旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

而今に学ぶ。20

 こんにちは。俊哲です。

先週の禅心さんの投稿が10年前に永平寺へ修行に行かれた際のことを書かれておりました。東日本大震災が起きたのも10年前。この10年間、振り返ればたちまちに過ぎ、しかし本当に色々あったなと思います。

 

そんな10年という月日を思い返す時だからこそ、時間というものを超える光景との出会いを今回は記しておきたく思います。

 

 

 コロナ禍となって早一年となります。昨年末に私は1人で車を走らせ和歌山県を旅しました。これまで訪れる機会がなかったこともあり、高野山真言宗の総本山金剛峯寺や熊野本宮などの社寺への参拝をすることが叶いました。

  夜通し運転をし、明け方より金剛峯寺、熊野本宮への参拝を済ませ、翌日に那智大社への参拝を計画しその日は近くの海沿いの町に宿を取りました。

 

 

 泊まったのは小さな港町で、観光客の姿を見ることはその時はほとんどありませんでした。宿には町の観光情報の載ったパンフレットが置かれ、部屋に持ち帰りそのパンフレットを眺めました。

辺りの海を一望できる岬が宿の近くにあることがわかりました。普段の喧騒から少し離れる旅でもあったので、部屋では特に何をするでもなく、その日撮影した写真を少し見返しその日は早くに眠りにつきました。

 

 ゆっくりした一人旅とは言え、翌日、目が覚めたのはいつもと変わらぬ日の出前でした。せっかく目が覚め海の見える町にいるのだから、景色の良いところで日の出を拝ませていただこうと、前日読んだパンフレットの情報をもとに、岬を目指しました。

 

かつて沖に出た船に漁のポイントを知らせる狼煙場があるその岬は、一本道の突き当たりにあります。

 

 

岬に向かう私の前に一台のカブ(原付バイク)が走っておりました。

 

この道を行くということはこのカブも岬を目指しているのだろう。

 

くねくねと続く道を、あまりスピードの出ていないカブは進みます。まるで私を先導しているかのようにさえ感じられました。

 

しばらくして道は突き当たり、カブはその突き当たりから脇に僅かに続く道へ進みます。

 

水平線より今まさに昇ろうとする朝日の、その隠しきれない眩さに辺りは段々と照らされ、前を走るカブのエンジン音だけが響いておりました。

 

私はこの時、景色の良いところで日の出を眺めることよりも、そのカブの進む方が気になっておりました。そして気がつけばカブの後を追っておりました。

 

カブは少し進んだ先で止まりました。そこには紙垂がかかった鳥居と幟が並ぶ整々とした金刀比羅神社がありました。

 

 金刀比羅神社とは、香川県琴平町にある金刀比羅本宮を総本宮とした神社で、昔から海上交通の守り神として漁師や船員などの海事関係の人たちより信仰を集めております。この町も漁町ですから、金刀比羅神社が置かれたのも至って自然な事なのだと思います。

 

 

 バイクを運転していた男性はエンジンを止める事なくバイクを降り、鳥居を抜けて社の前に手を合わせておりました。後を追っている時には気付きませんでしたが、その後ろ姿から老人であることがわかりました。

 

 彼も元はこの町の1人の漁師だったのかもしれない。無事の帰港を願う誰かがいるのかもしない。誰ともなく、穏やかな海、豊かな海を願うのかもしれない。

 

その後ろ姿に、色んなことが想像されました。

それが特別な日だったか、彼にとっての日常だったのかもわかりません。

 

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朝日に照らされる金刀比羅神社とカブ

 

 彼のことも、この町の歴史も、何も知らない一旅人である私が、その光景に何か深遠なものを感じたのはなんだったのだろうか。上手く表現が出来ずにおりましたが、その時の感情に近い文章を見つけたので紹介します。

 

「人間の感情とはいったい何であろうか。それは私にもわからないが、私の人生よりもずっと古い何かであることは感じる。感情とは、どこかの場所や時を特定するものではなく、この宇宙の太陽の下で、生きとし生けるものの万物の喜びや悲しみに共振するものではないであろうか」小泉八雲『日本の面影』より

