旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

心のゆとり

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こんにちは、禅信です。


庭の木々も一雨ごとに芽吹き出し新緑がまぶしい季節となりました。
家の庭ではバラの花が咲き乱れとてもいい香りに包まれています^^

 

 

最近では朝晩も暖かく過ごしやすい日も多いため、
庭に出て木々や花々を観ながら散歩するのが日課になっています。

 


自然に触れていると日々の雑音から離れ心が休まるような気持ちになりますね。

 

先日、知人から薪木をいただいたので家族と庭に出て焚火を囲みながら夕食を楽しみました^^

普段は母に任せっきりになっていた食事の準備片付けですが、
ちょうど母の日にあたっていた為、「夕食だけでも準備しようか」ということで

弟と買い物に出かけあれやこれやと食材をかごに入れていました。

 

 


普段食材の買い物などしない男二人での買い物だったので、
ふとカゴを覗くと肉・肉・魚・肉・ヨーグルト・焼きそば・魚・・・

自分たちの食べたいものばかり詰まっています・・・^ω^)
Uターンして野菜コーナーに戻りしぶしぶと野菜を買い足しました、

 


夕食を団欒していると、焚火の炎に目を奪われました。

パチパチと音を立てゆらゆらと立ち昇る火を見ていると、

時間を忘れて見入ってしまいました。

 

 

この癒しの理由は「1/fゆらぎ」にあるそうです・・・・

 

「1/fゆらぎ」急に聞きなれない言葉が出てきました。

 

まず「ゆらぎ」とは、ここでは規則性の中にある不規則性を表します。
言葉にするとわかりづらいですが、

薪がはじけるパチパチという音もいっけん同じ音に感じますが、大小や音の間隔が不規則に変化します。
燃え上がる炎もゆらゆらと昇っては消え昇っては消えを繰り返しますがその形や色は不規則に変化します。

これらを「ゆらぎ」と表現しています。

 


「1/f」とは、
パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎ・・(wikipediaより)


読めば読むほどわからなくなりますが、物理の話はこの辺にしておきます。笑

 


このゆらぎは、

蝶が花から花にヒラヒラと飛び回る姿
清流が山からキラキラと流れ来る様子
波の音、鳥のさえずり

あらゆるところにあふれています。
これらの音や情景が、人間の体や脳と共鳴して心が休まるそうです。

 


抑圧された生活の中ですが、少し外を覗いてみると

鳥のさえずりや木々の息吹を感じられるかもしれません。

 

 

今は動画配信サイトなどにも焚火や波の音だけを流しているチャンネルもあります^^


北欧のフィンランドスウェーデンなどでは

一日中焚火の様子が流れるテレビチャンネルがあるそうです。

 

 

3蜜になる方が難しい田舎からの投稿ですが、

少しでも明るく過ごせるように心のゆとりは大切にしたいと思います^^

日々

こんにちは。哲真です。

 

新型コロナウイルス(COVID-19)の緊急事態宣言の延長が決まりました。これから一ヵ月まだまだ自粛生活が続きます。身体を動かしたりなど、リフレッシュするように心がけて生活をしてください。

 

人類はウイルスによる被害は歴史的に何度もありましたが、それを乗り越えて今があります。必ず乗り越えられます。共に協力していきましょう。

 

コロナ禍の為、家での生活も多くなり、体を動かしたり、今まであまりできなかった片付けや、物を直したりするようになり、日々の時間の過ごし方が今までと変わってきました。毎日、工夫しながら生活するようになってきました。

工夫とは、「よい方法や手段をみつけようとして、考えをめぐらすこと」とあります。禅宗では、「禅の修行にひたすら打ち込む」ことを指します。

 

禅の修行では、食事、お手洗い、入浴中は話しをしません。もちろん坐禅中も無言です。そして、掃除は徹底的に行います。

経本を持ってお経を唱えるときも目の高さまであげ、口元が経本で隠れるような形で行います。

最近思ったのですが、これは、ウイルス対策の一つになっていたのかもしれません。飛沫感染を予防し、ウイルスを掃除して失くすということを日々行っていたのです。禅の修行にひたすら打ち込むという工夫により、自分自身と周りの方々をウイルスから守るという術の一つだったのかもしれません。

 

