旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

而今に学ぶ。7

 こんにちは。俊哲です。私の投稿するこの週は4月8日の花祭りを迎える週でした。この花祭りというのはお釈迦様が誕生されたことをお祝いする日のことです。日本では4月8日、または地域によって5月8日を花祭りとしてお祝いしてまいりました。

日本以外のアジア各国、仏教圏ではVesakと呼ばれるお釈迦様の誕生を祝う行事があり、そちらもだいたい4月や5月の満月の日に行われております。“誕生した”ということを祝うこの仏教行事を私の住む地域では4月8日に行いますので、今日はお釈迦様がお生まれになられた地、ルンビニを旅した時のことを書きたいと思います。

 

 お釈迦様がお生まれになられた場所は現在のネパールのルンビニという場所です。ネパールとインド北東部の国境近くにあるその場所にはマヤ聖堂というお釈迦様のお母様の名を冠した建物があり、その施設の中にマークストーンがあります。

マヤ聖堂の周りにはお釈迦様の産湯に使われた池の遺跡や菩提樹が植えられており、各国の仏教徒の巡礼者が多く訪れております。また、周辺には各国の寺院が建立され、現在仏教の聖地として整備が進められております。

 

 

 ルンビニ周辺はお釈迦様が出家前、シッダールタ王子として過ごされたカピラ城や、ご両親の浄飯王・マヤ夫人の荼毘塔など、お釈迦様にまつわる遺跡がいくつもあります。またそれらは周りの住人の生活の中にありました。

 

したがって、現地の方達の生活を見ることができたのですが、それらはお釈迦様在世時とそれほど大きな変化はなかったのではないかと感じました。近代化しているとはいえ、水牛が歩く田園風景、人力でもみ殻を飛ばす農夫。お釈迦様が出家を決意されカピラ城から出て行った東門から眺める景色に、お釈迦様もこのような景色を見たのではないだろうかと思わされました。

すると、それまで抱いていた”お釈迦様”という遠く離れた崇高存在から、崇高な存在なのだけれどもお釈迦様も一人の人間として生きられた人間だったのだと改めて感じることができ、ものすごくリアルにお釈迦様の姿を思うようになりました。

 

 何を思い、何を心に抱き出家の道へ進まれたのだろうか。


仏教では、原因があって結果があると説いています。お釈迦様が出家を決意される四門出遊の話も直接の大きなきっかけであれ、それまでの生い立ちの中での経験すべてが因となって出家されたのです。お釈迦様がお生まれになられて七日後にお母様(マヤ夫人)が自分の出産を原因に亡くなられたこともその一つだったでしょう。そんな若き日のシッダールタ王子に思いを馳せ眺めた景色を、花祭りを迎えると毎年思い返しております。

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ルンビニ菩提樹とマヤ聖堂