みなさん、こんにちは。向月です。
以前このブログで『友人へ向けて』という記事を書きました。
その友人が2月に他界致しました。
以下、私事ながらその友人への手紙を書きたいとおもいます。
Tさんへ。
長い間、闘病生活お疲れ様でした。
1月に誕生日お見舞いした時は、時々眼を開けて何か話そうとしてくれたよね。
懸命に生きようとしていることが伝わったよ。
Tさんとの出会いはいつだったでしょうか?
スタジアムでサッカーを見たときでしょうか?
「息子がいつもお世話になってます」って言われたのを覚えています。
出会った時はもう病気を患っていて、それでも満面の笑顔で挨拶してくれました。
ご家族もみんな仲良しで、手を取り合いながら助け合っていたよね。
液晶のエンジニアだったTさん。一緒にご飯を食べに行ったとき「新しいテレビを考えてるんです」と話し始めた事あったよね。
「昔は一方的に流れてくる情報を視聴者が受け取るだけだった。今のテレビはリモコンでクイズに答えたり、アンケートに参加したりできる完全な双方向とまでは言えないが視聴者が参加することができるようになった。これからは、匂いや味まで伝えられるようなテレビができると面白いよね」と。
それを聞いた私は「テレビの向こうでオナラをしたら、その匂いが部屋中に充満するの?」と言い、2人で馬鹿笑いしたよね。
私が僧侶になろうと思うと言ったとき「僕はキリスト教徒だから仏教のことはよく分からない。だけど凄いね。頑張ってね」って応援してくれたね。とても嬉しかった。修行に行く前も、身体に気を付けて程ほどに頑張れって言ってくれた。
去年、私が大腸や胃の検査をしたときも「闘病10年の私がついている。きっと大丈夫!」とメールくれたね。とても心強かった。Tさんの家族からもメールやメッセージをもらったよ。本当に良い家族だなと思った。こんな家族になれたらと思ったよ。
いくら書いても足りないくらい思い出があります。
TさんやTさんの家族に生きる事の大変さや強さを教えていただきました。
今は、まだTさんを失った辛い気持ちで一杯です。一杯というより、心がポッカリと穴が開いた感じです。
僧侶として「覚」も「悟」も未だによくわからずにいる私です。お葬儀の時も言葉が出てこなくて、息子さんをただ抱きしめることしかできませんでした。
でも、これから先、私の目に映る人くらいはTさんのように強く明るくなってもらえるよう頑張ります。私の目に映る人が、少し幸せになるように。
私がいつまで生きられるか分かりませんが、次にTさんと会ったときはまた一緒にラーメンでも食べに行きましょう。
生きる事の強さと別れることの辛さを教えてくれたTさんに感謝しています。
TさんとTさんの家族に出会えたことに感謝しています。
本当にありがとうございました。どうぞ、安らかに。
萩野慈隆