皆様においても「毎日5分だけ体を動かすようにする」「新たな料理に挑戦してみる」「飲食店でテイクアウトを始める」など、ニュースを見ていても様々な工夫をしているなと感心させられます。

 

物事を一つ会得するのに形や順序などを知り、マネをすると思います。そして真似事ではなく自分のものにする為に工夫をします。工夫とは物事を会得する為に用いられるものです。

皆様は工夫をして生活をしています。それは、このコロナ禍での生活を会得しようとしていることになります。

今を一つ一つ楽しみながら工夫をして乗り越えていきましょう。

 

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最後の言葉

皆さん、こんにちは。向月です。

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が出されてから、もうずいぶん経ちます。

ゴールデンウィーク明けには解除になるんでしょうか?

それとも延長されるのでしょうか?

目に見えないウィルスへの恐怖や、将来への不安、外出自粛など

たくさんのストレスを抱えて生活しています。

 

 

芸能人や有名人の方々もコロナにかかり、

また残念ながら亡くなられた方もいらっしゃいます。

私も大好きだった志村けんさんもその一人です。

子供の頃、毎週兄と一緒にテレビの前でドリフが始まるのを

楽しみにしていました。

息ができなくなるくらい笑い転げていたのを最近のように思い出します。

その志村けんさんの追悼番組では、加藤茶さんが弔辞を読まれました。

 

「弔辞 志村、ひどすぎるぞ、おまえ。一番若いおまえが俺たち差し置いて天国に行っちゃうなんてなあ。(中略)5人がそっちに全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。約束だぞ。じゃあ、それまでゆっくりと休んでくれ。大好きな志村へ」

 

とても愛のある弔辞だったと思います。

加藤さんの志村さんへの気持ちと視聴者で志村さんのファンの方の気持ちがシンクロしていく感じがしました。

 

 

先日、私もあるお宅のお葬儀でした。

昨年、そのお宅のお婆さんのお葬儀をさせていただいたご縁で、

この度のお爺さんのお葬儀も勤めさせていただきました。

このお爺さんは76歳でご逝去されました。

長い間、街の郵便局長をされていた方です。郵便局長を引退してからも、

町内会長を務め、地域の清掃活動や老人会の活動などにも積極的に参加され、

沢山の方から慕われる方でした。

ご家族は「友達も沢山いたので、本当なら皆さんに声を掛けて

参列してもらいたいのだけど、こんな時期なので沢山の人を呼べない。

せめて家族親族だけでも爺さんを送ってあげたい」とお話されました。

また、新型コロナ禍が落ち着いたら改めてお別れ会をしたいとのことでした。

その葬儀告別式の中で、ご家族やお孫さんから弔辞を読まれました。

 

「お爺ちゃん。いつも、私たちをみていてくれてありがとう。明るい春の日差しのような暖かい笑顔をありがとう。貴方は、私たち家族の支えであり、光でした。今、その光が消え、どうしたら良いかわかりません。これからは私たちが周りの人への光となれるように、あなたのマネをして生きていきます。」

 

このような内容でした。

故人様がご家族や周りの方から本当に愛される存在だったと感じました。

 

 

人生最後に送られる言葉は、その方の生き方が現れると思います。

どのような人生を送ってきたか。周りの方とどのように関わってきたが現れます。

志村けんさんも、私が勤めさせていただいたお爺さんも

家族や周りの方を愛して生きてきたのだと感じます。

そうだから明るく、楽しく、みんなに愛される素敵な人生を送れたのだと。

私もこのお二人の「マネをして」生きていきたいと思いました。

 

 

しばらく、不安とストレスの生活が続くと思います。

皆さんも、どうぞお気をつけてください。

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(境内に咲いた一輪のバラです。花を見ていると落ち着きます)

料理の醍醐味

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みなさん、こんにちは。慧州です。緊急事態宣言が全国で発令されてから早くも約1週間。新型コロナウイルスによって世間では大きな混乱を招いています。私も普段は都内に電車を使って出勤していますが、今は在宅勤務の日々が続いています。

 

自宅にいるせいか、テレビを観る機会が増えました。大抵はコロナ関連のニュースばかりですが、その中でも明るい話題もあります。それは休校中の子どもたちが親と料理をする機会が増えたというニュースです。子どもが料理を学ぶことができるのはもちろんのこと、親子にとって良いコミュニケーションになっているそうです。

