旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

三国志をとおして

みなさんこんにちは尚真です。今年は例年通りの梅雨入りとなり、すでに北海道を除く日本中で梅雨入りが発表されました。

 

こんな季節はどうしても外出するのが煩わしくなり、おうちで過ごす時間が増えてしまいます。昨今のコロナ過も相まって、家でテレビやネット動画を見て過ごす時間が増えたという方は多いのでは無いでしょうか。

 

特に近年は動画配信サービスが充実しており、映画やアニメ、スポーツなどさまざまなジャンルの動画を見ることが出来ます。私もついつい時間を忘れて見入ってしまいます。

 

最近、我が家では三国志がブームとなっています。本場中国でも人気のようで、映画やドラマなど、現地のものも含め様々な作品を見ることが出来ます。

 

ついこの間、中国で製作された長編ドラマを見終わったばかりです。1話1時間ほどで全96話、超大作で見ごたえ十分でした。

 

三国志とは中国の歴史を描いた物語で、西暦でいうと200~300年頃のお話です。それまで約400年余り続いた漢王朝に代わり中国の統一を目指す、「魏・呉・蜀」の三つの国による覇権争いを描いています。

 

「魏」はその後に天下を統一する「晋」の前身になる国で、中国の北側を主な領土とし現在の北京や天津、西安などを治めていました。

 

当時の日本を支配していた邪馬台国とも交流があったとされています。学校の歴史の授業で「魏志倭人伝」なるワードを習った記憶があるかと思いますが、その魏のことですね。

 

「呉」は中国の東側を治め、今でいう上海や武漢など、「蜀」は中国の西側を治め、今でいう成都重慶が蜀の支配下となっていました。

 

私たちが目にする三国志は史実に基づいた歴史物語と言う位置づけで、基本的にフィクションを含んでいます。それを差し引いても壮大な歴史ロマンに引き込まれること間違いありません。

 

三国志の一番の魅力は、個性豊かな登場人物の多さだと思います。それぞれの国の君主は、天下統一の理由や人柄が全く異なります。その君主を補佐するために勇猛な武将、知略に長けた軍師など様々な配下がいます。

 

その中でも特に有名な人物は蜀の軍師、「諸葛亮」では無いでしょうか。「諸葛孔明」とも呼ばれており、そちらの名前なら知っているという方もいらっしゃるかもしれません。

 

孔明は稀代の天才軍師と呼ばれ、兵法から政治、天文、気象、占いなど様々な分野に秀でており、敵の策略や挑発には一切乗らない、冷静沈着な人物です。

 

孔明が生きた時代は今から1800年くらい前の話ですが、当時から周辺の地形を把握して地図などを作り、その地形を利用した策略を練っていたそうです。

 

また雨季や乾季、季節風や気象現象なども当時から把握しており、策略に利用していたそうでにわかに信じられません。そういえばとある映画の中でも、金城 武さんが大風を吹かせるシーンがありましたね。

 

ちょうどその頃の日本は弥生時代にあたります。当時の日本は、三国志で描かれる中国の発展ぶりとは大きな開きがあったと感じます。そんな日本へは大陸からの渡来人によって、様々な技術・文化が持ち込まれていったのでした。

 

仏教も中国を通じて日本に伝わってきましたが、最初に日本に伝わったのは6世紀とされています。中国に仏教が伝わったのは1世紀ころだったようで三国志時代の頃に徐々に広まっていったようです。

 

そんな当時の中国でも、亡くなった方の葬儀を行い喪に服したり、ご先祖様をお祀りし、お参りや法要を行っていたようです。私が上海を旅行した際、呉の君主「孫権」が建てたお寺に行ったことを思い出します。

 

そんなに昔から今まで脈々と伝わっているというのは、歴史の重みを感じると共に過去の人たちが残し伝えて来てくれたことに感謝しないといけませんね。

 

