旅する禅僧

より多くの方々に仏教をお伝えし、日常の仏教を表現していきます

豊かな国、日本🎌

こんにちは!光彬です!
とうとう、元号が変わりましたね!
平成に未練は残しておりませんでしょうか?
令和(れいわ)
きっと予想されていた方は少ないのではないかと推察致します(°Д°)
少し意味を調べましたら、
令・・天子からの命令、みことのり
和・・なごむ、やわらぐ、
とのことでしたので、一見してみれば
"和を保ちなさい"といったところでしょうか?

知っている方がほとんどでしょうが、
暦に西暦ではなく元号を用いているのは
世界でも日本だけです*
2019年でありながら平成31年、など、
日々の生活で年号を書く機会が多い我々日本人は
あれ?2031年だっけ?2019年だけど平成何年だっけ?と、考えさせられた人も多いのではないでしょうか(^^)?
では何故、日本は両陛下が代わる際に
元号を変更し、用いるのでしょうか?

私なりの解釈ではありますが、
これは学校の生徒会などが掲げる
1年のスローガンと同じではないかと
考えています*
その年の生徒会によって細かな考え方は違えど、
大まかにみんなで守っていく、育んでいく、
受け継いでいく、
心に留めていく目標を決めよう!
というものです*
1つのシンプルな目標や理念、教えや願いなどは
多くの人に浸透しやすいそうです。

私が修行していたお寺では、監院(かんにん)老師という修行僧からお寺の管理維持までを指揮する方がおりました。その方は普段は気さくで面白く、時には厳しく時には優しい物言いで、修行道場をもり立てて下さっていました。
そんな、監院老師が何かにつけて仰る言葉がありました。

「お互いに、不快の念を抱かせないよう心掛けて生活するように」と。

難しい言葉など一切ありません。ですが、
これを生かして生活するにはどうしたら良いのかは
よく自分のなかで考えなくてはなりません。
自分がされたら嬉しいけれど、相手にとってはどう取られるだろうか?
自分はされたら嫌だけど、相手はもしかしたら
喜ぶかもしれない、
これらを確かなものにするには、コミュニケーションが必要です。そうして、相手のことを徐々に理解していくと、相手にとって何が不快か、そうではないかが見えてきます。
私はこの言葉がとても好きで、及ばずながら
いつでもこの言葉を胸に置いて物事に取り組んでいるつもりです*

平成から令和へ、
今一度我々は気持ちをリセットし、
和を保つべく他を想いやり言葉を交わして
豊かな国を創るよう動くべきではないでしょうか*
共に行持て参りましょう*

訪問者現る!!

こんにちは。哲真です。

  

三月ももう少しで終わりですね。

それに新年号の発表もそろそろです。

新たな始まりが迫ってきています。

 

皆様は花粉症は大丈夫でしょうか?

この時期は、外に出るのがつらいです。それに私のいるお寺の本堂は隙間が多く、花粉が入り放題なんです。その為、本堂にいると鼻水と目のかゆみで大変です。

 

 

 

最近はお彼岸があり、檀家さんなど多くの方々に御来山いただきました。

加えて、珍しいというか、私のいるお寺では当たり前の客という方々にも来ていただきました。そして、来たという痕跡まで残していってくれました。

 

何と、山門に

 

 

 

 

 

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鹿の角です。

 

そう、鹿にも来ていただいたのです。動物がそこら中にいるので、珍しい客ではないんですが・・・、今回は角を落としていったのです。

 

ネットなどで調べてみると、鹿は昔から神聖視されてきた由緒ある動物との記載がありました。それに、風水の観点では「財運を招くラッキーアニマル」とのこと。

鹿の角には「財運力」「勝負運」「水難除けのお守り」「豊穣のシンボル」などのパワーがあるようです。

それに、龍の角は鹿の角だそうです。

そういえば、本堂の天井に龍が描かれているお寺さんもあります。

 

いろいろな珍客はくることが多いお寺ですが、このような落とし物は初めてでした。

折角なので、もう一本ないかと探したのですが、見つかりませんでした。

鹿の角は毎年春に生え変わるようなのですが、山を歩いても滅多に見つけることができない代物だそうです。

 

鹿って神聖視されてきた動物だったなんて今回の訪問で初めて知ることができました。

 

このような機会でもなければ鹿について調べることもなかったので、良い出来事でした。

 

 

 

お彼岸にまた新たな御縁をいただきました。

 

 

 

友人への手紙

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みなさん、こんにちは。向月です。

以前このブログで『友人へ向けて』という記事を書きました。

その友人が2月に他界致しました。

以下、私事ながらその友人への手紙を書きたいとおもいます。

 

Tさんへ。

長い間、闘病生活お疲れ様でした。

1月に誕生日お見舞いした時は、時々眼を開けて何か話そうとしてくれたよね。

懸命に生きようとしていることが伝わったよ。

 

Tさんとの出会いはいつだったでしょうか?
スタジアムでサッカーを見たときでしょうか?