 

ニュースを見た私は、久しぶりに料理でもやろうと早速台所に向かいました。普段はあまり自炊をしない私ですが、実はかつて料理に苦い思い出があり、好きではありませんでした。

 

私が高校1年だったとき、家庭科実習がありました。その日のメニューはカレーライス。とても簡単な料理です。当時の私は料理経験が全くなかったのですが、普段の教室での授業と違った雰囲気にいつもよりワクワクしていました。各担当に分かれて、先生の指示で調理が始まります。私は野菜を切る担当になりました。

 

意気揚々と包丁を握る私。しかし、一つ一つ異なる野菜の形に私は四苦八苦しながら切っていました。他の人は既に野菜を切り終えて次の工程に進んでいるのに、私だけはまだ終わっておらず、ますます焦っていました。そんな私をみかねた先生はこう言いました。

 

「君はやる気があるのはいいけど、無理しないでいいからね。他の人に変わってもらいなさい」

 

先生はフォローしたつもりで声かけしたのだと思います。ですが、当時の私は戦力外通告を受けたような気持ちになり、とても落ち込みました。心のどこかで「料理の才能がないんだな」と思い、それ以来料理をする機会がほとんどなくなりました。

 

あれから15年。僧侶として精進料理を作る機会が増えた私は、相変わらず周りの人からは「包丁の使い方、あぶないなぁ」と笑われながらではあるものの、段々と料理に対して抵抗感がなくなってきました。今ではレシピもスマートフォンで簡単に検索でき、いろんな工夫ができるので、私でも美味しく作ることができます。特に残り物の食材だけで計算して作り、冷蔵庫の中が少し綺麗になると、「うまくいったなぁ」なんて思ったりしています。

 

包丁で食材を切る音やフライパンで炒める音、換気扇の音ですら一種のBGMとなって、料理をする贅沢な時間。黙々と料理をしていると、先行きが見えない不安が紛れるような気がします。それは美味しいものをいただくことはもちろん、料理という行為そのものが生きる力なのかもしれません。明日へ生きるため、今日も料理をしたいと思います。

 

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自分だけがよければよいという考えを捨てる 

こんにちは。拓光です。年度が切り替わり、皆さんどのようにしてお過ごしでしょうか。

 

前回のブログを投稿してから約2ヶ月が経過致しましたが、私だけではなく世界中がコロナウイルスによって生活が一変したのではないでしょうか。

連日テレビではコロナウイルスに対しての政府、行政の対応、感染者数の増加などの情報を報じています。

 

先週には行政から各地で緊急事態宣言が発令され、学校等の休校が延期となり、人が集まる行事やイベントの中止、延期などの自粛要請。不要不急な外出は極力控えなければならないという前例のない事態になりました。

 

特に私が衝撃を受けたのが、コロナウイルスの感染拡大に伴い品薄状態となっているマスクがインターネット上で高額で転売されていることです。

自分さえ感染しなければよい、自分だけが儲かればよいという思いから、必要以上の買い占めをしたり、最初から他人に転売するために大量に買い占めるといったことが多々起きています。

 

世間で騒がれるようになり始めてから、ここまでの事態になるとは誰にも想像出来なかったと思います。

皆さんもこのような状況になり、様々なことを考えられたと思います。コロナウイルスに感染しない為にはどのような予防や対策をしたらいいのだろうか。

緊急事態宣言が発令されたことによって、仕事や日々の生活はどう過ごせばいいのか。もし感染した場合にはどうしたらいいのだろうか。様々な憶測や不安が広がっているかと思います。

実際、私もこのような時に僧侶としてどのような行動をとるべきなのか、何が出来るのかを考えました。

 

 

曹洞宗の経典である修証義というお経の中に「利行」という教えがあります。この「利行」とは他者もしくは周りのためになる行いをするということです。 簡単に言いますと自分のことを第一に考えるのではなくて他者のことを思いやり善い行いをする。それが巡り巡って自分自身の救いになるという教えです。

 

この教えを頭では理解していても、それをいざ実際に行動に移すとなると非常に困難なことであると実感します。

なぜならば自分の幸せを後回しにして他者のために尽力するということがとても難しいことだからです。ましてや他者の為に行ったことが直接的に自分の幸せに繋がらなければなおさらのことです。