しかしそんな三国志も中国統一を目指す争いの物語、言うなれば古から続く戦争の歴史の一部とも言えます。 現代でも戦争は無くなっておらず、その点は非常に残念としか言いようがありません。

 

長い歴史の中で受け継がれてきたものの中には、良い側面も悪い側面もあります。良いものは後世に伝えていく、悪いものは良い教訓にして私たちの世代で終わりにする。そんなことを考えさせられる、三国志のお話でした。

 

そしてまた自由に旅が出来るようになったら、三国志の聖地巡りにも出掛けてみたいと思います。

 

孫権の命で建てられた上海の静安寺



 

而今に学ぶ。25

こんにちは。俊哲です。じめじめした日が続き、関東も梅雨入りをむかえました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

總持寺の総受付「香積台」

 私は、6月7日に横浜市鶴見区にある大本山總持寺にお参りに行っておりました。数年前まで私が安居(修行)させていただいたお寺でもあります。今回伺ったのは、6月の5日間、總持寺で修行される伝光会攝心(瑩山禅師が記された書物の名を冠する坐禅を集中して行う期間)に修行僧たちの食事供養の施主となり、その修行の一端を垣間見させていただくためです。

 

この食事供養の施主となると、普段、總持寺の者以外は認められていない坐禅堂への入堂をさせていただけます。私にとっても安居していた時ぶりのことで、楽しみにしておりました。

 

 

いざ總持寺へ到着をし、坐禅堂へ案内していただくと、堂内の簾の内(坐禅堂内は簾の内と外で分かれている)では坐禅が続いておりました。簾の外では既に配膳の準備が整い、配膳をする修行僧たちが静かに坐禅終了の鐘がなるのを待っておりました。彼らの姿を見ても、その姿勢や視線から緊張感が伝わってきます。

 

坐禅終了の鐘の音が鳴ると簾が開き、いざ食事の準備が始まります。

堂内に鳴り響く様々な鳴らしものの音を聞き、修行僧たちが連動して動き回り配膳をします。

 

案内の方に導かれ、修行僧の時ぶりに坐禅堂の簾の内へと足を踏み入れ、周りを見渡すと修行僧たちが坐禅をしながら合掌しお唱えをしております。

 

そのお唱えの一つで、食事をするのに使用する『応量器』を拡げる際にお唱えする偈文があります。その最後の句が「等三輪空寂(とうさんりんくうじゃく)」というものです。

お布施を受ける者・お布施をする者・お布施される物 これらの三つが執着から離れ清らかなることを誓い、願ってお唱えされます。

 

以前、私がこの伝光会攝心に参加したのは修行僧の時です。まさしく、布施を受ける身でした。その時のことを思い返すと、ただ坐っていれば良い。しかし、その環境は食事を供養している方がいたからこそで、本当にありがたかったことを思い出しました。そしてその際にいただいた食事は、応量器の扱いに慣れた先輩和尚さんたちについていくので必死だったり、坐っているだけなのにくたくたに疲れてしまう身体を維持する食事で、とにかく目の前の修行、目の前の坐禅、目の前の食事に懸命で、美味しいも不味いも味わう余裕がなかったように思います。

 

 

今回、食事の供養の施主、お布施をする者としてこの伝光会攝心に関わらせていただき、素直にありがたいなぁという感謝の念が湧きました。

 

 

お布施をするという行為に、見返りが全くなかったように思います。お布施を受ける身であった時もただ感謝の念を抱いたことを思い出すと、どちらもただ無心に、ただ感謝の思いでこのひと時を過ごしていたことは執着から離れた清らかな時間だったのだと、一日経った今改めて感じるところです。

 

 

事前に準備をした原稿を投稿することも考えましたが、前日に訪れた總持寺での出来事を、この熱量を持って鮮度を届けたく文章に起こしました。幾許か、私の思いが先走った駄文となってしまったことを反省しつつ、皆々様に、どの立場にあっても「いただきます」の思いで目の前のご縁に接していただきたいと願っております。