「息子がいつもお世話になってます」って言われたのを覚えています。

出会った時はもう病気を患っていて、それでも満面の笑顔で挨拶してくれました。

ご家族もみんな仲良しで、手を取り合いながら助け合っていたよね。

 

液晶のエンジニアだったTさん。一緒にご飯を食べに行ったとき「新しいテレビを考えてるんです」と話し始めた事あったよね。

「昔は一方的に流れてくる情報を視聴者が受け取るだけだった。今のテレビはリモコンでクイズに答えたり、アンケートに参加したりできる完全な双方向とまでは言えないが視聴者が参加することができるようになった。これからは、匂いや味まで伝えられるようなテレビができると面白いよね」と。

それを聞いた私は「テレビの向こうでオナラをしたら、その匂いが部屋中に充満するの?」と言い、2人で馬鹿笑いしたよね。

 

私が僧侶になろうと思うと言ったとき「僕はキリスト教徒だから仏教のことはよく分からない。だけど凄いね。頑張ってね」って応援してくれたね。とても嬉しかった。修行に行く前も、身体に気を付けて程ほどに頑張れって言ってくれた。

 

去年、私が大腸や胃の検査をしたときも「闘病10年の私がついている。きっと大丈夫!」とメールくれたね。とても心強かった。Tさんの家族からもメールやメッセージをもらったよ。本当に良い家族だなと思った。こんな家族になれたらと思ったよ。

 

いくら書いても足りないくらい思い出があります。

TさんやTさんの家族に生きる事の大変さや強さを教えていただきました。

今は、まだTさんを失った辛い気持ちで一杯です。一杯というより、心がポッカリと穴が開いた感じです。

僧侶として「覚」も「悟」も未だによくわからずにいる私です。お葬儀の時も言葉が出てこなくて、息子さんをただ抱きしめることしかできませんでした。

でも、これから先、私の目に映る人くらいはTさんのように強く明るくなってもらえるよう頑張ります。私の目に映る人が、少し幸せになるように。

私がいつまで生きられるか分かりませんが、次にTさんと会ったときはまた一緒にラーメンでも食べに行きましょう。

生きる事の強さと別れることの辛さを教えてくれたTさんに感謝しています。

TさんとTさんの家族に出会えたことに感謝しています。

本当にありがとうございました。どうぞ、安らかに。

 

萩野慈隆

実感のある生き方

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 みなさんこんにちは!慧州です。お彼岸を直前に控え、春を告げる陽気に包まれていますが、花粉症の私にとってはなんとも悩ましい季節でもあります。今回は先日行った鎌倉で感じたお話をしたいと思います。

 

 鎌倉といえば、長谷の大仏や臨済宗円覚寺建長寺など、お寺が多い観光地として知られています。私が行った日は快晴に恵まれ、北鎌倉駅から歩きながらついついカメラのシャッターを切ってしまうほど、どこを撮っても絶景になるような一日でした。

 

 今回訪れたのは臨済宗円覚寺でした。1282年に中国からやってきた無学祖元(12261286)によって創建されたこのお寺は、道や伽藍は整備されてはいるものの、どこか時代を感じさせる雰囲気をまとっていました。案内をしてくださった円覚寺の師家(指導役の僧侶)の方がこうおっしゃいました。

 

 「ここでは未だに薪割りをして、ご飯の釜を焚いたり、五右衛門風呂を沸かしたりするんです。確かに不便ではありますし、私も修行していた時は大変でした。でも、今振り返ってみると、あの修行はとてもありがたかったと思えるんです」

 

 有難い(ありがたい)とは「有ることが難い」と書きます。文字通り、その存在そのものが貴重であることを指しています。この感覚というものは現代社会においては中々得づらいものだと思います。

 

 例えば、現代の私たちはエアコンのスイッチ一つで簡単に暖を取ることができ、円覚寺で行われている薪割りは非効率的で前時代的な存在と思われるかも知れません。しかし、同じ暖かさでも、エアコンで得られる感覚と薪で得られる感覚は全く異なるでしょう。そこには「実感」があるかどうかという大きな違いがあるからです。想像を膨らませば、冬の寒い日にかじかむ手で懸命に薪割りをして得られた暖かさは何にも代えがたいものだと感じるのではないでしょうか。

