手を第一に考えて料理に当たりなさいとのお示しがあります。私は自分が疲れていたからと、食べる人の事を蔑ろにして気持ちを込めて料理を出すことが出来ませんでした。


気持ちがこもっているか、暖かさを感じるか
というのは、私がいくら思っていてもそれは
相手や第三者が感じ、決めることです。
想い遣るとは、自分の事よりも相手をと、
一生懸命務める事でした。


この失敗を生かし、私はもう手を抜かず
料理に務め精進すると今一度心を改めました。

今日、皆様はどんなお食事を
召し上がりますか*?