 

總持寺百間廊下。坐禅の時は坐禅、掃除の時は掃除。雑巾掛けをした日々を思い返す場所です。

 

だるまさん

こんにちは禅信です。

 

5月も終わりに差し掛かり関東では田んぼに水が入り小さなイネ苗がまっすぐに植えられています。

 

先週、曹洞宗の御詠歌を習いに滋賀県のお寺にお伺いする機会を頂き。

全国から集まった講員の方々と「達磨大師の御詠歌」を習いました。

 

先生のお寺は琵琶湖の湖畔にあり、境内にある池の水は底にある石が見えるほど奇麗に透き通り泳ぐ鯉や亀もとても気持ちよさそうで、アクアリウム好きの私にはとても羨ましい環境でした。

 

その昔は、池から亀が上がってきて本堂の下にもぐって産卵をしていたそうです。

親亀は天敵から卵の場所を悟られないようにいくつも穴を掘ってその中の一つに卵を産み春になると本堂の軒下から池まで小さな亀たちが一生懸命に這って進んだそうです。

 

 

達磨大師の御詠歌の歌詞には、

「つたえまし 受け継ぎ来たり ありがたや 

 五葉に開く 道のひとすじ」

この御詠歌では、達磨大師に命を懸けて師事した慧可禅師から、それぞれに教えを伝え来て五家七宗禅宗が今日まで受け継がれていることの喜びを伝えています。

 

 

ダルマさんと聞くと昔から、幼少期に「だるまさんが転んだ」や「にらめっこの歌」などをして遊んだり、学校では「七転び八起き」「石の上にも三年」など、ことわざの中にも登場して馴染みのあるキャラクターですが。

 

ダルマさんの逸話からは厳しい姿が想像されます、

 

 

先生の講習を沢山の講員さんと一緒に受講して、達磨大師から脈々と受け継いできた祖師方の禅の教えも、高齢の身を呈して私たちに御詠歌を伝えていただいた先生のお姿も親亀の姿と重なり、後世の人々に伝わる様に、豊かに広がる様に必死に伝える思いを感じました。

 

私もまだまだ軒下から出たばかりの子亀ですが、永くお唱えが出来る様にコツコツと練習に励みたいと思います。お寺にお参りした際にリンリンと鈴の音とお唱えが聞こえたら声をかけてみてください。

 

御詠歌講習

 

ほどほどに

こんにちは、哲真です。

 

立夏を過ぎ、暑い日が続くようになってきましたね。これからは梅雨の時期にもなってきますので、天候による体調の変化に注意してください。

 

最近、「やりすぎ」はいけないということを痛感させられる事が起こりました。

 

白黒の猫と黒猫の二匹のネコを飼っています。白黒猫は家に籠りきりで、のんびりと毎日を過ごすのが好きなネコです。黒猫は境内を走り回って活発なネコです。

 

3月の末、黒猫の方が突然やたらとそこら中に「穴」を掘りだすようになりました。どこでも掘って掘って掘りまくりです。花壇も掘って球根が台無しになったりもしていました。ちょうどその頃、野良猫が境内をうろつくようになり度々いがみ合いをしていました。その為みんなで「どうしたんだろうね?そこら中にマーキングしているのかしら」と話していました。翌日になってもあちこちに穴を掘り続けています。しかし夕方になると目が虚ろになり普段の活発さが消えてしまいました。抱っこをすると叫び、嫌がります。そこでお腹を見ると、はれ上がっているではないですか!!!急遽、動物病院に連れていくと尿管結石で尿が膀胱にたまって破裂一歩手前ということでした。すぐに処置をしてもらい何とか一命を取りとめました。

 

尿管結石になった原因はストレスなどもあるようですが、毎日の食生活に影響を受けるということでした。原因として考えられるのは大好物の餌を毎日、毎食与え続けたことによる、ミネラルの過剰摂取だと思います。

 