 

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岬から眺めた朝日。遠くに漁船の姿が見えた。


 

 この世界の歴史から見たらたかが10年。ですが、私たちの一生から見たらされど10年であります。

 

  私たちの一生において、時が過ぎゆくのはあっという間であるとは様々な仏典や、祖師たちの言葉にもあります。

 

 深遠なるものと出会い、私の感情もまた共振していたことを大事に、今日という1日を懸命に生きて行こうと誓うのでした。

 

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紀州の山々と高野山の壇上伽藍

 

上山 ※前

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こんにちは、禅信です。

 

関東では、梅が開花の時期を迎え日によっては

春を感じる暖かい風が吹くようになりました。

 

 

10年前の3月2日私は永平寺の山門に立ちました。

今日は修行に入った日のことを想い返しながら記事を書こうと思います。

 

 

小学4年生10歳の時に私は得度式を勤めました。

長野県から伯祖父が来て、導師を勤め白衣を身にまとった私にお釈迦様の教えと仏道に入る覚悟を示して頂きました。

 

その年からお盆のお経参りを手伝うようになり、父や手伝いに来ていた叔父から

永平寺での修行生活の話を聞くようになりました。

 

話の初めは決まって

「雪が屋根まで積もってすごく寒い」

「お米が少なくなるとお粥の水の量が増えて天井が映る程に薄くなる」

「毎朝早く起きるから立ったまま寝てしまうくらい眠い」

「足音ひとつ、たくあんを噛む音ひとつで古参の和尚から怒られる」

 

厳しかったことから始まりました。

厳しい話をしながらも楽しそうに同じ経験をしてきた者同士盛り上がっています。

 

大人になったら自分も永平寺に行くことを考えると、子供ながらそんなところでよく3年、4年も生活できるなぁと信じられない思いでした。

 

 

しかし、話が進むにつれて

「屋根まで積もった雪山に穴を掘ってかまくらをつくった話」

「裏山に山菜を獲りに行った話」

「仏殿にある献供用の砂糖をこっそり食べた話」

 

 

永平寺で生活する中での楽しみや昔から変わらずにこっそり行う楽しみ、

同安居や古参の和尚さんとの思いで話で盛り上がり、

これから修行に行く私に、

「まだ修行に行けるなんて羨ましいなぁ」

そんな事を口々に話してくれました。

 

 

そんな話を聞いていると、修行生活への憧れが強くなると共に

修行とは何をすることなのか?そんな疑問が湧いてきます。

 

大学4年生になるといよいよ永平寺修行生活が目前に迫り修行の許可し願書を送りました。

その返事には3月2日上山を許可すると書かれています。

 

 

日にちが決まると、いよいよ緊張と、知らない世界に飛び込むことへの不安が残りの生活を支配しました。

上山前日は永平寺門前の地蔵院に宿泊して古参和尚さんから威儀、荷物の点検を

していただき3月2日上山の許しを請うべく山門に立ちました。

 

同じ日に上山を志した7人で静かで大きな門の前でひたすら待ちます。

 

何時だったのか早朝の静けさの中遠くのお堂から鐘の音が響いています。

それから、木版を叩く乾いた音、ひとけの無い山奥で鳴らしものだけが響きます。

 

3月になりますが山門には雪が残り、立ち尽くす私達の手足は感覚がなくなる程に冷え切っています。

 

1時間ほど経っただろうか、急に大きな足音が遠くの方から迫ってきました。

山の上にある本堂から階段や回廊の雑巾がけをする足音でした、

さっきまでの静けさが嘘のように沢山の雲水が目の前を通り過ぎます。

みんな黒い作務衣を着て裸足で雑巾がけをしていました。

 

顔を上げることはできませんが、荒い吐息が白く残り滴る汗が回廊に落ちる様子に修行僧の一生懸命な姿が映り、背筋に緊張が走りました。

 

 

回廊清掃が終わりしばらくすると客行和尚が私たちの前に立ちました。

 

 

※長くなりましたので次回の投稿時に続きを書かせていただきます。

 

 

お地蔵様

こんにちは、哲真です。

 