 

 矛盾するようではありますが、この「実感」というものは言葉で説明したり数値で表われるものはありません。円覚寺で修行していない私が薪割りについていくら説明しても、その言葉には実感は伴っていないように。でも、この「実感」を得られるのはお寺での修行に限った話ではありません。

 

 この世界に生きている私たちが、今直面しているこの現実の中に「実感」は見え隠れしています。でも、それをつい見過ごしてしまっているのではないでしょうか。そして、その「実感」は人それぞれであり、自分自身にしか分かりません。

ふと、映画『燃えよドラゴン』でブルース・リーが放った言葉が心に思い浮かびます。

 

「考えるな。感じろ」

 

 頭ではなく、感じること。おろそかにしてはいけない教えだと思います。

登る禅僧その3 ~言葉一つで~

 みなさんこんにちは尚真です。花粉の季節となりましたがみなさん花粉症は平気でしょうか?ここ最近は特別編が続いておりましたが、今回からまた登る禅僧通常版をお届けしたいと思います。今回は、いえ今回も地元茨城の御岩山という山に登った時のお話です。

  

  御岩山は茨城県の北部、日立市にあります。日立市は「Inspire the Next」で御馴染みの家電メーカーHITACHI創業の地でもあります。そんな日立市にある御岩山は麓にパワースポットとして有名な御岩神社と言う神社があるとの事。 何やら噂では、「宇宙飛行士の向井さんが宇宙から光の柱を見た」とか。どんなところなのか以前から興味がありました。

 

  御岩山までは車で高速道路を使い1時間ほど。いざ着いてみると「常陸最古の霊山」との立派な看板があります。この日は天気も良く、また日曜日という事もあり、参拝のお客さんで非常に込み合っていました。

 

 御岩神社は日本で唯一神様と仏様をお祀りしいている神社という事で、多くの神様の中に混ざり、大日如来様、阿弥陀如来様をお祀りしているお社がありました。道中の安全を祈願して境内を抜けて登山道へと向かいます。

 

 事前にインターネットで下調べした所、割としっかりした山道なのでしっかりした装備で来るようにとの記載があったので私たちはいつもの軽登山スタイルで挑みましたが、神社にお参りにきてそのまま山に迷い込んでしまったような恰好の人が割と多く歩いていました。

 

 いかにも滑りやすそうな凸凹な山道を、サンダルにスカートのような軽装の人達と歩くのは、なんだかこちらがハラハラして心配になってしまいます。山の木々に囲まれ清々しい気分を感じつつも、なんだか普段の山とは違う妙な違和感を覚えながら山頂まで辿り着きました。

 

 すると頂上にはガイドさんと思しき人がいました。そのガイドさん曰く「テレビの影響で、迷惑なお客さんが増えている。なので迷惑行為が無い様に監視活動をしている」とのことでした。それは軽い気持ちで山を訪れる人を迷惑がっているような口ぶりでした。

 

 彼は山を守るために善意で監視活動をしています。また注意喚起をする事で登山客の安全も守られている事でしょう。ただあまりに迷惑そうな口振りだったので少し残念な気持ちになり、私たちは早々に下山して来てしまいました。

 

 下山の道中、私は修行時代にお世話になった人の言葉を思い出していました。「言葉一つで良い因縁にも悪い因縁にもなってしまう。悪い因縁を生まないよう、言葉には気を付けなさい。」と当時は口が悪かった私にその方は教えてくださいました。

 

 言葉一つで良い方向にも悪い方向にも伝わってしまう事はよくある事だと思います。私達僧侶はもちろんですが、皆さんも仕事場や家庭で人に大事な事を伝えたり、何か教えたりする機会はあると思います。そんな時は相手に対して良い因縁を生むような、良い結果を残すような言葉を選んでお話して頂ければと思います。私も十分気を付けようと思ったそんな出来事でした。

而今に学ぶ。6

 こんにちは。俊哲です。而今に学ぶ。第6回はインドを旅した時のことです。

 

 仏教では四大聖地と呼ばれる場所があります。お釈迦様がお生まれになられたカビラ国〔ルンビニ〕、お悟りになられたマガダ国〔ブッダガヤ〕、初めて説法をしたヴァラナシ〔サールナート〕、そしてお亡くなりになられた、入滅されたクシナガラという場所です。それらはルンビニ以外はインド国内にあり、またインド北東部にはお釈迦様が遊行された多くの仏跡があります。12月から3月までは気候が安定することもあり、世界中からたくさんの仏教徒が巡礼に訪れます。