何事も、やり過ぎず、やらなさ過ぎず、適度が重要です。お釈迦様も苦行では悟りを開くことはできず、坐禅により開かれました。自分に厳しくし過ぎても良い結果が得られるとは限りません。精一杯真剣に打ち込むことは大事です。ただ身体や精神を壊すまでやることが重要なのではなく、自分自身ができる範囲内で精一杯することが大事なのです。

 

今回黒猫が病気になって、好きだからと過剰に与えすぎたことを反省し、何事にも適度な塩梅が大切なのだと考えさせられました。

 

もし、ネコが穴を掘ってばかりいる、もしくはトイレばかり行く時は、尿管結石を疑ってくださいね。

 

万感交々。

こんにちは。谷俊宏です。

 

当ブログご高覧頂いている皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ようやく春めいてきた北海道札幌市より今回も上梓しております。

 

 

今年の一月より「旅する禅僧」に参加させていただいて早くも二度目の投稿になります。他のメンバーの方々には遠く及びませんが、自分らしい文章が書いていけたらなと思っております。拙い内容ではありますが、最後までお付き合いください。

 

 

 さて、突然ですが、私にはどうしても『たまらなくなる』タイミングがあります。中々表現しにくいのですが、強いて言うなら

 

「季節の匂い」

 

を感じた時です。

特に今の様な季節の変わり目に多く感じることがあり、春には春の、夏には夏なりの、また秋にも冬にもそれぞれのそれを強烈に感じるのです。

 

そして不思議なことにこの匂い、時代や場所が違っても、四季がどれだけ廻っても、その季節になれば必ず同じ匂いがするんです。その匂いを感じた時にはもう、、、得も言われません。この感情はなんなんでしょうかね。

 

もし脳汁というものがあるなら私の頭の中はきっとずぶ濡れびしゃびしゃ必死の状態でございます。

 

ところで、よく聴く楽曲の中で、まったく同じというわけではないのですが、【EVISBEATS feat.田我流】というアーティストの「ゆれる」という曲では、季節の変わり目を感じた時の感情をタイトルにあるように『心がゆれる』と表現しています。

 

www.youtube.com

 

この曲は私も大好きで、数えきれないほど耳に入れてきましたが『心がゆれる』というのもうなずける部分もありつつも、自分の感覚とは少しだけ違う気もするんですよね。

まあ、心や感情を「理解」しようとするのも野暮っちゃ野暮だとは思うんですが、僧侶である以上この作業は必要だと思うのでついつい考えちゃいます。。。

 

でも、ひとまずこの「たまらなくなる感情」の名詞付与に関しては、今後も引き続き自分のこころと応相談ってことで、すこし置いておきたいなと思います。

 

本題とはすこしそれますが、EVISBEATS feat.田我流の「ゆれる」の歌詞ですごく心にささるワンフレーズがありましたので、おもわず当寺の掲示板に書いちゃいました(笑)。どうぞご査収くださいませ。

 

 

それでは皆さん、この言葉のように今日も一日前向きに生きましょう!

一日を丁寧に生きる

 

こんにちは。拓光です。

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春風が肌に心地よい季節となりました、皆様お元気でしょうか。

年度始めに目標を立てて、今現在も努力をしている、そんな方も中にはいるのではないでしょうか。

私もその中の一人で目標を「一日を丁寧に生きる」にしました。

道元禅師様は正法眼蔵という著書の行持の巻でこのような教えを残されています。

「たとひ百歳の日月は声色の奴卑と馳走すとも、そのなか一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。この一日の身命は、たふとぶべき身命なり、たふとぶべき形骸なり。」

この教えを簡単に説明しますと「私達が百年という長い年月を無駄に過ごしてしまったとしても、もし一日でも仏道修行を実践したのならば、それはこれまで無駄にしてしまった百年間を取り戻すだけではなく、更に次の百年分の人生までをも救うことができるほどなのである。