新年が始まりまったと思ったらもう2月の下旬になっておりました。時が過ぎるのは早いものです。

 

歳をとると時が過ぎるのが早くなるといいますが、本当にその通りですね。小学生のころなどは、一週間ですら長く感じ、月曜から「早く日曜日にならないかなー」と思っていたものでした。因みに、私が小学生の頃はまだ土曜日は休みではなく半日だけ学校に登校していました。時の話しだけでなく、歴史も感じさせてしまいましたね。

 

ところで、本日は24日です。皆様はこの言葉を聞いたことがあるでしょか。

 

「唵訶訶訶尾娑魔曳娑婆訶」

 

これは「オンカカカビサンマエイソワカ」と読みます。知っている方もいるかもしれませんが、これはお地蔵様の真言です。

 

真言とはサンスクリット語マントラの訳語で、「仏の真実の言葉、秘密の言葉」という意味があるものです。『大日経』などの密教経典に由来し、多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句のことです。

 

お地蔵様は観音様と同じくとても親しみやすく、皆様にとっても馴染のある菩薩様だと思います。お釈迦様が亡くなった後、彌勒菩薩が出現するまでの間に六道で苦しむ衆生を教化、救済してくださる菩薩です。とても優しい菩薩様とも云われております。日本では平安時代から広く信仰されるようになったようです。

 

私がいるお寺でも延命地蔵尊をお祀りしています。また、私は、寺社仏閣に出向くのが好きなのですが、お地蔵様はどのお寺にも大概いるような気がします。特にお地蔵様が六体並んでいる六地蔵をお祀りしている寺院が多いです。それに、通り道にはお地蔵様がいたりします。とても身近にいる菩薩様と言えるのではないのでしょうか。

 

毎月24日は地蔵菩薩の縁日です。それで私も本日は地蔵菩薩真言をお唱えさせていただきました。皆様ももしお地蔵様を見かけたら、手を合わせて「唵訶訶訶尾娑魔曳娑婆訶(オンカカカビサンマエイソワカ)」と唱えてみてはいかがでしょうか。

 

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旅する中で忘れてはいけないこと

こんにちは。向月です。

みなさん、自粛生活お疲れ様です。ずいぶん、感染者数は減ってきたように感じます。

コロナ関連の情報などを得ようとテレビを見ていますが、毎日同じような

報道で飽きてしまい、最近ではテレビよりラジオを聴くようになりました。

 

先日、あるラジオ番組で約400年前の落書きが見つかったという

ニュースを聴きました。

岐阜のお寺で修復作業中に見つかったようです。

このような歴史的な落書きもあれば、過去には法隆寺のような

重要文化財に観光客が「○○参上!!」と言うようなものを

書いたりした事件もあります。

歴史的な建造物に落書きをするなどは許されるものではありませんね。

また、お寺や神社だけでなく色々な信仰の場所に知らず知らずのうちに

入ってしまうことがあります。

このようなニュースを見るたびに、私自身も過去の旅を振り返る中で、

あることを思いだしては恥ずかしくなっています。

 

 

20年ほど前、沖縄(八重山諸島)に初めて行った時の話しです。

石垣空港に着陸したときから、頭の中はパラダイスになっていました。

初めて巡る八重山諸島、青い空、白い砂浜、ハイビスカスにシュノーケリング

夜は泡盛と青い魚のお刺身で酒盛り。右も左も猫も杓子もみなパラダイス。

沖縄、さいこうさ~。っという感じで浮かれていました。

この旅の2日目からは石垣島から船で10分くらいのと頃に竹富島という

周囲が10㎞ほどの小さな島を巡ることにしていました。

私はこの島が好きで、今でも良く行きます。

 

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20年前は観光客も少なく、静かな島でした。

この小さな島をのんびり散歩するのが好きです。

散歩の途中、浜辺から少し森に入ったところに鳥居のある

神社を見つけました。島の神様かなと思い、せっかくだからお参りでも

と思いのこのと入って行きました。

神社の奥には石の祠があり、その前にお賽銭を置きお参りを済ませました。

その夜、民宿に泊まっている一人旅の方たちとの一緒に酒盛りになり、

お参りしたこの神社の話しをしました。

 