このように「利行」を実践することが大切だと分かってはいても自己中心的な考え方になりがちになってしまうのは私達には自我があるからです。

しかし当たり前のことですが私達人間は一人では生きていくことが出来ません。

人と人とが支えあっていくことで私達は生きていくことが出来ます。 私達がもし自己中心的な考え方ばかりをしていたら社会はどうなるでしょうか。今現在、自分さえよければよいとマスクを買い占める人がいるように身勝手な考えが広まって殺伐とした社会になるかと思います。

曹洞宗の教えを広められた道元禅師様は「利行は一法なり普く自他を利するなり」という教えを私達にお示しになられました。この教えはすべての人に思いやりの心をもって接しなさいということです。 今まさにウイルス感染を終息させるためには、お互いに思いやりの心をもって支えていく「利行」の実践が必要なのではないでしょうか。今一度自分の心の中にある思いやりの気持ちを思い出して下さい。そうすれば自ずと終息の方向へと向かっていくと思います。

 

人は大変な場面に接したときにどのように考え、どのように行動するかが大切なのだと思います。このような時だからこそ何ができるのか。日頃できない、読書や趣味、自己研鑽に時間を使うことも一つでしょう。普段行き届かないところの掃除をしてみることもいいでしょう。見方、視点を変えると普段、気付くことのできなかったことに気付きを得られるかもしれません。もし菩提寺が徒歩で行けるくらい近くにあるのならば、少人数でお参りに行って外の空気を吸うのも良いでしょう。せっかくの与えられた時間をどのように過ごすか。是非とも有意義な時間になるように過ごしてみてはいかがでしょうか。

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花まつりとサクラ

 こんにちは尚真です。今、新型コロナウィルスによる影響で、世界中で多くの感染者が出ています。昨日には遂に、緊急事態宣言が発表されました。今回の新型コロナウィルスの蔓延は終わりの見えないという面があり、日々不安に感じながら生活しています。

 

 私の家庭でもうがい手洗いをマメに行い、3つの密「密閉」、「密集」、「密接」と不要不急の外出を避たりと、感染予防に十分に留意して生活しています。週末及び夜間の外出の自粛や、学校の休校、それに在宅勤務の推奨等がされおり、日常の生活スタイルとは異なる生活が続く方も多いと思います。ストレスの影響なども有ってか身心共にさまざまな健康不安を抱えての生活を余儀なくされている事と思います。

 

 そんな今だからこそ、少し明るい話題を。今日は4月8日です。4月8日と言えばお釈迦様のお生まれになった「花まつり」の日です。私たち僧侶も、例年であれば、「降誕会」と言って特別な法要をして、お釈迦様の誕生日をお祝いします。

 

 お釈迦様はお生まれになってすぐに七歩歩いて、右手は天を左手は地を指差し、「天上天下唯我独尊」と仰ったと言われています。そしてこの時にお釈迦様の誕生を祝った竜王が甘露の雨を降らせたとも伝えられています。

 

 そこで「花まつり」の日には、お釈迦様がお生まれになった花園を模した、「花御堂」と呼ばれるお花で飾られた小さなお堂の中に、お釈迦様が天と地を指差した様子を表したお姿を置き、甘茶をかけてお参りをします。

 

 私が副住職を務めているお寺にはシダレザクラの古木があり、例年はちょうどこの季節に見ごろを迎えます。サクラのお花見に来る方の為に毎年この「花御堂」をお飾りして、皆さんと一緒にお釈迦様のお誕生日をお祝いしています(今年はコロナウィルスの感染拡大に伴い自粛しました)。

 

 このシダレザクラは私が子どものころは枝振りがとても立派で、毎年きれいな花を咲かせてくれていました。花の時期には多くの見物客が訪れる程でしたが、近年はサクラの木も老朽化が進み、根が部分的に腐ってしまった影響で枝もピーク時の半分以上は枯れてしまいました。

 

 枯れ枝が落ちて参拝客の方に怪我をさせてはいけないので枯れ枝は切り落とし、根が腐ってしまったので巨大なつっかえ棒をして樹が倒れるのを防いでいます。その姿はここ数年で大きく変わってしまい、私たち家族や檀家さんは寂しい気持ちがしています。

 

 それでも今年も、少ないながらも頑張って花を咲かせてくれたので、心配していた私はとても安心しました。今年は開花が早く、春のお彼岸中に開花したので、お墓参りのお檀家さんもとても喜んでいました。樹木と言っても生き物ですので、生命の力強さを感じる事が出来ました。

 

 私たちも今大変な危機に直面していますが、このような時、私達一人一人が出来る事は残念ながら限られます。自分には何が出来るのか、何が正しい行動なのかを、各個人で考えて行動する事が求められています。この苦しい時期を皆で協力し合って乗り越えていきましょう!!