だから仏道修行をするこの一日の命というのは尊ぶべき命であり、仏道修行を実践できるこの身体は尊ぶべき身体である。ということです。

つまり道元禅師様は仏道修行を実践する一日の尊さをお示し下さっているのです。

話は戻りますが、何故私が目標を「一日を丁寧に生きる」にしたのかと言いますと、昨年亡くなった先代の住職でもある私の祖父が、この一日を丁寧に生きるということを大切にしていたからです。

祖父は生前私に、先程紹介した道元禅師様の教えのように日々仏道修行を実践することの尊さや、一日を生きることの有り難さについて教えてくれました。そのことを教えてくれた日はたわいもないいつもの日常の日でした。

高齢でありながら僧侶として毎日を忙しそうにしている祖父に対して、ある時こんなことを聞いてみました。

「もう90歳を過ぎているから僧侶であることを忘れて、何もしない一日を過ごしてみたい、無駄だと思えることに没頭したい。そんな日を過ごして休んでみたいと思うことはないですか。」

このように問いかけてみると、先程までにこやかにしていた祖父の笑顔が消えこのように返ってきました。

「あなたの言う何もしない一日や、無駄だと思えることに没頭する一日を過ごすというのは具体的にどう過ごせばいいの?」

祖父から思いがけない質問が返ってきたので、その問いに対し私は少し考えてから
「私だったら自分の趣味に没頭したり、家族と温泉旅行に行って来たりするとかですかね。90歳を過ぎているのだから、何日かはやらなきゃいけないことを後回しにしても罰は当たらないと思いますし、私だって年に何日かは、昨日頑張ったから今日はやらなければならないことを後回しにしてしまおうといった、そんな無駄な一日を過ごしてしまうことがありますよ。」

と返すと祖父は

「なるほど。家族と温泉旅行に行ってゆっくりするのは悪くないかもしれない。でも与えられている命を無駄にして過ごすのはよくないね。もしかしたら明日突然あなたも私も死んでしまうかもしれない。明日という日が来る保証は誰にもないのだから、今日やらなければならないことは、明日に先延ばしにするのではなく今日やらなければいけないよ。今、与えられているこの一日の命を丁寧に生きなさいね。それこそが僧侶として行わなければならない仏道修行の一つだよ。」と助言を受けました。

そのように助言を受けた私は、明日という日が来るのは当たり前のことであると考え、一日を丁寧に生きるという仏道修行をないがしろにしてしまっていることに気付かされました。

祖父は私に、命が今あるというのは年齢問わず当たり前にあることではない。だからこそ今この一日を丁寧に生きなければならないという当たり前であるがゆえに見過ごしてしまいがちになることを改めて教えてくれました。

先程紹介した「この一日の身命は、尊ぶべき身命なり」という教えで道元禅師様が私達に伝えたかったことは、明日という日が訪れるかは誰にもわからないから、まずは今与えられているこの一日を丁寧に生きるという仏道修行に励みましょうということなのではないでしょうか。

この一日を丁寧に生きるという仏道修行は僧侶だけではなく、誰でも今から実践することが出来ることです。一日を丁寧に生きることとは、毎日の生活を有り難いと思って生きる、つまり感謝の心を持って生きることだと私は思います。

例えば私達が毎日頂く食事一つにしてみても、まず天候に恵まれて、生産者がいて、流通を支える人がいて、調理する人がいて、沢山の繋がりがあってはじめて目の前に食事が並びます。感謝の心を持って生きるとは、こういった全ての繋がりに気付き感謝をすることです。

もしこの繋がりに気付かなければただの食事ですが、このことに気が付けば感謝の気持ちを持って食事をいただくことが出来ます。こういった感謝の心を持つことは食事だけではなく、どんなことにも共通して言えることです。

道元禅師様教えの通り、ただ毎日を漠然と生きるのではなく、これから尊い一日が始まる。後悔のないように丁寧に生きよう。そんな気持ちを持って過ごして頂けたら嬉しく思います。