「沖縄にも神社があるんですね~。今日散歩してて見つけたのでお参りしてきました。」

 

そんな事を話した途端に、旅人たちのお酒を飲む手が止まり、

みんな黙り込んでしまいました。

そのうち一人の方が

 

「それは神社じゃないよ。御嶽だよ。島の人、しかも男性は入っちゃいけない

ところもある。その御嶽の神様が怒ると大変なことになる。」

 

と教えてくれました。

私は、ただの観光気分でうろうろ歩き回り、神社にお参り気分で

その土地の信仰の場所にのこのこと入って行ったと気づかされました。

その旅人の方がもう一つ教えてくれました。

「ここ(民宿)の女将さんは、神人(かみんちゅ)だよ。相談してみると良いよ。」と。

 

神人とは、島の御嶽で宗教儀式を執り行う方です。

その女将さんに事の顛末をすべて話すと、神妙な顔つきで

 

「そりゃ、ならん。マブイヤー(魂拾い)。明日、謝りにいこうね~」

 

と言ったくれました。

翌日、神人の女将さんと2人でその御嶽の鳥居の前まで行くと、

ここから先は入ってはいけない、鳥居の前で待ってなさいと言われました。

女将さんは一人で御嶽にお酒を持って入って行きました。

20~30分くらいたって出てこられました。

 

「神様、許してくれるってさ~。もう二度と御嶽に入るなよ~」

 

女将さんと民宿に戻り旅人たちに許してもらえたと告げると、

みんな自分のことのように喜んでくれました。

その後は、お決まりの宴会になりましたが、私の心は恥ずかしい気持ちで

いっぱいになりました。

旅の恥はかき捨てといいますが、かき捨てられないトラウマ級の恥でした。

 

 

旅の中で忘れてはいけないこと。

旅先の郷に入ったならば、郷に従うこと。

その場所独自の文化や風習、価値観、信仰があることを

よくよく肝に銘じなければいけないということ。

私は初めての沖縄の旅でこのことを忘れて浮かれていました。

傲慢で軽率な心を、民宿で知り合った旅人たちに教えられた気がします。

これからも良い旅ができるように、柔らかい心を持ち続けたいと思います。

 

また、別の旅では「土の味について語る人」と出会ったのですが、その話はまたいつか。

心の掃除

 

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みなさん、こんにちは。慧洲です。

早いもので2月も1週間過ぎました。

先週は関東でも春一番が吹いたように、少しずつ春が近づいてきています。

今日は日常的に行っている「掃除」について、思うことを話したいと思います。

 

掃除が好きな理由

私は昔から掃除が好きでした。

それは特別何かを考えながら行う必要がなく、ただひたすら手と足を動かせばよかったからです。

じっとしているとつい考え事をしてしまう私でも、掃除に没頭している間は集中でき、そして穏やかな心を取り戻していました。

掃除が好きな理由はもう一つあります。

それは、やればやるほど目に見えて綺麗になることです。

私達が日々行っている仕事や勉強の多くは地道なもので、すぐに結果につながるとは限りません。

時には無駄足だったり、解決しようがないことだったりすることもあります。

そしてその都度、「あーなんで駄目なんだろう」と一喜一憂してしまいがちです。

そういった意味では、掃除はすぐに結果が現れます。

目の前のホコリを払えば、間違いなく綺麗になるからです。

私にとって掃除している一時だけは

「よし、少しずつ綺麗になっているぞ。大丈夫だ」

とどこか安心できる時間でもあるのです。

 

「完璧」という欲求

しかし、何事も行き過ぎると良くないもの。

完璧主義になりがちな掃除を続けていると、いろんなことが気になってしまいます。

たとえば風が強い日。

お寺の境内で掃き集めた葉っぱが突風で吹き荒れると、またやり直しです。

するとつい「掃いたばっかりなのに!」と心の中で悪態をついてしまいます。

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せっかく掃除をして気持ちを落ち着かせられたにも関わらず、