 

 私は1月から2月にかけて訪印し、特にブッダガヤに滞在しておりました。ブッダガヤ滞在中は、友人僧のいるミャンマーの僧院と、日本人僧侶が住するお寺でお世話になっておりました。この日本人僧侶がおられるお寺というのは仏心寺といい、宿坊もあることから、私が滞在中は各国の巡礼者や仏教を学ぶ異教徒の方、日本人バックパッカーなど様々な方が泊まられておりました。

 

 毎朝仏心寺では朝の勤行があり、自由参加ながら宿泊者も一緒にお勤めをします。ある日、その勤行を終えインドと日本を行き来して10年になる仏心寺の住職さんがインドを旅してきた若者に問いました。「旅の間、盗まれたり騙されたりしませんでしたか?」と。すると、旅人たちは騙されそうになったことや、危険な思いをしたことを語り始めます。それを一通り聞き終えると、住職さんは「それがインドです。」と一言返しました。

 

それがインド

 

 戒律という仏教徒として守るべきルールの中で、やってはいけないことの最初に説かれていることに、『殺してはいけない。盗みをしてはいけない。夫婦以外の者と肉体関係を持ってはいけない。嘘を言ってはいけない。お酒を飲んではいけない。』といった五つの戒めがあります。お酒は飲んでしまうかもしれませんが、お酒を飲みすぎることはいけないことだと言えば理解いただけると思います。でも、この五つの戒めは”当たり前“の事だと感じられるのではないでしょうか。でも、この当たり前と思うようなことをわざわざ仏教では戒めとして説いています。それは、インドという地においてそれが全てではなくとも、戒めとして説く必要があったということです。

 

 世界中、多くの宗教でこうしたことはいけないことだと戒められています。日本も長く仏教国と呼ばれ、仏教の教えが私たちの生活に密接に関係しています。

外国を旅すれば、価値観の違いに出会うことは多く、それらと出会うことが楽しみであり、また気をつけることの一つでもあります。

いわゆる仏教国と呼ばれる国が、旅人達から旅をしやすいと言われるのは、こういった”当たり前”の共有があることも一つの理由かもしれませんね。

 

 

 今回お世話になったブッダガヤ・仏心寺さんにもご協力いただき、来年も訪印を予定しております。ご興味がありましたら一緒に仏教が始まった場所へ行きませんか?

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ブッダガヤ・大菩提寺菩提樹

 

お味噌汁のような

こんにちは!
各地では日夜の温度差に悲鳴をあげ、
場所によって暑い所も雪の所もある。そんな
不安定なお天気が続いていますが
だんだんと春の陽気が近づいてきたように
感じます* 光彬です、よろしくお願い致します。

先日、東京から山梨へ帰る途中のパーキングエリアでのことでした。普段はお手洗い休憩だけしてすぐに車に戻るのですが、ここ何日か雨が全く降らず乾燥しましたから喉が渇き、珍しくエリア内のカフェでテイクアウトで飲み物をお願いしました。
すると、店員さんがまたとても喜作な方で、
「山梨へ帰るんですか?」「普段もここで買われるんですか?」「この先も気を付けてお帰りくださいね*」「ありがとうございました」と、少し会話を交わしました。

私はその方の心のこもった言葉と笑顔にすっかりやられ、それまであった運転疲れが一気に吹き飛ぶような気持ちになりました*
営業スマイルでしょ?(笑) と、思う方もいるかもしれません(^^; ですが、またここで休憩するときには寄ろう!と、私に思わせるには充分すぎる言葉でした*


冷たいお弁当を食べたとき、何か物足りない、暖かいものが欲しくなると思うことはありませんか?
そんな時に飲むインスタントのお味噌汁が私は好きなんですが、安価な、たとえインスタントでも暖かいそれが普段の何十倍にも美味しく感じられるのです。その日、疲れていた私の冷えた心に、店員さんが添えてくれた暖かい言葉が嬉しくないことはありませんでした*


近頃、凄惨な事件や悲しい事故、そして憤りを感じぜずにはいられない報道等が毎日のように流れ、現代人の心の闇を垣間見る日々です。
このような出来事は、ニュースを見ている人にも伝わり、気が付かないうちに心を冷やしていく原因になります。
ですから、目の前にいる人と話をするときには、
暖かい言葉やお顔をしましょう*火のついた炭の上にまだ火のついていない炭を置けば、徐々に上の炭にも火が移っていくように、相手には暖かい気持ちが伝わりその人の心を温め表情を豊かにします*

どうかこの事を頭の片隅に置いておいて
頂きたく存じます*
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