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一日一歩、ゆっくり歩くこと。

皆さんこんにちは。慧州です。

今日は3月30日。お彼岸も終わり、ちょうど年度末です。

決算に追われたり、4月からの新生活で引っ越しをしたりと、何かと慌ただしい日々を過ごしているかもしれません。

 

私がいる東京では桜が開花しました。

コロナを迎えて早2年以上経ちますが、桜だけは変わらずに咲いている姿を見ると、感慨深いものがあります。

 

私ごとではありますが、先日33歳になりました。

人生100年と考えると、ちょうど3分の1を終えたということになります。

多くの人がそうだとは思うのですが、過去を振り返ればそれは決して真っ直ぐの道ではありません。

私の場合は、どんな場に置かれたとしても目の前の現実を受け入れることが出来ず、自分に足りないことばかりを追い求めてきた人生でした。

 

高校時代は受験勉強が嫌で友達と遊ぶことばかりを考え、

大学時代は僧侶になることが嫌でお寺と関係ないことばかりに取り組み、

修行時代は修行が辛いと感じて、早く修行を終えて仏教の勉強をしたいと強く願い、

大学に入り直し仏教を学び直す時代は知識だけでなく現場で活動をしたいと思いました。

 

いずれにおいても今やるべきことから目を背け、過去の選択肢に後悔しては、他人と比較をして羨ましく感じてしまいました。

他のことに手を出してはすぐに結果を求めて、また隣の芝生が青く見えてしまう私は、頭の中で常に「他人」という物差しで自らを測っていました。

まさに競争の中を一人で「生き急いで」いたのです。

 

 

最近ある変化がありました。

それは歩くスピードです。

20代の頃はいつも忙しなく、人混みを歩く際は他人を抜かしてはさらに歩幅を広げ、そして目的地に向かって無駄なく歩いていました。

その姿はどこか孤独で、何かに取り憑かれているかのようでもありました。

 

ところが子どもが生まれてからは、一緒に歩く機会が増えました。

歩幅を合わせるせいか、以前に比べてゆっくり歩くようになったのです。

子どもとは勝手きままなもので、当てもなく寄り道をしたり、「疲れた」と言って立ち止まったりと、全く思い通りになりません。

当初は中々時間通りに目的地に行けないことにイライラをしてしまうことがありました。

ですが、最近はなぜだかゆっくり歩いて見える景色も悪くないものだと思えるのです。

他人を意識することなく、また歩くことを頑張りすぎないからかもしれません。

 

 

坐禅坐禅の合間には「経行(きんひん)」という時間があります。

長時間の坐禅で足がしびれや眠気を取るためにゆっくり歩くのが経行です。

歩く坐禅とも呼ばれる「経行」ですが、その歩き方は次のように定められています。

坐禅を終えて立って歩く時は、必ず一息半趺の法を行いなさい。一息半趺とは、前に歩く際に半歩を超えないことである。その際、足を前に進めるのは、必ず一呼吸の間である」(道元禅師 中国における日誌『宝慶記』より)

いわゆる「一息半歩」と呼ばれるように、一息ごとに半歩ずつ歩みをすすめるのが経行のやりかたです。

あたかも「その場で止まっているかのように歩くこと」が経行の秘訣とも言われます。

 

私のお寺の坐禅会でもこの経行を取り入れています。

しかし、初心者にとってはこのゆっくり歩く行為が難しいようで、バランスを崩してしまったり、つい歩幅を多く取ってしまう時があります。

私はこの経行をしていると心がとても落ち着きます。

呼吸を意識してゆっくり歩くことが、心までゆっくりさせるのかもしれません。

 

現状に満足しない姿勢、向上心は人生においてとても大切だと思います。

ですが、それだけではいつか躓いたり、時には心が折れてしまうかもしれません。

「慌てない慌てない、一休み一休み」

アニメの一休さんの台詞を頭に反芻させながら、まずはゆっくり歩こうと思います。

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桜の散歩道