 

 

 

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今年もキレイに咲きました







而今に学ぶ。14

 こんにちは。俊哲です。前回私がこちらで投稿をしてからおよそ2ヶ月の間に、COVID -19(新型コロナウイルス)によって世界は大きな動きを見せています。各地で行われるロックダウン(都市封鎖)や外出自粛、感染者数の増加を連日メディアが報じております。

 

 私たちがこの世のすべてと認識していた『世界』が、たった1ヶ月、2ヶ月でグラグラと揺らぎ始めました。世界をリードしてきた大企業の株価の暴落、身近なところでも買い占め行為によって店舗から商品が消え、最新の医療を受けても数日で死にいたらしむ未知の病は、東日本大震災の時ともまた違います。被災地域以外に目を向ければ当たり前の生活があり、震災以前のようにと復興の道を歩んできた自然災害とは違い、どの場所にいても安心とは言えないこの未知の病の恐怖に苛まれております。

 

        私たちが『世界』と思ってきたものは、こんなに脆かったのだ。

 これが、一番に私が感じていることです。

これまでの当たり前が、当たり前ではなく、とてもありがたいことだったと感じている人も、きっと私だけではないはずです。

 

 以前、大きな手術を乗り越えたプロ野球選手のインタビューを目にしました。その内容は手術を前に、同じように大きな手術を乗り越えた先輩の選手に言われた言葉を紹介しておりました。

「手術をしたら、痛みはなくなる。けれど、手術前と同じようにはボールを投げられない。手術前の感覚を取り戻すための努力をしても、全く同じ感覚を取り戻すことは叶わず、焦り苦しむだろう。けれで、手術を終えた事実を受け入れ、手術を終えた今の腕でできる最高ピッチングのための努力をすれば、君ならまた戻ってこられるよ」そんな内容でした。

  

 起こったこと、今起こっていること。事実は事実として受け入れる。そして、その事実があっても続く生をどう生きるか。時間は刻一刻と過ぎ、二度と今この瞬間がもどってくることはありません。

 

 今、COVID-19が世界を激変させました。この騒ぎの中メディアを見ていると「補償はどうなる、学校を休みにさせられ困る、国が悪い、〇〇のせいだ」といった自分の生活が変わらないように、そして自分の生活が変わるかもしれないという不安から、自分より大きい媒体に向けた不満の声で溢れております。

しかし、今このCOVID-19が起こっているという事実があります。 COVID-19が発生する前とは違う世界なのだと受容することの重要性を強く感じるのです。

 

 この世界との関わり方、いや、各人の世界は10人いれば10通りあります。100人いれば100通りです。他人のそれと比べることはできず、また、そこに正解は存在しません。でも、イライラし、不満に感じ、その感情に振り回され誰かのせいにしたり、怒りの感情を大きくさせることは全く愚かなことです。

イライラや怒りが、笑顔や幸せな気持ちを導いた経験がありますか?

 

 刺激から快楽を感じていた人たちには、家から出ずに閉鎖的な日々を過ごすことは退屈に感じるでしょう。

 でも、不安に感じる私とは何で、不安に思う気持ちとは何で、なぜ不安に思うのか。退屈に感じ、不満に感じるのは誰で、なぜそのように感じ、感じているものとは何なのか。そんな大きな宿題があります。

 

 COVID-19が発生する以前と以後を比べたら不満が生じるかもしれませんが、もう発生してしまった今、私たちは何をすべきか、今一度冷静になりましょう。

いつかこのコロナの騒ぎが落ち着いた時に、コロナの騒ぎを共に乗り越えた者の一人として笑い合える日がくることを今はただ願っております。

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いつかまた笑って過ごせる日のために。今は人のため、自分のために行動しましょう。