「また綺麗にしなければならない」という思いがかえって私の心をかき乱していました。

それは掃除に対する「欲」であり、思い通りにならないことに怒る「我(エゴ)」でもありました。

そんな様子を見かねたのか、私の師匠である父から時々こんな言葉をかけられることがあります。

「掃除は大体でいいんだよ」

初めてこの言葉を聞いた時、私は理解できませんでした。

「そんなの手を抜いているだけじゃないか」と思っていたからです。

ですが、そうではないのです。

あまりにも完璧にやろうとしすぎている私の「我欲」を見抜いていたのです。

 

千利休が示した掃除

茶聖として知られる千利休は、掃除に関してこんな逸話を残されています。

それは師である武野紹鴎が庭の掃除を利休に命じた時のこと。

庭は既に綺麗に掃除した後にも関わらず、なお庭の掃除をするよう指示しました。

紹鴎は利休を試したのです。

すると利休はおもむろに樹木を振るい、敢えて落ち葉を散らしました。

そして、そのまま「掃除しました」と師に伝えました。

その様子を見た紹鴎は利休の才能を確信し、茶道の秘訣を伝授することになるのです。

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私達は塵一つない状態こそ良いものだと思って、一生懸命掃除をします。

ですが、よくよく考えてみればそのような状態は人為的に作ったものに過ぎません。

むしろやりすぎるとかえって不自然で、落ち着かない空間になってしまいます。

利休は、自然の美しさとは葉っぱがちょっと落ちてこそ生まれるものだと理解していたのです。

 

理想という欲を手放す

この利休の逸話を知ってから、掃除をしている時に葉っぱが落ちても許せる気持ちが芽生えました。

それは完璧にしなければならないと思い込む自分、理想とする自分を手放した瞬間でもありました。

「うまくいかないときだってある」

「慌てなくてもいい」

「ゆったり生きよう」

自然体な自分を受け入れることが、何よりの心の掃除となっています。

一期一会

おはようございます。拓光です。年が明けてから初めての投稿となります。どうぞ本年もよろしくお願い致します。

2月は暦の上では春が始まる立春が訪れますが、まだまだ春とは名ばかりの寒さが続きますが皆様お元気でお過ごしでしょうか。

 

このブログ「旅する禅僧」はタイトルの名の通り、日々の出逢いや、旅をする中で発見したこと、考えたことをテーマにして毎回ブログを投稿しています。

今回ブログを作成するにあたってコロナ禍という自粛制限の多い中で、中々外出することが出来ず何を書いたらいいのかと正直悩んでいました。

 

この自粛生活の中ずっとステイホームをしていても気が滅入ってしまうと思い、車のみの移動であれば公共交通機関と異なり、他人と接する機会も全くないと考え、気晴らしに家族で久しぶりにドライブに出掛けることにしました。

車に乗って自分が住む市を少し離れるだけで心に降り積もったストレスが少し掃き清められたようなそんな爽快感を味わうことが出来ました。

 

 

 

そんな穏やかな空気の車中でふと妻とこんな話題になりました。

 

 

 

「あなたの座右の銘は何なの?」

 

 

 

「ちゃんと考えたことないけど、高校の卒業アルバムには一期一会と適当に書いた記憶があるなぁ」

と答えると、「お坊さんらしくていいね」と返ってきました。

 

帰路に就いてから「一期一会」という言葉を辞書で調べてみると、「一期一会」という言葉が仏教用語から成り立っていたことに驚かされました。

 

「一期」は、仏教用語の「一期」で人の生涯の間を表します。

「一会」も、仏教用語の「一会」で多くの人による集まり、会合を意味します。

 

この「一期」と「一会」が合わさって「一期一会」となります。

 

一期一会とは「一生涯に一度の会合」つまり一つ一つの出逢いは再び繰り返される事はないので、その時その時の出逢いを大切にしなさいという意味になります。

もちろん出逢いとは人と人だけのことだけではないと思います。例えばきれいな景色を眺めたり、芸術品に触れたりするのも一期一会だと思います。

出逢うものすべてに対して心を込めて触れ合い、その瞬間瞬間を丁寧に向き合うことで「一期一会」を大切にする心を積み重ねていきたいものです。

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